第441話 模倣
女神。ここのところ、その言葉をよく聞いた。
龍王ルクスは俺のことを『女神の眷族』だと言っていた。そう呼び始めてから、俺への敵愾心が膨れ上がったような気がする。
アザゼルも俺とアスカのことを『神の使い』と呼んでいた。思い起こせば、チェスターで対峙したフラムも、地竜の洞窟で戦ったロッシュも俺達のことを『神の手先』とか『神の騎士』とか呼んでいた気がする。
『龍の従者』と似たような意味だと思っていたが、俺達の知らない、何か違う意味合いを持つのだと気付いたのはここ最近だ。
「あの紺碧髪の女性が、『女神』なんだよな?」
「うん。彼女がテラ。と言ってもテラに性別は無いし、あの姿もあくまでイメージであって本当の姿はこの大地そのものだなんだけど」
テラ。星、大地、世界……そんな意味を持つ言葉だ。
女神の名前でもあったんだな。まあ『母なる大地』なんて言葉もあるから違和感はないけど、本当の姿が大地ってどういう意味だ?
「話を戻すね。オリハルコンは人の想いに応じて、形とか重さとか性質を変化させることが出来て、どんな物質とも結びつくことが出来る、いわば万能の金属なの。アルの剣に『不壊』なんてスキルがついたこととか、『王家の武器シリーズ』を形も重さもそのままに強化できたことからもわかるでしょ?」
アスカが確認するように俺達を見回しながら言った。皆がこくりと頷く。
「その万能の金属がWOTのプレイヤーの想いを浴びて自我に目覚めた」
アスカが言葉を区切り、紅茶に口をつける。俺も喉の渇きを覚えて紅茶に手を伸ばす。紅茶は既に冷たくなっていた。
「ねえ、エルサ。生まれたばかりの赤ちゃんは、どうやって発達していくと思う?」
「難しい質問ね。親の声を聞く、発声する、親の真似をする……」
不意に尋ねられたエルサは頬に手を当てて考え込み、少ししてハッと顔をあげた。
「模倣。『私は鏡 人の想いを写す鏡』」
アスカが微笑を浮かべ、深く頷く。
「そう。誕生したばかりのテラは、虚構の世界を模倣した。無機物を取り込んで大地と水と創り、有機物と結びついて生物を生み出した。簡単に言うとWOTに似せて世界を創ったの。光あれ、水を分けよ、乾いた地よ現れよってね」
「天地創造……」
「うん。そしてテラは魚と鳥、次に獣を創り、最後に人と龍を創ったの」
俺達は、神龍ルクスがこの世界を創造したのだと教えられていた。
真実を知り、その教義は全てでっち上げだったのだと思っていたけれど……テラの伝承を書き換えたものだったのかもしれない。
「テラはWOTを真似て央人族、土人族、獣人族、神人族、海人族、魔人族を創った。そして、それぞれの人族を守護するために六柱の龍を、龍を統べる龍として龍王ルクスを創ったの」
「…………」
アスカが語る創世神話を聞き、皆が口をつぐむ。見知っていた常識との乖離があまりにも大きく、混乱が隠せないのだ。
いや、ジェシカだけは然程驚いてはいないようだ。おそらくアザゼルから真の創世神話を聞いていたのだろう。
「WOTでは、魔人族は『裏切りの人族』なんて呼ばれて、他の人族と敵対していたけど、創造主のテラはそれを望まなかった。守護龍達にそれぞれの人族の面倒を見させて、人族同士が争うことのない平和な世界を望んだの」
ジェシカやアザゼルから聞いた話とも一致している。守護龍がもたらす恵みによって各種族が栄え、友好的な関係を築いていたって話だったもんな。
「最後に、残った力のほとんどを使って、WOTにそっくりな『加護』と『技』のシステムを創り上げて、テラは眠りについたの」
そういうことか……。聖ルクス教は、神龍ルクスが人族に言葉と文字を授け、加護と技を与えたと説いていた。全て、書き換えられた教えだったってことか。
アスカが語り終えると皆一様に押し黙り、しばらくのあいだ穴倉に沈黙が降りた。
「ねえ、アスカ」
エルサがポツリと呟く。
「創造主である女神テラが人族を守護するために龍を創ったのだとしたら、ルクスはなぜ人族に牙を剥いたの?」
それは、俺もずっと疑問に思っていた。
俺達は『裏切りの人族』である魔人族と、その他の人族が敵対していると教わってきた。遥か昔に魔人族は他種族の国家への戦争を仕掛け、当時の央人族や神人族の国家を壊滅の危機に追いやったという偽りの歴史を教わり、疑うことなく信じ込んでいた。
なぜ魔人族が他の人族を襲ったのかなんて、疑問に思うことすら無かったのだ。
だが実際には、魔人族は神龍ルクスに嵌められた無実の人族だった。守護者であると信じ込んでいた神龍ルクスこそが全ての人族の敵だったのだ。
ならば何故、ルクスは人族を襲ったのだろう。
「テラは創造主ではあるけれど、全知全能の神様じゃない。ルクスがなぜテラを裏切ったのかは、テラにもわからないの」
「……そう」
「でもいくつか仮説は立てられるよ」
そう言ってアスカが窺うようにエルサに目を向ける。エルサは頷いて先を促した。
「ルクスは原理主義なんじゃないかな」
「原理……主義?」
「うん。テラはWOTを真似て、この世界を創った。でもWOTのストーリーをそのまま真似したわけじゃない。舞台設定だけ真似したって言えばいいのかな? 地理とか、種族とか、魔物とか。でも、魔人族とその他の人族が敵対する設定は真似しなかった」
「あ、もしかしてルクスはWOTの世界を……」
アスカがこくりと頷く。
「WOTでは魔族は他の人族と敵対関係にあった。それを再現しようとしたのかもしれない」
ルクスは封印されながらも人を操り、長い時間をかけて歴史を書き換えた。そして聖ルクス教という宗教を作り上げ、神人族に魔人族の国家を滅ぼさせた。
ルクスはテラが模倣しなかったWOTの設定を忠実に再現するためにテラを裏切った?
「他にも思いつくことはあるよ。地球の宗教では、神に似せて人が創られて、それに嫉妬した神の使いが竜になったなんて神話もあるみたいなんだよね。テラも地球の人の想いから生まれた存在だからか、人の姿形をしていたでしょ。ルクスは、神に似た人族に嫉妬したのかもしれないよね」
「嫉妬か……」
「あくまで、あたしの予想でしかないけど」
そう言ってアスカは肩をすくめた。
「でも、その予想、的を射てる気がするな」
それが正しいなら、ルクスがギルバードの身体を奪ったことにも説明がつく。
聖ルクス教の経典では、ルクスは六対十二枚の羽を持つ龍として描かれていた。その龍がギルバードの身体に宿ったのは、ルクス自身が人の姿形で復活することを望んだからじゃないだろうか。
闘技場でルクスと戦った時、ルクスは明らかに人の身体で戦うことに馴染んでいなかった。もし、ルクスが竜の身体に宿って復活していたのなら、もっと手強かったんじゃないかと思う。
ああ、アザゼルからもっと詳しく話を聞いておけばよかったな。
「それで、これからどうするつもりなの?」
ずっと黙ってアスカの話を聞いていたジェシカが、おもむろに口を開いた。
「女神の話はよくわかったの。アザゼルから聞いていた話とだいだい同じだったの。それで、その話を聞いて、貴方達はこれからどうするの?」
ジェシカが淡々と俺達に問いかける。
「それは……」
守護龍三柱の力を暴走させてルクスに傷を負わせることは出来たものの、討伐には至らなかった。アザゼル達の命を賭した作戦ですら失敗に終わったのだ。そして、俺達の魔法攻撃は一切通じず、近接戦でもルクスの圧倒的な力にまるで子供のようにあしらわれた。
このままだとクレイトンは滅びを免れない。残された世界中の都市も、ルクスに滅ぼされてしまうかもしれない。だけど、俺達にいったい何が出来るだろう。無策で挑んで、どうにか出来るような相手じゃない。
そんなことを考えてジェシカの問いに答えあぐねていると、アスカが俺の諦観を笑い飛ばすように、ふふんと鼻を鳴らした。
「そんなの決まってるじゃん」
そして場違いなほどに明るい声で言い放った。
「レベルを上げて物理で殴る! まずはそこから!」




