第437話 大空洞
皆を連れて闘技場から離脱し、王都クレイトンの城壁の上に降り立つ。その直後、強烈な閃光によって周囲は色を失くし、世界が割れたとのかと思うほどの轟音が鳴り響いた。
視界は完全に白で塗りつぶされ、眩しくてとても目を開けていられない。目を瞑っていても瞳が焼かれるよう眩しく、涙がボロボロと零れる。鼓膜が裂けたかのように痛み、頭がギリギリと軋む。
視界を奪われ、四方八方からの轟音に晒され、自分が立っているのかどうかも分からない。子供の頃に海で波に巻かれた時みたいだ。
いや、俺自身が揺れているだけじゃなく、大地も揺れている?
ああ、そうか。魔素崩壊の魔法陣が発動したら周囲数キロが吹き飛ぶだろうって話だった。エルゼム闘技場はここから2キロほどしか離れていない。守護龍イグニスの守りによって魔素崩壊による直接の影響は受けなくとも、音や光、大地の揺れの影響までは免れない。
痛みに耐え、目を瞑ってやり過ごすしかない。俺は【気合】と【内丹】を発動し、ついでに効果があるかわからないけど自分に【解毒】かけて、音と光が収まるのを待った。
数十秒後、俺はおそるおそる目を開ける。いつの間にか城壁の上で、倒れ込んでいたようだ。辺りを見回すと、皆も呻きながらも身体を起こそうとしていた。
あ、でもユーゴーとエースは泡を吹いて倒れている。二人とも目と耳が良いからな……。眩しさと轟音に耐えられなかったのだろう。二人に【治癒】をかけようと立ち上がると、城壁の縁の向こうに異様な光景が広がっているのが見えた。
一言で言えば、巨大な空洞だ。
魔法障壁の向こうは断崖絶壁になっていた。そこから先はただただ何もない空間が広がっている。底が見通せない程に深く、暗い穴だ。
巨大な穴の向こうに、かろうじて陸地が見える。この城壁は高さ10メートル程度だから、この穴の直径は少なくとも10キロはありそうだ。
「これが、守護龍の力か……」
魔素崩壊の魔法陣の威力は聞いていたよりも、はるかに強力だった。数キロは消し飛ぶと聞いてはいたけど、まさか底が見通せない程に深い穴まで開いてしまうとまでは思っていなかった。
「す、すごいわね!」
目の前の異様な光景を眺め、ローズが目を大きく見開いている。
「ああ、とんでもないな……ってそうだ、ユーゴーとエースを」
「あ、そうね!」
俺とローズは慌ててユーゴーとエースに治癒魔法をかける。閃光と轟音で目を回していただけだったようで、二人ともすぐに起き上がった。
「エース、よく生きていてくれた。さっきは助かったよ」
「ブルルルッ!」
頬を撫でるとエースが嬉しそうに鼻を鳴らし、もっと撫でろと顔を擦り付けて来た。エースも無事の再会を喜んでくれているのだろう。男の俺に擦り寄って来るなんて珍しい。
「アルーッ!」
「アルさん!」
「うぉっ」
エルサとアリスが駆け寄って来て、そのままの勢いで抱き着かれた。俺は倒れそうになりながらも、なんとか二人を抱きとめる。
「良かった。無事ね?」
「怪我は無いのです? ってエースがいるのです!!」
「エース!!? 無事だったのね! って、ちょっと! やめなさい!」
エルサの股座に鼻先をつっこみ、窘められるエース。
ついさっきまで俺に擦り寄ってきてくれてたのに、もう眼中にないようだ。うん、相変わらず元気そうで良かったよ。
グギャアァッ!!
魔法障壁の内側に入り込んでいた数匹の火竜が、尻尾を撒いて飛び去って行く。
守護龍イグニスの守りは龍を通さないけれど、竜は通してしまう。魔法障壁は城壁から500メートルほど向こうに展開されているので、内側まで踏み込んでいた竜だけは生き残ったようだ。
空を埋め尽くすほどにいた竜達は、もうどこにもいない。そう言えば空に漂っていた雲も跡形も無くなっている。大地だけでなく、空に浮かぶ竜と雲も消し飛ばしたんだな……。
「作戦は、成功したのよね?」
エースがアリスの股座の匂いを嗅ぎ始めたため、ようやく解放されたエルサが不安そうに問いかけてきた。
――グギャァッ
また、遠くから竜の嘶き声が聞こえる。
「見ての通りだよ。魔素崩壊の魔法陣は、無事に発動した」
「そうね。これほど大規模な破壊……龍の力が暴走したのでもないと起こりえないわよね」
魔法陣は三柱の守護龍の魔晶石を暴走させた。そのためか辺りには龍の魔力が色濃く漂っている。その中には龍王ルクスの魔力の残滓も混じっているのだろう。
「これで……終わったのよね?」
エルサがぽつりと呟いた。
「さすがに、生きてはいないだろ」
俺は巨大な穴を見据えて無言で立ち尽くしているジェシカに目を向ける。【幻影】の魔道具で神人のような白い肌色になっているジェシカの頬には、流れた涙のあとが色濃く残っていた。
俺はジェシカの肩にそっと手を置く。
「魔素崩壊の魔法陣によって龍王ルクスは討たれた。アザゼル、グラセール、ラヴィニア。あの3人の献身のおかげで、世界は救われたんだ」
ジェシカの肩が震えた。
アザゼル達が今までにやって来たことを許したわけじゃない。だが、彼らは魔人族が生き残るための道を残し、今度は人族が生き残る道を残したのだ。その生き様と功績には、一定の敬意を表すべきだろう。
「そう……」
エルサが胸に手を当て目を瞑る。俺も隣に並び立ち、エルサに倣う。ユーゴーとアリス、ローズも俺達の後ろに並び立った気配がした。
「……ありがとう」
ジェシカが消え入るような小さな声で呟く。
「さあて、俺達は退散しようか。騒がしくなりそうだ」
「そうした方が良さそうね」
あちこちから混乱した様子の兵士や冒険者達の声が聞こえて来た。
事前に作戦と起こりうることを知っていた俺達でさえ、目の前の光景に驚いているのだ。兵士達にしてみれば、文字通り驚天動地の事態だろう。
王都に火の雨が降ったかと思えば、紅色の魔法障壁が王都を包み、火竜の大軍が押し寄せたと思ったら、王都よりも深く広い大空洞が大地にぽっかりと口を開いたのだ。この混乱はそうそう収まらないだろう。
「いったん魔人族の村に飛ぼう。アスカが心配だ」
「ブレないわねぇ、アルは」
そりゃそうだろう。目を覚まさないアスカを放置してここに来てるんだ。いつだってアスカは目を覚ましただろうか、容体が悪化したりなんかしてないだろうかって心配で仕方なかったんだ。
戦いは終わったんだ。一刻も早くアスカの顔が見たい。
「アルフレッド」
不意に、ユーゴーが固く、緊張した声で俺を呼び止めた。
「どうした?」
「火竜がいる」
「ん、どこだ? 火竜ぐらいなら王都の騎士達に任せても大丈夫じゃないか?」
俺は空を見上げる。ウルグラン山脈の方へと飛び去って行く竜はもう豆粒ぐらいの大きさになっていた。
万が一あいつらが戻って来たとしても、火竜の一体や二体ならどうとでもできるだろう。混乱はしているようだけど、見る限り兵士や騎士達に大きな損耗は見られない。凄腕の決闘士達もいるんだし。
「違う。あっちだ」
ユーゴーが指し示したのは西の空ではなく、大空洞の中心だった。目を凝らしてみると、昏い大空洞の中から火竜が浮かび上がって来ているのが見えた。
「ああ、本当だ……って、なんであんなところに!!?」
あそこは魔素崩壊の爆心地だったはず。なぜあんなところに火竜いるんだ? さっき飛び立った竜があの穴の中に飛んでいったのか?
「あ、あ、あぁ……」
浮かび上がって来るにつれ、その姿がはっきりと見えて来る。あれは火竜だ。災禍級とは言え、今の王都の防衛体制なら恐れるに足りない魔物。
その背中に、ヤツがいなければ。
「なんて、ことだ」
「そん、な……」
その背に跨る人影は重傷を負っていた。左肩から先が無く、頭部が大きく陥没している。腹も抉れ、両脚の膝から下が欠けている。
重症というか、人であれば生きてはいられないほどの欠損。だがヤツは火竜の背に跨り、背ビレを掴んで姿勢を保っている。
明らかに生きているヒトの動きだ。
「エースッ!!!」
俺は即座にエースの背に飛び乗る。アスカを除くと最も付き合いの古い相棒は、俺の意図を正確に汲み取り、火竜の方へと飛び出した。




