第42話 暗雲
俺たちは昼過ぎに城下町チェスターまでもうすぐというところまでたどり着いた。以前の俺なら丸一日ぐらいはかかる距離なのだけど、思っていたよりもはるかに早く着いた。
俺は加護の補正があるから休憩無しで半日歩き続けるくらいわけないのだが、アスカがここまで健脚なのが不思議でならない。確かにアクセサリーで体力と敏捷が上がったとは聞いたが、そんなに変わるものなのか?
「オニキスのペンダントは体力プラス50、マラカイトのアンクレットは敏捷プラス50だからね。体力は盗賊のエマよりちょっと低いくらい、敏捷は剣闘士のデールより少し高いくらいかな」
……それはすごい効果だな。アクセサリーだけで加護と同等のステータスが得られるとは思わなかった。
「WOTだとアクセサリーは1個しかつけられなかったんだけど、この世界だと何個もつけられるみたいなの。お金に余裕があったら、たくさん買いたいところだね」
「確かに高いからな……。それも二つで金貨3枚だったっけ? なかなか手が出ないよな……」
「そうだねー。あたしは紙防御だから防御力と精神力が上がるアクセか防具で補正したいんだけど……。そんなの買ったら旅費がふっ飛んじゃうし」
「そううまくはいかないな……」
でも、お金が稼げたらアスカの装備は優先して手に入れたいところだな。この先、火喰い狼みたいな凶暴な魔物と戦うことも多くなるだろうし、もしかしたら魔人族とも遭遇してしまうかもしれないのだから。
「……今夜は気をつけろよ、アスカ。ゴブリン程度ならなんとかなるかも知れないけど、魔人族はさすがに危険すぎる」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
魔人族。魔力に秀で、裏切りの人族と呼ばれる人族だ。
この世界には多種の人族が住んでいるが、大別すると6種族に分類される。央人族、土人族、獣人族、海人族、神人族、そして魔人族だ。
はるか昔のこと。魔人族は強大な国力を背景に他種族の国家への戦争を仕掛け、神人族の国家を壊滅の危機に追いやったという。
残虐極まる侵略行為を繰り返した彼らだったが、ついには神龍ルクスの怒りを買うこととなり、魔人族の国家は神の裁きによって滅ぼされた。その後、魔人族達は他種族の国家に追いやられ、流浪の民となったという。
しかし、はるか時を経た今でも魔人族は暗躍を続けている。少数の魔人族が魔物を率いて都市の襲撃を繰り返しているのだ。
一説では遠い海の孤島に国家を築いているとか、聖ルクス教国の転覆を目論んでいるなどと言われてはいるが真実はわからない。ただの略奪行為と言われることもあるし、遠大な目的を持った組織的な侵略行為と言われることもある。
その魔人族にチェスターが狙われている。これはウェイクリング領が興って以来、最大の危機と言えるかもしれない。
「かと言って、俺に出来ることなんて何も無いんだよなぁ……」
「うん。WOTでも城下町の防衛に加わっただけだったんだよね。城下町の防衛に成功すればミッションクリアってお手軽なイベントだったし」
「今回、襲ってくる魔物は、それほど脅威では無いってことか?」
「そうだね。襲ってくるのはゴブリンだけだから、そんなに強くはないしね。でも、ゴブリンを率いている魔人族だけは別。あいつだけは、現時点で勝てる見込みはまったく無い」
「……そんなに強いのか?」
「うん。WOTでは王都クレイトンで再戦することになって、その頃なら勝負になるんだけど、この時点じゃ普通は相手にならないかな」
「それは……どうすればいいんだ?」
「魔人族との戦いを避ければいい。ゴブリンさえ倒しきればゲームオーバーにはならない」
町を守り抜くことに専念すればいいってことか。それなら……なんとかなりそうだな。ゴブリン相手なら十分に戦えるだろうし。
「でもね、それだと……」
「まずいことがあるのか?」
そう聞くと、アスカがこくんと頷く。そして俺の顔をじっと見つめ、意を決したように言った。
「貴族街が襲われて、騎士ギルバードが殺されてしまうの」
ギルバードが……? あいつが……死ぬ?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、見えてきたね!」
「ああ、ウェイクリング領最大の都市、チェスター。あの城壁の奥がウェイクリング伯爵家の屋敷がある貴族街だ」
チェスターは城壁に囲まれた貴族街を中心とし、扇状に広がった港湾都市だ。城壁の内側には富裕層の豪華な邸宅が建っている。その外側には職人街の家屋が軒を連ねていて、町から少し離れれば麦畑が広がり、いくつかの農村が点在している。
元々チェスターは海に面した要塞都市として王都の辺境を守っていた。その頃には城壁の内側に貴族街・繁華街・職人街が混在していたが、数百年の時を経て拡大を続け、壁の内側に貴族街が残り、外側に商人や職人の街が広がっていったそうだ。
「賑やかだね」
俺達は行商達の荷馬車に続き、街に入った。オークヴィルや始まりの森と繋がる街道は、そのまま町を縦断する目抜き通りとなり、貴族街の門へと続いている。
「ウェイクリング領最大の都市だからな。王都クレイトンや魔法都市エウレカには劣るだろうけど」
広い目抜き通りの両側には、青果物店や精肉店、武具屋や魔道具店、パン屋や酒場などが連なっている。さすがにもう夕方も近いため人通りは少なくなってきているが、それでもオークヴィルより人通りは多い。
「今日は町の入り口近くにある宿に泊まろう」
「いいのか? オークヴィルで定宿にしていたところに比べると、数段落ちちゃうけど」
普通の冒険者はこの程度の宿に泊まることが多いからおかしくはないのだが、アスカの事だから繁華街にある小綺麗な宿に泊まりたがると思ったのに。
「ほんとはそうしたいところなんだけど、今日だけはね。もしかしたらゴブリンが襲ってくるかもしれないから、この辺りの方がもしもの時に動き易いじゃん」
「ああ、そういうことか」
城壁のそばなら夜中でも一定数の兵士が常駐しているだろうから、異変があった時にも駆けつけてくれるだろう。だが、この辺りは職人達の自警団が見回りをしているぐらいで、突然の事態には対応できない可能性が高い。
「じゃあ、今日は早めに宿に入って一休みしておこう。夜に戦いが待っているかもしれないしな」
「うん。確か、あの辺りに宿があったよね?」
アスカが指さしたのは森番の頃に俺がよく泊まっていた安宿だった。まさか、またここに泊まることになるなんてな……。
宿に入ると顔見知りの店主が無遠慮に訝しげな目線を俺に送ってきた。まさか俺が女連れで現れるなんて思ってなかったのだろう。
「今日は二人部屋を頼む。明日の朝までの一泊だ」
「朝夕飯付きで大銅貨5枚だ。飯は隣の酒場で部屋の鍵を見せれば食える。部屋は2階の奥だ」
さすがに大部屋の雑魚寝に比べれば高いが、それでもオークヴィルの宿に比べれば安い。簡素なベッドが2台あるだけの狭い部屋だが、文句は言うまい。どうせ一泊だけだしな。
俺は部屋に入ると、さっそくベッドに【乾燥】の生活魔法をかける。こうしておけば乾燥に弱いノミやシラミは、あっという間に死んでしまう。
ベッドをからからに乾燥させた後に、鞘に入れた剣でベッドをバンバンと叩く。すると敷き詰めた藁からホコリがもくもくと湧き上がった。
ここまでしておけば、気持ちよく休める寝床だけは確保できるだろう。部屋のドアと窓を全開にして換気をした後に、俺たちは早めの夕食をとるために宿の隣の酒場に繰り出した。
「はいよ、お待ち」
店で宿のカギを見せると、何も注文しないうちに夕食が出てきた。干し肉の入ったスープと野菜の漬物、固い黒パンの定食メニューだ。スープにはクズ野菜と申し訳程度の干し肉の破片しか入っていない。味も薄く、とても旨いとは言えない。
オークヴィルの美味しい食事に慣れてしまった俺たちにとっては、かなり残念なメニューだ。アスカは見るからに不満そうな表情を浮かべている。そういう俺も人のことは言えないけど。贅沢になったものだ。
さっさと食べて部屋に戻って一休みしよう。そう言おうとしたところで、酒場の入り口の方から聞き覚えのある大声が聞こえてきた。
「おー? そこにいるのはアルじゃねえか!?」
「なんだよ、お前また町に来てたのか? って、可愛い子連れてるぞ、ダリオ!」
ああ、これは間違いない。テンプレ展開ってヤツだな……。




