第433話 女神の眷族
龍王ルクスが闘技場の舞台の中央にふわりと降り立つ。半透明の飛膜翼は、降り立つと同時にふっと消えて無くなった。どうやら翼は魔法で具現化したものみたいだ。つくづく規格外だな。
「ほう、レリダにいた者達か。この男の兄だったか」
膨大な魔力と圧倒的な存在感は相変わらずだが、今日はルクスの視線と言葉を真正面から受け止めることが出来ている。今にも逃げ出したくなるのを、必死で堪えてはいるけれど……飲まれてはいない。これも海底迷宮での鍛錬の成果かな。
「龍王ルクス……」
あの時、ルクスを抑え込んでくれたのはギルバードだった。あいつのおかげで俺達はレリダから離脱することが出来たんだ。
アザゼルと教皇ハドリアーノの言葉によれば、ギルバードはルクスが受肉するための贄として利用された。白銀の長髪となり瞳の色も変わり、角まで生えるという異常な変貌を遂げたルクスを見て、俺はギルバードはもういないものだと思い込んでいた。
だが、ギルバードは角と翼が生えた異形の身体の中で生き続け、俺を『兄さん』と呼んで俺達が逃げる時間を稼いでくれた。
そのおかげで俺達は生き延びることができ、加護を鍛え上げて新たな技術を習得する時間を得ることが出来た。こうしてルクスと対峙する機会を得られたのもギルバードのおかげだ。
「ギルバード……聞こえているか?」
そう、ギルバードは生きている。おそらくルクスの魂とでも言うべきものに身体を奪われているが、ギルバード自身は生きているのだ。
「答えてくれ、ギルバード……!」
ギルバードが呼びかけに答えてくれたら。レリダの時のみたいにルクスを抑えることができたなら。
ルクスをギルバードの身体から追い出すことは出来ないのか? ギルバードを救い、ルクスだけを葬ることは出来ないのか?
納得してここに来たつもりだったが、ギルバートの顔そのままのルクスと対峙すると、迷いが浮かび上がってくる。
「無駄だ。あの男の精神は既に死んだ。もう奇跡は起こらない」
ルクスが口角を僅かに上げて、薄ら嗤いを浮かべる。
「アルフレッド。あそこにいるのは龍王ルクスだ。お前の弟ではない」
「……っ」
ギルバードとは、ずっとすれ違っていた。ウェイクリング家にいた時も仲が良いとは言えなかった。俺が【森番】を授かってからは関係がより悪化した。
父上と母様の期待を集める俺が羨ましい。クレアに慕われる俺が妬ましい。跡継ぎの立場を奪った俺が憎い。そんな想いをぶつけられもした。
オークヴィル襲撃の件は許されることじゃない。例えギルバードが企んだことでは無かったとしても、『鋼の鎧』の企みを知っていながらオークヴィル襲撃やジブラルタ王国との戦争を抑止できなかった責任は重い。
でも、ギルバードは騎士団の若手筆頭と認められていたし、その仕事ぶりは領民の信頼を得ていた。有能な跡取りとして評判も良かった。チェスターを守るために魔人フラムに単身で挑むほどに、勇敢な騎士でもあった。
「ギルバードッ……!」
「覚悟を決めろ、アルフレッド。俺達は今ここで、ルクスを葬らなければならない」
俺達を救ってくれたお前が、その異形の肉体の中でまだ生きていることがわかっていながら、お前を見殺しにしなければならない。
すまない……ギルバード。
「ほう、我を屠ると?」
「その通りだ。俺の命を賭してでも、ここで死んでもらうぞルクス」
「ふははははっ! 冥龍の加護を失った貴様が、我を殺すと言うのか!」
ルクスは両手を大きく広げ、嘲るように高笑いする。
「あの島で大人しくしていれば、その魔法が解けるまでは生き長らえることが出来たものを。愚かだな、エドワウ」
「座して滅びを待つことを生きるとは言わない」
アザゼルが白銀の剣の切っ先をまっすぐにルクスに向ける。俺はアザゼルの横に並び、円盾を前に構えローズを背中にかばう。
「そうか。ならば死ね」
ルクスの纏う魔力が急激に膨れ上がり、圧倒的な殺気が放たれる。
これでもかと魔力を注ぎ込んだ【威圧】みたいだ。【水装】で魔法抵抗力を底上げしていなかったら恐慌状態に陥っていたかもしれない。
「っ!? 【大鉄壁】!!」
ルクスは指先一本も動かしてはいなかったが、ヤツの殺気が僅かに揺らいだのを感じ、咄嗟に魔力盾を展開する。その直後に強烈な衝撃が走り、後からズンッと重い音が響いた。
たった今までルクスがいた場所を中心に地面が抉れ、辺りに土埃が舞う。
「ふむ、これに耐えるか。面白い」
この一瞬の間にルクスは俺の頭上に浮かび上がり、腕を組んで見下ろしていた。
今のは風魔法か? 自身を中心に超強力な【突風】をまき散らしたのだろうか。
それにしても信じられないほどに早い詠唱だった……。予め発動していた【心眼】で、僅かな殺気の揺らぎを感知していなかったら直撃していただろう。
「ローズ、アザゼル、無事か?」
「も、もちろんよ!!」
「俺の後ろから離れるなよ」
ここでの俺の役割は時間稼ぎ。アザゼルとローズを守り抜き、準備が整うまで守りに徹してルクスを引き付けるんだ。
「ならば、これはどうだ」
次の瞬間、ルクスの周囲に無数の岩槍が現れる。
「くっ、【光の大盾・大鉄壁】!」
俺は即座に騎士と魔導士の加護を励起させ、二重詠唱で半球状に魔力盾を展開する。その直後、槍の雨が降り注いだ。
「ぐぅっ!!」
次々と魔力盾に衝突する岩槍を弾くたびにゴリゴリと魔力を持っていかれるが、なんとか耐えきる。
規模が尋常ではないけど、これは第八位階地魔法の【槍雨】か? だが、やはり詠唱が早すぎる。ルクスの殺気が僅かに強まったと思った次の瞬間には、既に魔法が発動していた。
「……光魔法に剣士の技? 魔道具や聖武具で発動したわけでは無いな……どういうことだ」
ルクスが眉を吊り上げ、俺を睨みつける。
巨大な魔法陣を魔力で満たすには、それ相応の時間がかかる。ルクスが闘技場に降り立った瞬間からグラセールとラヴィニアが準備を進めてくれているが、あともう少しは時間がかかるはずだ。手を止めて会話をしてくれるのなら都合がいい。
「どういうことだ、とは?」
「サンクタスの加護は我に宿っている。守護龍の加護は一人にしか与えられないはずだ」
ああ、そうか。そう言えばそんな話だったな。
勇者の血を引く者に与えられる加護と祝福。加護はそれぞれの守護龍が司る属性の魔法を操る力。そして祝福は聖武具のことを指していた。
ジェシカは、アザゼル以外に冥龍ニグラードの加護を与えられた人はいない、だから守護龍は一人にしか加護を与えないと思うと言っていた。その予想は当たっていたわけか。
「それはそうだ。俺は天龍サンクタスから加護を授かったわけじゃないからな」
「……ならばなぜ貴様は二つの加護を持っている」
ルクスは険しい顔で俺を睨み続けている。いいぞ、いい具合に時間を稼げてる。
「女神から授かったからさ」
加護を与えてくれたアスカは、俺にとって守護龍や神龍に等しい存在だからな。女神と言っても過言ではないだろう。そう思って意図せず発した言葉だったが、ルクスの反応は激烈だった。
「なっ……!?」
先ほどまでとは比べ物にならないほどの強烈な魔力の波動が渦巻く。背筋が凍り、身がバラバラになりそうなほどの殺気が、俺だけに向かって放たれた。
「そうか……貴様は神の使い、『女神』の眷族か!!」
ルクスの怒号とともに、上空に巨大な炎塊が出現する。聖都ルクセリオの半分を一瞬で滅ぼした太陽と見紛うほどの強烈な光を放つ火球が、俺一人に向かって殺到した。




