第40話 旅立ちの前夜
ロフト席にやって来た紳士を、俺たちは起立して出迎える。レスリー代官……か。この町に来ていたのか。
「遅れてすまない。皆、座ってくれ。この町の代官を務めてはいるが、私は元平民の名誉爵士だ。そんなにかしこまらないでくれ」
レスリー代官は人の良さそうな笑みを浮かべて席につき、俺たちに座るように促す。そこに店員の女の子が木製のジョッキを持ってきた。
「ありがとう。私は冷たいエールに目がなくてね。ワインの方が身体に良いのはわかっているんだが、これだけはどうもやめられないんだ」
気さくな対応を見せるレスリー代官に、デール達も少し緊張が解けたようだ。強張っていた顔に、笑顔が浮かんでいる。
「さあ、乾杯しようじゃないか。グラスは持ったかい? では、冒険者諸君に感謝を、オークヴィルに繁栄を。乾杯!」
「オークヴィルに!」
「乾杯!」
俺たちは、テーブルの上でグラスやジョッキをぶつけあう。レスリー代官殿のおかげで、固くなりかけた食事会の雰囲気が一気に柔らかくなったな。相変わらず人好きのする方だ。
「冒険者諸君、はじめましてだな。この町の代官を務めているレスリーだ。今回の火喰い狼の討伐、誠にご苦労だった。町を救ってくれた君たちに直接礼を言いたくて、今日はエドモンドに無理を言って参加させてもらったんだ」
朗らかに笑うレスリー代官に、デール達は「光栄です」「照れるニャ」などと応じている。
「時に、火喰い狼を単独で討伐したという新人冒険者とは君かい?」
レスリー代官がデールに話しかける。デールは慌ててぶんぶんと手を振った。
「いえ、俺じゃありません。ヤツを倒したのは、そこのアルフレッドです」
レスリー代官は俺の方を向くと首を掲げ、何か引っかかりを覚えたような顔で、まじまじと俺を見た。
「アルフレッド……? 君は……」
まあ、10年ぶりの再会だからな。わからないのは無理もない。こんな格好をしていればなおさらだろう。
「お久しぶりです。レスリー先生」
そう。レスリー代官は、俺が10歳になる頃まで算術や読み書きを教えてくれていた恩師なのだ。
こっそりウェイクリング家の屋敷を抜け出して、町で買い物をしながら四則演算を教わったのはいい思い出だ。露天商の前で「一つ25リヒトの串焼きを3個買うといくらですか?」というような問題を出され、正解すると串焼き買ってもらえる。屋敷の食事では出ることが無い魅力的なジャンクフードを食べたくて、必死で頭をひねったものだ。
「あ、アルフレッド様!?」
レスリー先生は跳ねるように立ち上がり、胸に手を当てて敬礼の姿勢を取る。ああ、そういう反応になっちゃうか……。
「アルフレッド……様?」
「ええ?? ど、どういうこと??」
「なぜ、レスリー代官殿が……?」
突然のレスリー先生の反応に驚き、狼狽する面々。俺とレスリー先生を交互に見て目を白黒させている。
「き、君たちは知らんのか? この方はウェイクリング伯爵家が長子、アルフレッド・ウェイクリング様だぞ!?」
「え、えぇええっっ!!!?」
「アルが……き、貴族様!?」
「う、うそでしょ!?」
「えらい人だったのニャ……」
「言葉遣いがやけに丁寧だとは思っていたが、道理で……」
騒然となるロフト席。今まで一緒に行動をしていた知り合いが実は貴族だなんて知ったら、それは驚くよな。しかも領主の息子だ。こういうことになるのが嫌で黙っていたんだけど……。
「レスリー先生。私はとうの昔にウェイクリング家を廃嫡された身です。今は一介の冒険者で、ただの平民ですよ。敬礼はおやめください」
「そ、そうでしたな……しかしなぜ貴方が冒険者を? まさか、火喰い狼を単独で討伐したと言う新人冒険者とは貴方の事だったのですか!?」
レスリー先生がまくし立てる。先ほどまでの鷹揚で落ち着いた雰囲気のある紳士の姿は、すでに無い。
「はい。新人冒険者と言うのは確かですが、一人で火喰い狼を倒したわけではありません。ここにいる冒険者の皆と一緒だったからこそ、討伐を成し遂げられたのです」
「そうでしたか……しかし、さすがは神童と呼ばれたアルフレッド様ですな。貴方なら火喰い狼を倒したのも頷ける。いや待て……確か貴方の加護は……」
「レスリー先生! その話はまた後ほど。きちんと説明しますので」
俺は慌ててレスリー先生の言葉を遮る。ここで【森番】の事を話されるわけにはいかない。レスリー先生は後でなんとかごまかすとして、とりあえずは皆の方だな。こっちはレスリー先生とはまた別の理由で困惑しているわけだが……。
「みんな、すまない。あまり話したくないことだったから、黙っていたんだ……」
「い、いや、大丈夫だ……です」
「か、数々のご無礼を……」
「アルフレッドさん……様が、領主様のご子息だったとはつゆ知らず……」
デール、ダーシャ、セシリーさんが口ごもる。他の皆も一様に顔を引きつらせている。これは、まいったな……。
「ちょっと皆さん……先ほどお話した通り、私はウェイクリング伯爵家から除籍された身なのです。元貴族とはいえ、今は平民で、ただの冒険者ですよ。出来れば今まで通りに接してください」
「そう言われましても……」
「貴族の冒険者もたまにはいますが、せいぜい士爵か、その子供ぐらいなもので、領主様のご子息となると……」
「元って言っても……なぁ?」
ニコラスさんやエドモンドさんさえ表情が硬い。うーん、面倒くさいな……。
チェスターでは落ちぶれた元貴族として後ろ指をさされ、かと言って事情を知らない者からは腫れ物のように扱われる。ウェイクリング家との関わりは今や全く無いと言うのに……。
「何言ってんの、みんな。元貴族だからなんだって言うの? アルは、アルでしょ?」
混乱した場にアスカのよく通る声が響きわたる。アスカはため息をついて、呆れたように皆を見回す。
「ウェイクリングだかジャグリングだか知らないけど、そんなのどうでもいいじゃん。ここにいるのは、一緒に火喰い狼を倒した冒険者でしょ。腕相撲の勝ち負けひとつでバカ騒ぎしたり、セシリーにデレデレしたりする、ただのアルだよ?」
領主であるウェイクリング家を大道芸と並べ、どうでもいいと言い切るアスカに皆が呆気に取られている。それはそうだ。不敬罪と言われても仕方がない発言だしな。
だが、アスカはぱっちりとした大きな瞳に強い意志をたたえ、いつも通りの勝気で不敵な微笑みを浮かべている。さすがはアスカだ。
その通り、ウェイクリング家なんて、どうでもいい話だ。でもな……
「誰がデレデレしたっていうんだよ」
「なによ? あれがデレデレじゃなかったら、なんだって言うの!? セシリーのあられもない姿を見て、鼻血をダラダラ流して興奮してたくせに。デレデレが嫌ならダラダラね」
「あっ、アスカさん!? 誤解を招くようなことを言わないでください!」
「しつこいな……まだ根に持ってたのかよ……」
「根に持ってなんか無いわよ! この鼻血ダラ男!」
「誰が鼻血ダラ男だ! このガサツ女!」
「ガサツで悪かったわね! 変態!」
「言うに事欠いて変態だとぉ!?」
皆の前で何を言ってくれてるんだ。ほんっとにもう……セシリーさんの事になると歯止めがきかないな。とばっちりを受けたセシリーさんも頭を抱えてるじゃないか。
「ぶっ……ぶはははは! 相変わらずの尻にしかれっぷりだな」
「あははは!! セシリーさん、なにがあったのー?? お話し、聞かせて欲しいなぁ」
「三角関係ニャ? 詳しく話すニャ!」
「わ、わたしは、アルフレッドさんのことは……その………」
そう言って頬を染めるセシリーさん。恥じらう彼女を見ていると、どうしてもあの時のことを思い出してしまう。本当に、ご迷惑をおかけしてます……。
「おいおいおい。これはご両親に報告しないとなぁ。ちょうど王都への隊商が来るころだし、手紙を託すか」
「や、やめてください! 父に知れたら大事になってしまいます! 最悪、アルフレッドさんが酷い目にあってしまうかもしれません!!」
「ふんふん。何かあったのは確かと言うわけね……そこのところを詳しく」
「おい! アルフレッド!! アスカだけじゃなくセシリーさんまで!!? てめぇ、爆発しろ!!」
あ、あれ? なんか雰囲気が一気にくだけたな……。大ピンチである事は間違いないのだけど……。
そうして、盛り上がりは収まらぬままオークヴィル最後の夜は更けていった。
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これにて『第一章 山間の町オークヴィル』は完結です。続けて『第二章 城下町チェスター』が始まります。アルフレッドとアスカの旅に、どうぞお付き合いください。
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