第396話 神龍ルクス
魔法陣のヒビ割れから漆黒の魔力の光が溢れ出る。その直後、魔法陣から魔物の牙のようにも見える真っ黒な杭が突き出て、ギルバードの左手と両足、そして脇腹を貫いた。
「ギルバードッ!!」
ギルバードは磔にされているように立ち尽くし、杭に貫かれた左手の掌と両足の甲から流れ出た紅血が杭を伝う。相も変わらず虚ろな表情のままだが、多量の汗が噴き出している。
バチバチッ!!
漆黒の魔力光が杭を伝い、ギルバードに絡みつく。魔力光はまるで【紫電】の雷撃のように、ギルバードの身体を駆け巡った。
「う゛ぁぁ、う゛ぅぅぁぁっ」
ギルバードが小刻みに痙攣しくぐもったうめき声をあげると、額の皮膚が内側から破裂するように裂け、赤黒い血が噴き出した。
「くっ、くそっ……」
痛めつけられるギルバードの姿を黙って見ていられず、這うように魔法陣に近づく。俺たちの敗北は決定的だが、せめてこの儀式とやらだけでも止め……
「ぐっあぁぁぁっ!!」
両脚を襲った激痛に叫び声が漏れ出る。姿を隠していた教皇ハドリアーノに脚の傷口を踏みつけられたのだ。
「おとなしく見ておれ」
「ぐぅっ……教皇! 聖ルクス教の首長たる貴方がなぜ魔人族に与するんだ! 自分が何をやっているのかわかっているのか!?」
「無論じゃよ」
ハドリアーノは冷ややかな目で俺を見下ろし、にやりと口を歪める。
「全知の龍の受肉、そして復活。教会はただこの時のためにあったのじゃからの」
「ふ、復活……?」
何を言っているんだ、こいつは。この儀式とやらを行っているのは魔人族なんだぞ!? やはりハドリアーノは魔人に操られているのか?
「あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!」
ギルバードが、背筋が疼くような叫び声をあげた。雷撃に似た漆黒の魔力が全身を伝い、ビクンビクンと身体を震わせている。
「ぐう゛ぅっ!」
一際大きくギルバードの身体が跳ねたと同時に、額の左側から骨のように白い突起が突き出た。ビキィッと音を立て、額右側からも同様の突起が現れる。
「なんだ、アレは……」
ギルバードの絶叫が続き、額の左右から生え出た突起は、真上に湾曲して伸びていく。先端が鋭く尖ったソレは、まさに角だ。
さらに、漆黒の魔力がギルバードの右肩に集まっていき、右腕の形状へと変化していく。
ゴオォォォッ!!
魔法陣のヒビ割れから漆黒の魔力光がさらに噴き出して、辺り一面を覆う。
濃密な漆黒の靄が薄れて視界が開けると、魔法陣の中央には一人の男が立っていた。
真っ白な長髪。鋭く尖った二本角。縦に細長い猫のような瞳孔。尖った耳と爪。
そして圧倒的な魔力と存在感。あのアザゼルでさえ子供に思えるほどの濃密な魔力。顔の造形はギルバードそのものだが、中身は全くの別物だ。
冷汗がだらだら流れ、背筋がゾクゾクと震える。喉がからっからに乾いて、口の中が粘りつく。
俺は恐怖している。いや……この男を畏れている。
いつの間にか、魔法陣の六芒星の角にいた魔人達と教皇が膝をつき首を垂れていた。
わかってしまう。説明されずとも、理解してしまう。
魔人達が畏まり、主と仰いでいたこの男は……
「ふむ……存外悪くないな、ヒトの肉体も」
男の声音は、ギルバードより僅かに低く太い。コキリと音を鳴らして首を左右に振り、確かめるように手足や指先を曲げ伸ばす。そして、おもむろに首に巻かれていた隷属の首輪をまるで紙切れのように引き千切った。
「ご苦労だった、エドワウ」
「その名で俺を呼ぶな、ルクス」
アザゼルが立ち上がり、男をにらみつける。
二人の間にピシリと緊張感が漂う。男とアザゼルから放たれる殺気に、俺だけでなく魔人達すらも凍り付いたように身動きを止める。
「盟約は果たした。貴様にも果たしてもらうぞ」
「ふっ……良いだろう。あの島で、種が絶えるまで生きることを許そう」
男がそう言うとアザゼルは魔人達に目配せする。魔人達がアザゼルに近づくと、ジェシカの腕輪が光りだす。
「盟約を違えるなよ、ルクス」
アザゼルがそう言った次の瞬間、閃光とともにアザゼル達の姿は掻き消えた。
男はふと上空を見上げると、ふわりと浮かび上がった。いつの間にか背中に生えていた蝙蝠の羽に似た半透明の翼をばさりとはためかせると、男はあっという間に遥か上空へと飛び立った。
その場に取り残された俺は唖然として言葉も出ない。ハドリアーノは恍惚とした表情で空を見上げ、滂沱の涙を流して祈りをささげている。
神龍ルクス……ギルバードの身体を奪った、あの男がそうだと言うのか。
あの存在感は、同じ人とはとても思えない。角と翼の生えた人種なんていないのだから疑うべくもないのだが……。
アザゼルの狙いは、俺たちを利用して神龍ルクスを蘇らせることだった? いったい何のために? アスカの話では、神龍ルクスの神座に至る転移陣を破壊することが目的だったのではないのか? 盟約って……なんだ?
情報ガフソクシテイル。理解ガオイツカナイ。
混乱の境地に立たされ痛む頭を抱えながらも、仲間達が殺されることなく、魔人達が姿を消したことに安堵したその時だった。
遥か上空、もう豆粒ほどにしか見えないほどに舞い上がった神龍ルクスと呼ばれた男が、魔力を昂らせていることに気づく。その次の瞬間、ルクスの周りに小さな太陽かと思うほどにギラギラとした光を放つ巨大な火球がいくつも出現した。
ズゴオォォォォォンッッッ!!!!
目を疑う光景が目の前に広がった。
この大尖塔を中心に放射状に広がった聖都ルクセリオの西側半分が、林立する巨大な火柱と上空から落下した恒星のような炎塊によって消し飛んだのだ。
ついさっきまで美しい街並みが広がっていた聖都は、炎塊が衝突したことで形成された噴火口に似た幾つもの窪みで覆い尽くされ、溶けた岩で真っ赤に染まっている。火柱は渦を巻いて立ち上る火炎旋風と化し、聖都の東側へと街を破壊しながら進んでいく。人々の阿鼻叫喚の声が、この大尖塔の上にまで聞こえてきた。
ほんの一瞬で、世界の中心の都は崩壊した。どれだけの命がこの一瞬で失われたのか想像もつかない。
俺はただ唖然として、この光景を眺めていることしかできなかった。
「あ、あ、あぁぁ……」
ハドリアーノが腰を抜かし、震える声で上空を指さしている。釣られて見上げると、二つの太陽が空に浮かんでいた。
そのうち一つが、だんだんと大きさを増していく。
神龍ルクスと呼ばれた男が放った巨大な炎塊が、この大尖塔に近づいて来ていたのだ。
死ぬ。
目の前の非情な現実に、冷静さを取り戻した俺はアスカのもとへと走る。両脚から血が噴き出しているが、痛みを感じない。脳が痛覚を遮断しているのだろう。
アスカのローブの袖口に嚙みついて捲り上げる。両手が手枷で後ろ手に拘束されたままなので、歯で捲るがうまくいかない。ようやく左手の袖を捲り上げるも目当ての物が無い。焦って右手の袖を捲り上げるも……やはり無い。
「アスカ! アスカ!! 目を覚ましてくれ!! アスカ!!!!」
龍脈の腕輪を! アスカッ!! 起きてくれっ!!
だが、アスカは目を覚ますことなく、俺の視界と意識は紅蓮に染まった。




