第395話 大尖塔の魔法陣
「ワールド・オブ・テラ……!!」
「そう。幾千の人の想いによって作られた虚構の世界。アルフレッド、お前は知っているのだろう? この世界は、虚構の写し絵、その成り損ないだということを」
アザゼルが笑みを浮かべたまま淡々と述べる。
「な、なぜ……なぜお前が、その言葉を知っている!?」
仲間達とクレア以外は、知るはずのない言葉。アスカがいた世界で何百万、何千万もの人々が楽しんでいたという物語の題名。それを、なぜアザゼルが……
「さてな。力無き者は、何も知り得ることは出来ない。真実を知りたければ抗え、アルフレッド!」
「うぐぁっ!!」
アザゼルが発動した『散らばる魔弾』が直撃し、弾き飛ばされる。回復魔法で止血した傷が開き、溢れるように血が流れ出す。
「ぐぅっ!」
止血しようと胸に当てた手を掴まれ、背中側に捻じり上げられる。必死で藻掻くものの、アザゼルの拘束から逃れられず、地面に押し付けられた。
「【吸魔】」
「うっ、あぁぁっっ」
頭を押さえつけられ、魔力がどんどん失われていく。手先が痺れ、酩酊したかのように頭がぐらぐらと揺れる。
「ははっ。魔力量だけは一人前だな。だが、もうお前には何も出来ない」
ガチャリと施錠をしたような音が鳴る。
「ぐっ……」
後ろ手に手枷をつけられたようだ。おそらく金属製の手枷だ。引きちぎろうとしてもびくともしない。
「【吸魔】が付与された手枷だ。これが外されない限り、お前の魔力が回復することは無い。それと……」
「うぐぅっ!!」
唐突に右脚に焼けるような痛みが走る。アザゼルが俺の太腿に剣を突き立てたのだ。
「ぐあぁぁぁぁっっ!!」
左脚にも剣を突き刺される。裂けるような激しい痛みに襲われ、堪えきれず叫び声を上げてしまう。
ガタガタと身体が震える。多量の出血で引きつけを起こしているのか。それとも、あまりの力量差に恐怖しているのか。
「最後の試練は終わりだ、アルフレッド」
アザゼルの腕が強い光を放ちだす。次の瞬間、俺は光の洪水にのみ込まれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
光が収まり、目を開くと俺は再び大尖塔の天頂へと戻っていた。床面に描かれた魔法陣の上で、魔人達が俺を見下ろしている。
そして、魔法陣の外側には、倒れ伏す仲間達の姿があった。
「ア、アスカッ……」
アスカは一見すると大きな怪我は無さそうに見える。だが昏倒しているのか反応を示さない。
「アリス! エルサッ、ユーゴーッ!! ローズッ!!」
エルサは両足があらぬ方向に折れ曲がり、ユーゴーは身体中に深い裂傷が刻まれている。アリスとローズは両手両足に槍を突き刺されたかのような傷が見て取れる。皆、後ろに手を回され金属製の手枷をつけられていた。
痛みを忘れ大声で呼びかけるも誰も返事をしない。最悪な想像が脳裏をよぎる。
「誰も死んではいませんよ、アルフレッド様。最低限の処置は施してあります」
聞き覚えのある声で呼びかけられ顔を向けると、神人族の神子ラヴィニアが感情の無い平坦な顔つきで俺を見下ろしていた。確かに、皆の胸は僅かに上下している。意識は無いようだが浅く呼吸はしているようだ。
生きてはいる……が、絶体絶命な状況だ。奇襲されたとはいえ、こんなにも簡単に追い込まれるなんて……。
魔法陣の上にいるのはラヴィニアとシルヴィア大森林に現れた魔人族の少女ジェシカ、海底迷宮の龍の間で待ち伏せしていたグラセール、そして不死者として蘇ったフラムとロッシュ。
魔人達は俺達の聖武具を手にしていた。ジェシカがユーゴーの風龍の聖剣を、グラセールはアリスの水龍の聖杖を、ロッシュはアリスの地龍の戦槌を、そしてラヴィニアはエルサの天龍の短杖を。
「フラム」
アザゼルは、いつの間にか回収されていた俺の火龍の聖剣をフラムに手渡す。聖剣を受け取ると、フラムは魔法陣の六芒星の一角に向かい直立した。他の魔人達も聖武具を手に、六芒星の角の上に立つ。
「よくやってくれた、アルフレッド。お前のおかげで守護龍たちの力を宿した聖武具が手に入った。感謝するよ」
「お、俺のおかげ、だと……?」
両脚の激痛を堪えながら上半身を起こし、アザゼルを見上げる。アザゼルの顔にはいつもの軽薄な笑みは無く、ぞっとするほどの怜悧な目で俺を見下ろしていた。
「守護龍は我らに加護を与えてくれた。だが、守護龍は自らが守護する種族にしか聖武具は与えない。だから、お前達に聖武具……守護龍の『祝福』を手に入れてもらったのさ」
「加護……祝福……?」
「ああ。各地の守護龍から加護を授かった。フラムは火龍イグニスから火魔法を操る力を。ロッシュは地龍ラピスから、ジェシカは風龍ヴェントスから、グラセールは水龍インベルから」
「授かった? 奪ったの間違いだろう?」
「いいや、授かったのさ。愛した者達に執着し、その血を引く者に加護と祝福を与える六角水晶塊。アレは守護龍の力そのもの。彼らから奪うことなど神ならぬ我らに出来はしないさ」
守護龍が愛した者達? その血を引く者? いったい、アザゼルは何を……何を言ってるんだ?
「さあ、お喋りは終わりだ。アルフレッド、お前はそこで世界の転変を見ているといい」
そう言い残し、アザゼルは六芒星の最後の一角の上に立つ。
「来い」
アザゼルがそう言うと、アーチ状の天井を支える柱の後ろから、人影が姿を現す。
出てきたのは怪しく黒光りする首輪を着け、虚ろな目をした男。俺によく似たダークブロンドの髪、グレーの瞳……
「ギ、ギルバードッ!!?」
なぜ、ここにギルバードが!? あの首輪は、隷属の魔道具か!?
チェスターから失踪したのかと思っていたが、魔人共に捕まっていたのか……。
「中央に立て」
ギルバードはアザゼルの命令に従い魔法陣の中央に直立する。その瞳には意思の片鱗は見られない。完全に精神を破壊されているように見える。
「儀式を始める。まずは火龍イグニスの加護と祝福を我が主に」
アザゼルがそう呟くと、フラムは俺の聖剣を捧げるように掲げた。
その直後、フラムの身体と聖剣から紅の光と魔力の波動が迸る。紅の光はやがてフラムと聖剣から離れ、小さな光の塊となった。
紅い光の塊はふわふわと中空を漂い、魔法陣の中央に立つギルバードの足元に吸い込まれる。魔法陣が、ぼんやりとした紅い光を放ちだした。
「フラム、ご苦労だった」
アザゼルがそう言うと、フラムの身体と剣は砂のようにボロボロと崩れ落ちた。
「地龍ラピスの加護と祝福を我が主に」
続けてロッシュの身体と聖槌が金色の光に包まれ、小さな光の塊が分離する。光の塊は、フラムの時と同様にギルバードの足元で魔法陣に吸い込まれる。
そしてロッシュと槌がボロボロと崩れ出す。ロッシュは最期に微笑みを浮かべ、アザゼルはゆっくりと頷いた。
「風龍ヴェントスの力をお返しするの」
「天龍サンクタス様の御力を我らが主に」
「我が主よ、水龍インベルの加護と祝福を受け取り給え」
ジェシカ、ラヴィニア、グラセールからも光の塊が離れ、魔法陣に吸い込まれていく。魔法陣は光の塊を吸い込むたびに輝きを強めていく。
「冥龍ニグラード、我が主の元に」
アザゼルの身体と指輪が惣闇色の光と強烈な魔力の波動を放つ。
あの指輪は、冥龍ニグラードから授かった聖武具なのだろうか。光が分離すると、その指輪もボロボロと崩れ去った。
紅から錆色に、錆色から暗緑色に。光の塊が吸い込まれるたびに色合いを変えていった魔法陣は、今や全てを飲み込むような漆黒の光を放ち、膨大な魔力を湛えている。
「龍を討ちし者の末裔を贄に捧ぐ。鎖を解き、顕われよ、神龍ルクス!」
アザゼルの鋭い声が響き渡ると同時に、魔法陣がビキリと大きくひび割れた。




