第387話 聖都へ
「アル兄様……」
父上の執務室を出ると、ドアの前でクレアが待っていた。クレアは見るからにやつれていて、化粧では誤魔化し切れないほどの薄黒い隈が目の下にこびりついていた。
「クレア……どうした? 大丈夫か?」
「……大丈夫ですわ」
明らかに食事を取れていないし、眠れていない様子だ。どう見ても大丈夫なようには見えない。
「少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
「ああ。ちょうど昼時だし、何か用意してもらおう」
俺は通りがかった馴染みの使用人にお願いして応接室を用意してもらい、軽食を頼む。
「アル兄様、ギルバード様は……」
テーブルに向かい合って座ると、クレアが躊躇うように口を開いた。
「……消息不明のままみたいだ。たぶん、ウェイクリング領にはいない。転移陣を使った形跡は無いらしいから王国内にはいるのだろうけど……」
「そう、ですか。利き腕を失う大怪我をされたというのにギルバード様はいったいどこに……」
クレアが俯いて、憂わしげな表情を浮かべた。心配で食事が喉を通らないのか、使用人が用意してくれた果物やバゲッドにも手をつけようとしない。
「……なあ、クレア。先の戦いやギルバードの怪我のこと、どこまで聞いている?」
「ジブラルタの王子殿下の命でオークヴィルを襲った傭兵団『鋼の鎧』と戦い、負傷されたとしか……」
「そっか……」
父上の意向でギルバードの一連の行いや、戦いの詳細は伏せられている。『鋼の鎧』に担がれそうになっていたとか、実の兄との確執だとか、ウェイクリング家の汚点になりそうなことを大っぴらには出来ないというのはわからなくもない。
ましてや今はジブラルタ王国との講和交渉中なのだ。取引のカードになりそうな事実を隠すのも当然だろう。
だが、一度はギルバートの婚約者でもあったクレアに今回の経緯を教えないのは、いくらなんでも不義理だろう。
それに、伏せられているとはいえ戦場にいた領兵達は俺とギルバードの戦いを目にしているわけだし、いつかは事実を耳にしてしまうだろう。誰かの口によって中途半端な情報が伝えられるぐらいなら、俺の口から経緯を伝えたい。
「クレア、今から話すことは父上が隠している情報だ。口外しないでくれるか?」
「え……あ、はい」
クレアが戸惑いながらも深く頷いた。
俺はクレアに今回の動乱について、順を追って説明していく。
『鋼の鎧』が戦場を求めてジブラルタ王国とセントルイス王国の間に戦争を起こそうとしたこと。そのためにフィオレンツォとギルバードに近づいたこと。
フィオレンツォがジグムントの誘いに乗り、オークヴィル襲撃の依頼をしたこと。俺達がジブラルタ王国軍とウェイクリング領兵軍の双方を、武力をもって押さえ込んだこと。そして……
「ギルバードの利き腕を奪ったのは俺だ」
「そ……そうだったのですか……」
「その時はギルバードがオークヴィル襲撃の依頼をしたと思っていたんだが、後の調べでギルバードは『鋼の鎧』の誘いには乗っていなかったことがわかった。ギルバードを疑った俺の過失だ」
クレアは何かを言おうと口を開いたが、言葉を飲み込み、涙をためた瞳を俺に向けた。
「オークヴィル襲撃の実行犯が『鋼の鎧』だと知っていながら隠していたことを、父上は問題視している。ギルバードは後継者だけではなく、騎士を続けることも許されないだろう。おそらくギルバードはそれをわかって、全てを捨てて自ら旅立ったんだ。もう、ウェイクリング領に戻るつもりはないだろう」
「そう、ですか……」
クレアは顔を真っ青に染めて、震える手で口元を覆う。ギルバードとクレアは、俺と同じく幼い頃からの仲であり、一時は婚約者でもあったのだ。そんなギルバードが出奔したと聞き、溢れてくる感情を必死に抑えようとしているように見えた。
「ギルバード様は……」
しばらくの間、押し黙っていたクレアがぽつりと呟く。
「ギルバード様は……平民出身と蔑まれるわたくしを、一人の淑女として扱ってくださいました。いつもわたくしを婚約者として、大切にしてくださいました。それなのにわたくしはアル兄様の婚約者に戻れたことを喜んで……ギルバード様を傷つけてばかりで……」
ギルバードは『クレア嬢に慕われるお前が妬ましかった』と訴えていた。クレアも、一人の女性としてギルバードに想われていることに気づいていただろう。
「俺がギルバードを追い詰めたんだ。たった一人の同腹の弟を信じることが出来ずに……」
そうか、クレアも同じなんだ。
ギルバードはクレアを懸想していた。だからといってクレア自身は婚約者を選ぶことなど出来ない。俺を慕ってくれるクレアがいなくなるわけじゃない。
ギルバードは俺に劣等感を感じていた。だからといって騎士として戦いを挑んできたギルバードに手を抜いてやるべきだったか? そんなわけにはいかない。
俺達にはギルバードを傷つけることしか出来なかったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「気をつけてな、アル」
「ああ。ヘルマンさん達とセシリーさんを頼むな」
デールが突き出した拳に、コツンと拳をぶつける。
「あちし達に任せとくニャ」
「もう二度とヘマはしないわ」
エマが無い胸を張って笑みを浮かべ、ダーシャは決意に満ちた表情で頷いた。さすがにジブラルタ王国の連中が再び攻めて来るってことは無いだろうし、Bランクパーティの『火喰い狼』がいればオークヴィルは安心だ。
「今度、お前達が来るまでには山鳥亭を復活させとくから楽しみにしとけよ。なっ?」
ヘルマンさんがマーゴさんの肩に腕を回してニヤリと笑う。
「はい。必ずニコラスさんとキンバリーさんの『羊肉のクリームシチュー』を再現してみせます」
マーゴさんは真剣な面持ちでシチューのレシピが書かれた羊皮紙をギュッと握りしめた。ちなみに、このレシピは俺とアスカから進呈したものだ。以前、腕相撲対決でニコラスさんに勝利して受け取った戦利品だが、これはこの地にあるべきだろう。
チェスターに行った帰りに、俺は避難していたヘルマンさん一家をオークヴィルに連れて来た。レスリー先生から連れて来て欲しいと依頼されていたのだ。
オークヴィルの復興には、鍛冶技術を持った人材が必要不可欠だ。ヘルマンさんの加護は【革細工師】だから、金物や木材の加工を得意としているわけではないが、出来ないわけじゃない。ヘルマンさん曰く、スキルが無くとも知恵と技術があれば作れない物はないのだそうだ。
そして、マーゴさんは領兵の詰所で【調理師】として働きつつ、夫のヘルマンさんを支えることにしたらしい。
ゆくゆくはオークヴィルに移り住んでから何度も足を運んだ『山鳥亭』を再建し、店主として腕を振るいたいんだとか。店主のニコラスさんと女将のキンバリーさんのシチューを是非復活させて欲しいものだ。
ちなみにジェシー達子供組は、チェスターに置いて来ている。住む家が出来るまでは、ヘルマンさんの第一夫人と一緒にチェスターで宿屋暮らしをするのだそうだ。とっとと家を建てて、呼び寄せてやってくれヘルマンさん。
「アルフレッドさん、本当にありがとうございました」
「もう御礼は十分ですよ、セシリーさん。皆さんから何度も感謝の言葉をもらいましたから」
セシリーさんはオークヴィルの復興のため、レスリー先生の補佐官を務めることにしたそうだ。商人ギルドの才媛として活躍していたセシリーさんなら、代官のレスリー先生の力になってくれるだろう。
「じゃあね、セシリー。元気でね」
「アスカさんも、お気をつけて。また、オークヴィルに来てくださいね」
「……うん。またね、セシリー」
セシリーさんとアスカが抱きしめあう。
アザゼルを倒したら、アスカは元の世界に戻ってしまうかもしれない。これが……今生の別れになるかも知れないんだよな……。
「じゃあ行こうか、みんな!」
「おう」
アスカが零れ落ちそうな涙を隠すように後ろを向き、片手を上げる。ほっそりとしたアスカの右手首を飾る『龍脈の腕輪』が強い光を放った。




