第376話 叛逆者
ジブラルタ王国軍の兵士達が、悄然と肩を落として街道を下っていく。鬨の声を上げ、戦意を漲らせていた姿はもうどこにもない。
「なんとかなったわね!」
「そうだな。これで無駄な血が流れることだけは避けられる」
ジブラルタ兵は誰一人傷つけずに済んだ。フィオレンツォには痛い目を見てもらったが、受傷した直後だし千切れた脚もあるのだから、優秀な癒者がいれば接合することもできるだろう。後遺症は残るかもしれんが死ぬことはない。
「アリスのスキルはすごいわね!」
「魔石さえあれば、軍隊だって相手取れる。破格なスキルだよな……」
「えへへ」
Bランクの魔物は兵士200人程度の中隊、Aランクは500人程度の大隊の戦力と匹敵する。Bランクの地竜とAランクの白銀人形の魔石はちょうど12個ずつ持っているから、合わせて7,8千人程度の軍を相手どれるというわけだ。他の魔石も合わせれば、1万人ぐらいまでならいけるかもしれない。
とは言え、これは兵士1人をD,Eランクの魔物と同程度の戦力を有すると想定した場合なので、抜きんでた実力者が敵軍にいた場合はその限りでは無い。もし、ジブラルタ王国が多くの探索者達とともに万を超える軍を率いて反撃して来たら、俺達に止めることは出来ないだろう。
それに召喚した魔物には、ざっくりとした命令は出来るけど、細かい指示ができるわけではないようだ。戦いの時には魔物が持つ本能のままにやらせるしかないため、優秀な指揮官が魔物の弱点を突く戦術を用いてくればあっさりとやられてしまうかもしれない。
「次は……ウェイクリング領兵軍を追い払わないとな」
ジブラルタ王国とセントルイス王国が本格的に衝突したら、俺達にはもうどうすることも出来ない。そうなる前に、この火種を消す。身内が引き起こした不始末を片付ける。そして、ジブラルタ女王と父上を引き合わせて、講和に持ち込まなければならない。
まずはパルマノヴァの砦の前に陣取っている凡そ3千人ほどの領兵軍を撤退させる。
こうしている間にも、チェスターには王国中から兵達が集まって来ているだろう。ジブラルタ女王とはまったく接点が無かったから、どう出てくるか予想もつかないが、普通に考えれば軍備を整えて海軍でチェスターを攻略しようとするだろう。
「じゃあ人形達は戻していいです?」
「ああ。予定通り海竜だけは残して、アスカ達を迎えに行ってくれ」
アリスはコクリと頷くと、魔物達に触れる。魔物達は光球へと変わり、収束して魔石へと還っていった。
「はい! 行ってくるのです!」
「アルも気を付けるのよ!」
「ああ、頼んだ」
アリスとローズが海竜に乗り、飛び立っていく。
「さあ、行こうか、エース」
「ブルルゥッ」
俺はエースに騎乗し、ウェイクリング領兵軍の方へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そこで止まれっ!」
ウェイクリング領兵達からは、槍衾をもって迎えられた。
そりゃそうだよな。ジブラルタ王国軍を追い払ったとは言え、俺達は魔物の群れを率いて現れた不審者だ。おいそれと自軍に近づけるわけにはいかないだろう。
俺はエースから降り、両手をあげて敵意が無いことを示す。
「アイザック・ウェイクリング辺境伯の長子、アルフレッド・ウェイクリングだ! 司令官と話がしたい!」
俺の言葉を聞いて、領兵達がざわめく。
「長子って森番の?」
「言われてみれば、ギルバード様に……」
「魔人殺しか」
「紅の騎士だ!」
「後嗣って噂が……」
どうやら俺の存在も、ある程度は知られているようだ。『紅の騎士』とか『魔人殺し』なんて二つ名で呼ばれるのは微妙な気分だが。ウェイクリング家を追い出された【森番】のままだったら、追い払われるだけかも知れなかったから、良かったのかな……。
少し待っていると、領兵達を割って冷めた表情のギルバードと体格の良い央人の男が歩み出たきた。ギルバードはいつもの白銀の鎧を身に着けているが、央人の男の方は黒鉄の胸鎧を装備している。
おそらくこいつは、騎士ではなく傭兵。領兵軍の司令官であるギルバードと並んで出てくるあたり、ずいぶんと信頼を得ているようだ。
「久しぶりだな、ギルバード」
「ああ。あれから1年ほどになるか」
ギルバードと最後に会ったのは、ウェイクリング家の屋敷の裏庭だった。一方的に模擬戦、というか決闘を挑まれ、苦悩を吐露された。
少年時代からずっと俺に対して劣等感を抱いていたこと。騎士の加護を授かり次期後継者となってからも、俺と比較され続けたこと。父上からも母様からも期待されていないと苦しんでいたこと。ギルバードの悲痛な叫びは、今も耳にこびりついている。
そして、今。父上は俺にウェイクリング辺境伯領を継がせると明言し、国王陛下ですら後を継いだ俺に王女を嫁がせるおつもりでいる。俺は『旅が終わった後に』と回答を先延ばしにしているつもりだが、周囲はそうは捉えていないだろう。
ギルバードにとって俺は、長年鬱屈した感情を抱いていただけではなく、一度は掴んだ後嗣の座と婚約者を奪った相手だ。同腹の兄弟ではあるが、1年ぶりの再会を喜び合うような雰囲気など全くない。
「アルフレッド、いったい何のつもりだ」
まるで仮面を張り付けたような冷然とした顔で、ギルバードが淡々と語る。
「この戦はオークヴィルの弔いだ。ウェイクリング領の誇りをかけた戦いなのだ。貴様が戯れに掻きまわして良い戦場ではない」
ギルバードの言う通りではある。たった二日前までは、俺もこの戦いに介入するつもりなど全く無かったのだ。
一夜にして惨殺され、焼き尽くされたオークヴィルの住人たちの無念と屈辱を思えば、ジブラルタ王国への報復を止めることなど出来ないと思っていた。ウェイクリング領を離れた俺に、戦を止める権利など無いと思っていた。
だが……
「どの口がそれを言うんだ……ギルバード。オークヴィルの弔いだと? ウェイクリング領の誇りだと? お前にそれを言う資格など無い!!」
俺の怒声に、一瞬だけ気圧されたようにギルバードの顔が歪む。
「オークヴィルの仇を返すべき相手は、ジブラルタ王国だけではない。そうだろう、ギルバード」
「なんだと……」
ギルバードの後ろで、兵士たちが騒めく。
俺の言葉を聞いたからではない。兵士達の背後から、飛び去ったはずの海竜が再び現れたからだ。
飛翔する海竜の下で、四騎の騎馬が疾駆する姿が見えた。エルサとアスカ、ユーゴー、そして二人の男が騎乗している。
「アイザック・ウェイクリング辺境伯の長子、アルフレッド・ウェイクリングが命ずる! 竜と騎馬には手を出すな!!」
弓や杖を向けていた兵士達を怒鳴りつける。
「私の命に背くことは、ウェイクリング辺境伯、ひいてはセントルイス王陛下に弓引くことと心得よ!!」
俺の怒号に、兵士達は慌てて武器を下ろした。
「チッ……」
領兵達を避けて大回りで近づいて来たアスカ達を見て、傭兵の男が舌打ちする。
そうか。纏う雰囲気から一角の戦士だとは思っていたが……やはりコイツが傭兵団の長か。
「『鋼の鎧』団長ジグムント、そしてギルバード・ウェイクリング。武装を解除しろ」
「なにを……」
「オークヴィル襲撃を企てた疑いで、お前達を拘束する」
俺は火龍の聖剣を引き抜き、叛逆者達に剣先を向けた。




