第375話 フィオレンツォ・ジブラルタ
フィオレンツォが射殺さんばかりの目つきでローズを睨みつける。初めて海底迷宮の30階層で会った時のように、気障ったらしい笑みを浮かべる余裕は無いようだ。
「ずいぶんな挨拶だな、ロゼリア! ジブラルタ王国、王位継承順位第一位の私に対し、言うに事欠いて逆臣だと? 何の根拠があって、そのような世迷いごとを言っている!」
フィオレンツォは、唾を吐き散らしつつ怒声を上げた。まあそうだよな。想定通りの反応だ。
さて、ローズに替わって俺が応じよう。さっきは予め決めていた啖呵を切らせたが、討論となるとさすがにローズには荷が重い。まあ、俺も弁が立つわけではないが、ローズよりはマシだろう。
「フィオレンツォ・ジブラルタ! 『鋼の鎧』の傭兵が、貴様からウェイクリング領オークヴィルの襲撃を依頼されたと証言している! 無辜の民を一方的に惨殺した貴様の行いは、平和を願うジブラルタ女王陛下の施政に、そして種族間の争いを嘆いた神龍ルクス様のご意思にも背くものだ! これを逆臣と言わずしてなんと言う!」
俺はジブラルタ兵達に聞こえるように大声で反論する。俺の発言を聞き、兵達の間でどよめきが起きた。
オークヴィルを襲われたと言いがかりをつけ、ジブラルタ王国領に侵攻してきたウェイクリング領兵軍を追い返す……と彼らは聞いていただろう。だとしたら、俺の発言は彼等の言い分を根底から覆すものなのだ。
「ならば、その証拠を見せよ! 一傭兵の発言など信ずるに足りぬ!」
「貴様に証拠を提示する必要などない! 逆臣フィオレンツォ、貴様が選べる道は二つだけだ! 兵を引きジブラルタ女王陛下の裁きを受けるか、守護龍の代弁者たる我らの裁きを受けるか、そのどちらかだ!」
俺達はなにも討論をしに来たわけではない。証拠を提示してフィオレンツォを論破する必要なんてない。
ここに来たのはジブラルタ王国とセントルイス王国との種族間の戦争を止めるためだ。兵を引かずに俺達と戦うと言うなら致し方ない。本意では無いが……たとえ力ずくでも止めるまでだ。
「ぐっ……」
フィオレンツォは、ぐにゃりと顔を歪めて俺達を睨む。蜥蜴顔の海人族の表情からは感情が読みづらいが……おそらく憤怒と焦燥といったところか。
「……黙るがいい! 神龍ルクス様、そして守護龍の従者たる勇者の名を騙る不信人者め! 皆の者、彼奴等こそ叛逆者! 彼奴等こそ神敵だ! 前人未到の海底迷宮を踏破したと嘯き、あまつさえ勇者の名を騙り、我らを逆賊と貶める詐欺師を許してはならん!」
そうか……。お前はオークヴィルの民だけでなく、自国の兵やクランの仲間でさえ、自身の欲望と保身に巻き込むのか……。
俺はローズに目配せをする。ローズは俺の意図を察し、ゆっくりと頷いた。さあ、フィオレンツォ。これが最後通告だ。
「なら、勇者の力を見せてあげるわ! 海人族の守護龍、水龍インベル様の名を冠する神具の力を!」
ローズが海龍の頭の上で、聖杖をくるりと廻し天にかざす。
「震え凍えよ―――」
ローズの詠唱とともに聖杖から膨大な魔力が噴き出し、無数の氷矢が浮かび上がる。聖杖に込められた第7位階の水属性魔法【氷雨】、その全ての鏃がフィオレンツォへと向けられる。
「―――水龍の聖杖!」
ローズが聖杖をふわりと振り下ろす。
「う、うわぁぁぁぁぁっ!!!」
フィオレンツォは、悲鳴を上げながらも盾を掲げ、頭を庇う。
だが、ローズは初めからフィオレンツォに当てるつもりなど無かった。全ての氷矢を完璧に制御し、フィオレンツォの周囲に次々と氷矢を振らせていく。
氷の雨が止んだ後、フィオレンツォの周りには、無数の氷矢がまるで剣山のように突き立っていた。ジブラルタ兵の誰一人にも、氷矢は当たっていない。
「なっ……水魔法!?」
「ロ、ロゼリア殿下は【導師】だったはずだよな!?」
「だとしたら、あれは本当に水龍様の……」
「勇者様……?」
ジブラルタ兵達のどよめきがどんどん大きくなっていく。
ローズが扱えるはずのない水属性の大魔法を発動した。それが意味することは、ローズが新たな加護を授かったか、ローズが持つ杖が水龍インベルから授かった聖武具であるかのどちらか。いずれにせよローズが水龍インベルからなんらかの力を授かったことは間違いないと、目の前で見せつけられたのだ。
つまり俺達が神龍と守護龍の代弁者を名乗っていたのは真実だということになる。だとすれば、オークヴィルを襲撃して、神龍の意思に背き、女王の施政に反したのはフィオレンツォだということもまた真実なのではないか。ジブラルタ兵はそう思ったことだろう。
実際のところ、俺達は『守護龍の代弁者』などではないし、女王の施政方針など知らない。守護龍から聖武具を授かった龍の従者であることは間違いないし、女王も戦争など望んではいなかっただろうから全てが噓と言うわけでもないが、真実ではない。
だが、ジブラルタ兵にはそんなことはわからない。自軍の長がオークヴィルを襲撃し、この戦争のきっかけを作ったという話が真実味を帯び、重くのしかかる。
「聞きなさい、我がジブラルタ王国の忠実なる戦士達よ!」
ローズが海竜の頭から飛び降り、ジブラルタ兵達に近づいて行く。
「はっ」
先頭にいた兵が跪くと、その他の兵達も次から次にそれに倣っていく。逃走した傭兵達と一部の兵を除く、約2千もの兵がローズに首を垂れた。
「これから私は、火龍イグニス様の従者であるアルフレッドとともにパルマノヴァの砦に赴き、ウェイクリング領兵軍に進攻を止めるよう交渉します。貴方達はトラヴィスの町まで撤退し、以降は王命があるまで待機しなさい。町の専守防衛以外、一切の戦闘行為を禁じます。いいですね?」
「はっ!」
ジブラルタ兵達の先頭で跪く大隊長らしき人物が、ローズの命令を受け入れた。
「ふ、ふ、ふざけるな……」
ただ一人、膝をつかずに呆然と立ち尽くしていたフィオレンツォは、ぶるぶると怒りをこらえるように震え、絞り出すように声を上げた。
「ふざけるなぁ――――っ!!」
フィオレンツォが逆上し、騎士剣を手にローズの元へと突進する。ローズはそれを横目に見て、溜息をついた。
「お前さえいなければ! お前さえいなければ! 死ねぇ―――っ!!【剛・魔力撃】!!」
フィオレンツォは、俺達がジブラルタ王国に来るまでは最も深く海底迷宮を踏破し、王位継承の最有力候補であった剣士だ。俺の【威圧】が効いていなかったことからも、おそらく40台後半の身体レベルを持つ実力者だ。
「【光の盾】」
だがローズには通じない。第5位階の光の障壁を、即座に発動したローズは、フィオレンツォが振り下ろした騎士剣を易々と受け止める。
「なっ!?」
「【魔弾】」
「ぐあっ!」
ローズは光の障壁を解除し、ほぼ同時に魔力弾を放つ。フィオレンツォは人の頭ほどの大きさの魔力弾を真正面からぶつけられ、吹き飛ばされた。
「【聖槍】!」
「うぐぁぁぁぁっっ!!! いだいっ、いだい、いだいぃぃぃっ!!」
続けて放たれた光の槍が、フィオレンツォの右脚に深々と突き刺さる。フィオレンツォは骨が断たれて千切れかけた右脚をおさえ、ゴロゴロと転がり悶え叫ぶ。
「【魔弾】」
明らかに戦闘不能状態のフィオレンツォに、ローズはさらに追撃する。衝撃で弾き飛ばされ、右脚が千切れる。フィオレンツォは意識を手放し、死にかけの虫のようにピクピクと痙攣した。
ジブラルタ兵達は容赦の無い攻撃に言葉を失くし、静まり返った。
「逆臣フィオレンツォを捕らえ、王都マルフィに送還しなさい」
「はっ!」
ローズがフィオレンツォをここまで執拗に追い詰めたのは、ジブラルタ兵達の逆らう気力を完膚なきまでに削ぐためだ。『龍の従者』に逆らってはならない。それを心根に深く刻み、心胆にまで知らしめるために。




