第374話 守護龍の名において
ズゥン……ズゥン……
白銀人形と地竜が大地を踏みしめる足音が、シエラ山脈の山腹に響き渡る。斬馬刀や大斧を肩に担いだオーガとゴブリンキング、大樹を思わせるほどの巨大な棍棒を引きずるトロルキング、体高3メートル全長5メートルを超す巨体を誇る地竜の群れ、そして白銀に輝く巨大な人形がジブラルタ王国軍にじわりじわりと近づいて行く。
ジブラルタ王国軍は極度の混乱に見舞われた。兵士達は腰を抜かし、恐怖にかられた軍馬が暴れ、見切りの早い傭兵達は一目散に逃げだした。
それも当然のことだろう。
ここにいる地竜・水竜・オーガは災禍級のBランク、海竜・ゴブリンキング・トロルキング・白銀人形は天災級のAランクの魔物なのだ。
Cランクの魔物でさえ災害級と呼ばれ騎士団の小隊で討伐に当たるのが普通なのだ。Aランクの魔物ともなれば1体でも大隊規模の派遣が必要なのに、それが10体以上も現れたのだ。3千人程度の連隊では、とても太刀打ちできないことぐらい容易にわかるだろう。
極めつけは海竜と水竜だ。海運業を主たる産業とする海人族にとって、海竜や水竜は深海より突如として現れ、海流を操って船を沈める悪魔であり、破滅と恐怖の象徴ともいえる魔物なのだ。
「キュルアァァァッ!!」
「ひっ、ひいぃぃ!!」
「や、やべえ」
「こんなの、付き合ってられるか!」
「ま、待て! にに逃げるな!!」
ジブラルタ王国軍を率いるフィオレンツォ王子にとっても、目の前の光景はまさに悪夢と言えるだろう。上空から戦場を睥睨する海竜は、自身のクラン『青の同盟』の主力3パーティがかりでやっと倒した魔物なのだ。
そのうえ『青の同盟』が未だ到達できていない階層の階層主であるゴブリンキング・トロールキング・白銀人形までもが揃って自軍に迫り来る。しかも白銀人形に至っては6体もいるのだ。
その場に踏みとどまっているだけでも大したものだ。いや、海竜の雄叫びに気圧されて固まっているだけなのかもしれないけど。
「んふふ。うまくいったのです」
「ああ、まずは予定通りだな。アリス、そろそろ海竜を降下させてくれ。エース、その隣りに」
「はいなのです!」
「ブルルゥッ」
ローズを頭の上に乗せた海竜が地表近くへと降下し、エースに乗った俺とアリスがその隣りに並ぶ。ジブラルタ王国軍はもう目と鼻の先だ。
「は、放てっ!!」
ジブラルタ王国軍も腰を抜かすだけの腑抜けだけじゃなかったようだ。号令の声と共に、数百人の弓使いと魔法使いが放った火矢と火球が俺達に殺到する。海竜の弱点属性を突く、冷静で効果的な攻撃だ。
「【光の大盾】!」
「【光の大盾】!」
だが、これも想定通り。俺とローズが魔力盾をほぼ同時に展開し、矢と魔法の全てを受け止めた。
渾身の斉射を受けても俺達が無傷なことに、ジブラルタ兵達は愕然としている。『ジブラルタ王国軍の攻撃など全く通用しない』と見せつけるために囮として先行したのだが、効果は覿面だったようだ。
実際のところ俺達に防がれてさえいなければ、防御力の高い白銀人形以外になら多少のダメージを与えられたもしれない。だが、こうもあっさり防がれたら、何をやっても俺達の進行は止められないと思ってしまうだろう。
「ひっ、や、やっぱりダメだ!」
「おお俺は逃げるぞ!」
「うわぁぁぁっ!!」
傭兵が次々と背を向ける。兵士の中にも逃げ出す者が現れ始めた。
「海竜、吠えるのです!」
「キュルアァァァッ!!」
「【威圧】!」
Aランクの魔物ともなると、そのレベルは40を超え、スキルではないただの咆哮であっても強烈な圧迫感がある。それに合わせて【威圧】を放つことで、大半の兵士は恐慌状態に陥った。傭兵部隊はほぼ総崩れだ。
さて……脅しはこのへんでいいかな。
「聞け!!」
【挑発】を発動して注意を引きつけつつ、腹の底から大声を出す。『恐怖』状態の兵士達が、ガチガチと歯を鳴らしながら俺達に釘付けになった。さあ出番だよ、ローズ。
「我が名はロゼリア・ジブラルタ! 海底迷宮の踏破者にして海人族の勇者だ! 死と再生を司る守護龍インベルの名において命ずる! 逆臣フィオレンツォ・ジブラルタよ、我が前に出でよ!!」
ローズの朗々たる声が戦場に響き渡る。
「迷宮……踏破!?」
「守護龍様の名を!」
「逆臣って……」
海底迷宮を踏破を宣言したこと、守護龍の名を用いたこと、そしてフィオレンツォ王子を逆臣と呼んだことに、ジブラルタ王国兵の間で動揺が広がる。
龍の名をみだりに唱えてはならない。これは世界の常識だ。神龍や守護龍の名を用いた宣言は、その身命を賭けなければならない。
守護龍の名を用いて命令を下すなど、例え大貴族や王族であっても軽々しく行うことはできない。これは発言に嘘偽りや誤りがあれば、自らの命をもって償うと宣言したと同義なのだ。
そして自らを『海底迷宮の踏破者』と『勇者』と名乗ったことも、海人族にとっては大きな衝撃だろう。
俺達は海底迷宮の踏破を成した直後に、王都マルフィから脱走している。おそらく、ここにいるジブラルタ兵達は俺達が海底迷宮を踏破したことなど初耳だろう。
過去に海底迷宮を踏破し、守護龍の天啓を受けて勇者となったのは、ジブラルタ王家の中興の祖と呼ばれる名君ガリバルディ・ジブラルタのみ。
『不義の子』と軽視されていたロゼリア・ジブラルタが、アナスタージア第一王女やフィオレンツォ第一王子を差し置いて、海人族の勇者ガリバルディに並び立ったと守護龍の名を用いて宣言したのだ。
『守護龍の名』で『勇者』が、自分達を率いるフィオレンツォ王子を『逆臣』と呼んだ。それはつまり、自分達が『逆臣に率いられた逆賊』であると言われたも同然なのだ。その衝撃は推して知るべしだろう。
「繰り返す! 守護龍インベルの名において命ずる! 逆臣フィオレンツォ・ジブラルタよ、我が召喚に応えよ!!」
魔物の群れを用いてジブラルタ王国軍を脅し続けたのは、フィオレンツォ王子を引っ張り出して即時撤退を命じ、無益な争いを止めるためだ。
俺達が本気を出せば、ジブラルタ王国軍を蹂躙することも容易い。このまま魔物達を正面からぶつけるだけでも、ジブラルタ兵達を壊走させることは可能だ。俺やアリスの聖武具で広域魔法を発動すれば、皆殺しにすることだって出来るだろう。
もちろん、そんな事をしたくはない。だがここで両軍の衝突を止められなければ、セントルイス王国とジブラルタ王国の総力を挙げての戦争に発展してしまう可能性だってある。
ならばここで3千名の兵士を俺達が殲滅し、ジブラルタ王国に『龍の従者たちを敵に回すくらいなら全面降伏したほうが良い』と思わせることも、選択肢の一つとして考えていた。それが結果として、戦死者を最小限に抑えることになるかもしれないから。
「来たか……」
動揺し石のように固まっていたジブラルタ兵達が左右に分かれ、道を開く。その先から憤怒の形相でローズを睨みつけるフィオレンツォ王子が現れた。




