第373話 前線へ
ギルバード率いる連隊が占領したパルマノヴァの砦は、オークヴィルの焼け跡から約30キロほど西に向かった、シエラ山脈の山腹に位置している。周辺の集落や街道の治安維持のために築かれた要塞で、急勾配の山を背にしているため東側は比較的守りが堅い。
ジブラルタとウェイクリング領をつなぐ街道に面しており、東側以外はなだらかな傾斜の野原が広がっている。街道が通っていることもあり往来がし易く、さほど防衛に向いているとは言えない。だからこそ、砦に駐留していた数百人のジブラルタ兵は、ウェイクリング領兵軍の姿を見るなり防衛を放棄して撤退したのだろう。
そして今、パルマノヴァの砦のすぐ近くにまで、約3千のジブラルタ王国軍が駒を進めていた。対するウェイクリング領兵軍も砦から打って出て、野原にて迎撃する構えを見せている。
兵数はほぼ同じ。ウェイクリング側に高所の利はあるが、さほど高低差もないため用兵によって戦いはどう転ぶかはわからない。既に両軍からは盛んに鬨の声が上がり、今まさに戦端の幕が切って落とされようとしていた。
「ん? なんだあれは……?」
「馬が空を走ってる!?」
「天馬ぁ!?」
「おい、背に人が乗ってるぞ!?」
ウェイクリング領兵軍の上空を通り過ぎると、足元から困惑した声が聞こえてきた。さすがに声は聞こえないのが、ジブラルタ王国軍側にも動揺が広がっているように見える。
「なんとか間に合ったわね!」
「ぎりぎりだったのです!」
「油断するな。弓兵から狙われているぞ。エース、無理をさせたな。両軍の真ん中あたりに下りてくれ」
「ヒヒンッ!」
昨夜、シエラ樹海の深部に突然エースが下り立った時には本当に驚いた。
ジブラルタ王都マルフィからシエラ樹海までは、直線距離でもおよそ千キロ以上も離れている。王都マルフィの王の塔から逃げ出したのは、たった3日前の昼。丸二日ほどの短い時間で少なくとも千キロを走破し俺達の元へと辿り着いたのだ。逞しくなったとは思ってはいたが、とんでもない成長ぶりに驚くばかりだ。
エースはマルフィに置いて行かれたことにかなり怒っていて、感動の再会かと思ったら俺は何度も咬みつかれた。アスカが状況を話したら渋々ながらも納得してくれたのだが……。契約上は俺の従魔のはずなのだが、アスカが主人のような気がしてならない。
「それで、ワタシはジブラルタ王国軍を止めればいいのね!?」
「ジブラルタ王国軍というかフィオレンツォ王子を、だな」
「アリスは軍を止めるのです!」
「ああ。この無益な戦いを止められるかどうかはアリスのスキルにかかってる」
エースに乗ってここまでやってきたのは、俺とアリス、ローズの3人だけだ。他のメンバーは陸路で山越えし、パルマノヴァの砦に向かっている。今頃はオークヴィルで馬を借り、山道を駆けているだろう。
ジブラルタ王国とウェイクリング辺境伯の戦争に介入するつもりはなかったが、状況が変わった。この戦いはなんとしても止めなくてはならない。
「さあ、のんびりはしていられないみたいだ」
有翼有角の白馬に乗って突然現れた俺達は、目論見通り向かい合う両軍の注意を引きつけることができた。両軍のちょうど真ん中に降り立った俺達に困惑し、今は出方を窺っているが、そう長くは待ってくれないだろう。どちらかが動き出せば、俺達など気にせずぶつかり合うに違いない。
「アリスに任せるのです!」
「ああ、頼んだよ」
俺はアスカから預かった王家の魔法袋から、深い水底を思わせる青い魔石を取りだして、アリスに手渡す。アリスはその魔石を壊れ物を扱うようにそっと両手で持ち、目を閉じた。
「いくのです……【人形召喚】!」
アリスのスキル発動と共に魔石から青い光がほとばしる。光は巨大な光の塊となり空に昇っていき、球体から円環に、円環から螺旋へと形を変えていく。
そしてカッと一際激しい光を放つと、俺達の頭上に巨大な海蛇のような魔物が現れた。蛇を思わせる長い身体に二対四枚のヒレのような羽を持つ上級竜種、海竜だ。
「キュァァァァァァッ!!」
雄叫びを上げる海竜に、両陣営から悲鳴が上がる。特にジブラルタでは帆船を沈める海上の悪魔として、そして海底迷宮で長く海人族の攻略を阻んでいた階層主として畏れられていたAランクの魔物なのだから、思わず悲鳴を漏らしてしまうのも無理はない。
「さあ、続けて行こう」
「はいなのです! 【人形召喚】!」
俺は魔法袋から先ほどより一回り小さく、やや透明度の劣る水竜の魔石をアリスに数個手渡す。アリスは即座に【錬金術師】のスキル【人形召喚】を発動し、今度は水竜が空中に現れた。
【人形召喚】は魔石を使用し、その魔石を持っていた魔物を召喚するスキルだ。魔石に宿る魔力を消費しきるまで召喚者の従魔として活動し、魔力が無くなると空っぽの魔石に戻る。
魔力を注ぎ込めば再び魔石として使用することも出来るが、最初に使用したときほどは魔力を込められないので召喚の持続時間は減衰するし、何度も使用すれば崩壊してしまう。それでも、魔石さえあれば繰り返し従魔を召喚できるのだから、かなり有用なスキルと言えるだろう。さすがは全ての生産職の最上位加護【錬金術師】のスキルだ。
「【人形召喚】!」
「グルォォォッツ!!」
「キュアァァァッ!!」
「ゴアァァァッッ!!」
俺は次々とアリスに魔石を手渡し、アリスもどんどん召喚スキルを発動する。海竜が1体に水竜が3体、オーガ1体、ゴブリンキング3体、トロルキング1体、白銀人形6体、そして極めつけに地竜12体。地竜はガリシアの『地竜の洞窟』産、それ以外は全て『海底迷宮』の階層主だ。
迷宮転移石を落とす階層主は魔石を稀にしか落とさないので、オーガ・海竜・トロルキングはそれぞれ1体ずつしかいない。かわりに末尾に5がつく階層の階層主は必ず魔石を落としてくれたので複数確保できた。
そして懐かしのガリシア自治区の鉱山都市レリダと地竜の洞窟で乱獲した地竜と、海底迷宮45階層主の白銀人形の魔石に関してはまだまだ予備がたくさんある。欲を言えば脅しを利かせるためにSランクの『九頭竜』も用意したかったところだが、あいつは魔石を落とさなかったからな。残念だ。
全てBランク以上、そのどれもが巨体を誇る魔物の大群が突如眼前に現れたことで両陣営は極度の混乱に陥っている。あちこちで悲鳴が上がり、一目散に逃走する傭兵も現れ始めた。
「海竜! こっちに来るのです!」
「キュルオォォッ!」
アリスの呼びかけに応じて降下した海竜の頭の上に、ローズがひらりと飛び乗る。俺とアリスはエースに跨り、海竜とともに空へと舞い上がった。
さて……フィオレンツォ王子と『お話』してこようか。




