第370話 シエラ樹海の奥深く
鬱蒼と茂る森の獣道を、木の根や下生えに足をとられながら歩いていく。途中までは俺の【威圧】とユーゴーの【戦場の咆哮】で魔物を追い払えたので歩みも早かったのだが、昼を過ぎてからはCランクを超える魔物がちらほら見かけられるようになり追い払えなくなってしまった。そこからは俺の【隠密】で仲間達の気配を隠し、時には遠回りしながら森の奥へと向かっている。
俺は全ての加護を修得済みだから魔物を倒しつつ進んでもかまわないのだが、皆はまだ未修得のスキルがあるから、身体レベルが上がって熟練度が上げにくくなるのは避けた方がいい。それに体力や魔力は回復薬で補給できても、精神的な疲労までは回復できないから、魔物との戦いは避けた方がかえって効率が良いだろう。
もしかしたら樹海の深部でデール達やセシリーさんが怪我を負い身動きが取れなくなってしまっているかもしれない。着の身着のままでオークヴィルを脱出したのだろうから、食料もなく飢えて動けなくなっているかもしれない。
早く彼らを見つけなければ手遅れになってしまうかもしれない。そんな逸る気持ちを抑えながら、周囲の気配を探り、徘徊する魔物達を避けて慎重に進んでいった。
「そろそろ休憩をいれましょう」
「……まだ大丈夫だよ」
「いや、休んでおこう。周囲に魔物の気配もないからちょうどいい」
魔物が往来することによって出来た獣道は、地面が多少とも踏み固められてはいるものの、木の根があちこちに張りだしているし高低差もきついので歩きにくい。アスカとローズは慣れない森歩きで、見るからに疲労困憊だ。
ローズは森どころか長距離移動にすら慣れていないようだし、アスカはアクセサリーで補強しているとはいえ基礎的なステータスが低い。歩みが遅くなってしまうのは仕方がないのだが、二人とも自分からは休憩をしたいと言いださない。アスカはセシリーさん達が心配で気が急いているのだろうし、ローズは足を引っ張りたくないと思っているのだろう。
シルヴィア大森林でも多少の森歩きはしたが、あの時アスカはほとんどエースの背に乗っていたから、さほど疲弊することもなかった。エースは女性陣が背に乗るときには、出来るだけ揺れないように歩いてくれるから、そんなに疲れないんだよな。俺が乗ってるときにはそんな気遣いはしてくれないけど。
今さらだが、エースを王都マルフィに置いてきてしまってるんだよなぁ。厩の料金は来週分まで先払いしてるし食うには困っていないだろうが……無事でいてくれているだろうか。アイツのことだから好き勝手に出入りをして、悠々自適に過ごしていそうな気もする。
そんなことを考えながらアスカ出してくれた果物やパンを腹に詰め込み、エルサが用意してくれたマグカップで温い水を飲む。炙った干し肉や温かい茶でも摂りたいところだが、こんな森の奥深くで焚火を立てるのは避けたほうが良い。
獣型の魔物は火を避ける傾向にあるが、ゴブリンやオークなどの人型の魔物は火を臆せずに襲い掛かってくる。それに、炙り肉や茶は強いにおいをばら撒いてしまうので、魔物達に『ここにいるぞ』と知らせるようなものだ。
威圧で追い払える程度の魔物しか出てこない場所でなら、休憩の効率を優先して焚火を立てるんだけど……そんな事を思いながら、俺は再び【警戒】を発動して周囲の気配を探った。
修得に至った【警戒】の探知範囲はかなり広い。周囲数百メートル範囲にいる生き物が発する鼓動や呼吸、動作の音をつぶさに察知できる。だが、この広大な森で人探しをするには、これでも不十分だ。
さらに魔力を注ぎ込んで探知範囲を拡大していく。範囲が広がれば広がるほどに、聞こえてくる物音や生き物の息遣いは多くなっていく。それに比例して膨大な量の情報が集まり、頭がズキズキと痛みだす。スキルが拾う情報の多さに、頭の方が耐えられないのだ。こればかりは、どれだけやっても慣れない。
だが、痛みに耐えて探知範囲を数倍に広げたおかげで、ようやく人らしき気配を察知した。
十数人の気配、何を言っているかまではわからないが叫ぶ人の声、荒い呼吸音、魔力の昂り……これは、剣戟の音か!?
「向こうの方に……人の気配がある……戦ってる? 魔物の気配じゃない……これは人同士が戦ってるのか!?」
「ええっ!?」
なぜこんな森の深くで人同士が? もしかしてデール達が襲われている!?
「俺一人で先行する! 皆は注意しながら追って来てくれ! エルサ、ユーゴー、頼んだぞ!」
「了解!」
「アル、お願い!!」
「おうっ!」
俺は即座に【瞬身】を発動して走り出し、風魔法【風装】を重ね掛けする。
なんだかんだ言っても足の速さと体力は、俺が抜きん出ている。【獣王】のユーゴーにも今のところは負けてない。しかもスキルと魔法で超強化も出来るのだ。速やかに目標地点に辿り着くには、俺が単独先行するのが一番早い。
アスカとローズが心配ではあるが、魔人族が絡まない限りは冷静な判断が出来るエルサと、強力な前衛のアリスとユーゴーがいれば、例えAランク級の魔物が出たとしても大丈夫だろう。
「【跳躍】!」
俺は横たわる巨大な倒木を飛び越え、漆黒の短刀で行く手を遮る木々の枝葉を払いながら、樹海の悪路をひた走った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いい加減、諦めろや! 【火球】!」
「ぐっ……うらぁっ!!」
洞窟の前に仁王立ちするデールが、飛来する火球を大盾で弾き飛ばす。
「沈めっ! 【爆炎】!」
「くそっ、【鉄壁】!」
「たった一人でこの人数相手に凌げると思ってんのか!? 【氷礫】!」
「ぐぅっ!!」
デールの身体には数えきれないほどの打撲傷と刀傷が刻まれ、革鎧は流血でどす黒く染まっていた。だと言うのにデールを取り囲む海人族達は、距離を詰めずに遠距離から弓スキルと魔法を放ち続けている。
それもそのはず。デールの足元付近には斬撃と殴打で事切れた海人族の死体が折り重なっているのだ。いたずらに彼に近づけば斬り殺される。それがわかっているから、遠距離からの削りに徹しているのだろう。
そして海人族達はわかっているのだ。彼が洞窟の入り口から離れることはなく、放った魔法を避けもせずに全て受け止めるであろうことも。
「お願い……逃げて、デール……」
「もう、あちしたちは……ダメにゃぁ。デールだけでも……」
「ふざけんなっ! お前たちを見捨てて逃げるわけねえだろっ! 生き残るなら三人一緒だ!」
大盾を構えるデールの後ろには、神人族のダーシャと猫獣人のエマが蹲っている。血を流し過ぎたのだろう。彼女たちの顔色は青白く、手先や唇は紫色に染まり、衣服は赤黒く染まっている。
「はっ! 逃がす分けねえだろうが! 【ピアッシングアロー】!」
「っ……!」
「【爆炎】!」
「ぐはぁっ!」
海人族の男が放った矢を弾いた隙をついて、紅い魔力球がデールに向かって飛来する。デールはなんとか大盾を滑り込ませて直撃を避けたものの、爆発の衝撃までは逃がしきれず弾き飛ばされた。
「くっ……そ……!」
「この人数相手によく耐えたもんだぜ、央人。一思いに殺してやる。覚悟を決めな」
濃紺のローブを纏った海人族が、デール達に向かってゆっくりと右手をかざし詠唱を開始した。高ぶる魔力が、その右腕に集中していいく。
「ふざけっ……うぐっ」
衝撃で弾かれたデールは歯を食いしばって立ち上がろうとするも、もうその余力は残っていなかった。立膝をついて崩れ落ちるデールのそばにダーシャとエマが這うように近づき、その手を伸ばす。
「一緒にいれて、楽しかったニャァ……」
「すまねぇ……ダーシャ、エマ」
デールは大盾から手を放し二人の手を取り、力なく微笑んだ。カランと乾いた音を立てて、大盾が転がる。
「ありがとう、デール。もう、耐えなくていいよ……」
ああ、もう耐えなくていい。よく、堪えてくれた。おかげで、間に合ったよ。
「【大爆……ぐあぁぁっ!!?」
強力な魔力球を放とうとしたその刹那、海人族の右腕が血しぶきを上げて宙を舞った。




