第369話 クレアとギルバード
「もう……止められないんだね」
「ああ。これは国と国との衝突だ。一つの町とその住人を根絶やしにされて黙っている国なんてないだろう。セントルイスとジブラルタの戦争は避けられない」
「……そう」
ローズが溜息をついて肩を落とした。
俺だって止められるものなら止めたいさ。だけどオークヴィルで暮らしていた人達の無念や残された人たちの悔しさを考えると、止めるのも違うと思ってしまう。
「俺達は明日、シエラ樹海に入ることにした。オークヴィルにいた頃に世話になった友人たちが、樹海に逃げ込んだかもしれないんだ。ローズはどうする?」
「……ワタシも行く。ワタシも、仲間でしょ?」
「ああ。ありがとう、ローズ。……じゃあ、明日な」
ローズの部屋を出て自室に戻ると、扉の前にクレアが立っていた。夕食の時と同じく、ぎこちない笑みを浮かべている。
「どうした、クレア? 帰ったんじゃなかったのか」
「アル兄さま。お話ししたい事があって……」
「わかった。じゃあ……そこで話そうか」
こんな夜中に俺の客室に通すわけにもいかないので、ロビーのソファに腰を下ろす。通りがかった使用人に茶を頼み、一口すするとクレアがおもむろに口を開いた。
「ギルバード様が……心配なのです」
「ギルバードが? 敵地に赴いているのだから心配なのはわかるけど……」
「いえ、そういうことでは無いのです。最前線に立っておられるのですから、そのことも心配ではあるのですが……ギルバード様はここのところずっと思い詰めたようなご様子だったので……」
ギルバードはここ数カ月の間、ウェイクリング家の騎士や傭兵達を連れてシエラ樹海に何度も遠征し、行く度にボロボロになって帰って来ていたらしい。チェスターにいる時も、休むことなく騎士の仕事や訓練に没頭していたそうだ。
ウェイクリング家の屋敷を離れて騎士の宿舎に泊まり込み、父上や母様に顔を見せることもない。クレアも露骨に避けられていたようだ。
「何かに追い詰められているようなご様子で、見ているこちらも痛々しく思える程だったのです」
「そうか……」
考えるまでも無く、父上がギルバードをウェイクリング家の後継ぎから外したことが原因だろう。チェスターを発つ前の晩の、ギルバードの悲痛な叫びが思い起こされる。
ギルバードは俺と比べられ失望され続けることに、鬱屈した感情を抱えていた。俺との模擬戦に敗北し、後継者の椅子も奪われ、婚約者もいなくなった。ままならない境遇への失望を、騎士の務めや鍛錬に没頭することで忘れようとしたんじゃないだろうか。
「わたくしは王都クレイトンでアル兄さまと別れ、ギルバード様に嫁いでウェイクリング家を支えていこうと決心し、チェスターに戻ってまいりました」
「ああ」
「ですが……チェスターに戻ってみるとアル兄さまが後嗣となり、テレーゼ王女殿下を娶られることが決まっていました。わたくしもギルバード様との婚約を解消し、あらためてアル兄さまをお支えするようにと言い渡されました」
父上は陛下に呼び出され、転移陣を用いて王都とチェスターを往復したと言っていた。クレアが王都クレイトンを発ちチェスターに着くまでの間に、状況が様変わりしていたみたいだ。
「アル兄さまのもとに嫁ぐことが出来る、幼い頃からの想いを遂げられる……そう思うと天にも舞うような気持になりましたわ」
そう言ってクレアはぎこちなく微笑む。その微笑みからは、言葉と違い舞い上がるような想いは見て取れない。
「……わたくしは婚約者であったギルバード様のお気持ちを、何一つ思い遣ることもしなかったのです。わたくしを常に気遣ってくださったギルバード様のお気持ちに配慮もせず、アル兄さまとの再婚約をただ喜んでいたのです。ギルバード様はわたくしを大切にしようと、愛そうとしてくださっていたのに…………なんて浅ましいのでしょうね」
「クレア……」
「ギルバード様は、もう自分には騎士剣しか残されていないと言っておられました。それからずっと……身と心を削ぐような鍛錬と執務に傾倒されておられるのです」
「ギルバード……」
「ジブラルタとの争いがもう止められないのはわかっております。ただ……ギルバード様が自棄になって無謀な戦いに身を投じてしまわれないかと……気掛かりなのです」
クレアはそう言って俯いた。
確かに、そういった危うさはあるかもしれない。最近のことは分からないが、あの模擬戦の時のあいつはかなり不安定な様子だった。
「わかった。俺に何が出来るかわからないけど……気に留めてはおくよ」
「はい、ありがとうございます」
「大丈夫さ。ギルバードはチェスターの住人達に信頼される立派な騎士だった。魔人族に襲われた時も、チェスターを救うために身を呈して戦った立派な騎士だった。ウェイクリング領を守るために命をかけることはあっても、自棄になって命を捨てるような真似はしないさ」
「……そうですね」
この戦争に介入することはできないけど、魔人族がかかわっていないか注視はするつもりでいる。もし、ギルバードが危険な目に遭いそうにな時は、せめて命を落とすことはないよう助けるつもりではいよう。あいつは俺に助けられるなんて望みはしないだろうけど、それでも同じ父と母から生まれた、たった一人の弟なんだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日の朝、俺達はチェスターを発ち、シエラ樹海に向かった。ローズ以外の皆もデール達やセシリーさんの捜索への協力を快く受け入れてくれた。
普通なら食糧やら天幕やらと大荷物を背負っての移動になるだろうが、俺達はいつもの通り自分の武器以外は何も持たずに街道を行く。街道を行く人たちから不審な目を向けられたが、アスカが斜めがけした王家の紋章付きの魔法袋を見ると納得した顔で通り過ぎていった。
中には物取りを思わせる胡乱な目を向ける輩もいたが、さすがに俺達に手出しをするような真似はしないだろう。1年前にこの道を通った時は、麻の服に片手剣だけをぶら下げた冒険初心者にしか見えなかっただろうけど、今の俺達は使い込んだ武具に身を包んだ熟練の冒険者に見えるだろう。
身の丈ほどの大剣を背負ったユーゴーや、体より重そうな槌を軽々と担ぐアリスにちょっかいをだすようなヤツはそういない。微笑を絶やさないエルサだって、触れれば切れるような怜悧さを併せ持っている。ローズやアスカは、与しやすいと思われてしまうかもしれないけど。
「いつも通り、魔物は避けて行くのよね?」
「ああ。俺の威圧とユーゴーの咆哮で追い払いながら進もう。樹海の深部にはBランクを超える魔物が現れるようだから、そこからは気配を消していく」
「アルパパにもらった地図に、騎士団が野営で使ってた水場が書いてあったから、とりあえずそこに行ってみよう。あとはその周辺を探索かな。アルの警戒で探れば、人の気配があったらすぐに見つかると思うよ」
「魔物はどんなのがいるのです?」
「危ないのは地獄蜂、豚王、トロル、オーガあたりかな。竜種はいないと思う」
「その程度なら問題無いわね!」
「そうだな。とは言っても平坦な海底迷宮とは違って、森の中はかなり足場が悪い。気を付けろよ」
「わかったわ!」
仕入れた情報を確認しながら俺達は樹海に踏み入れる。樹海の深部で何者かが戦闘を繰り広げる気配を察知したのは、その日の夕方のことだった。




