第367話 国境紛争
父上とバイロン卿との面会の後、久しぶりに母様とも顔を合わせると、今日だけでも泊って欲しいと懇願された。どちらにせよチェスターで宿をとる予定でいたため、そのままウェイクリング家で厄介になることにした。
客室に通されて旅装を解いた後、再び皆で俺の部屋に集まった。一通り現状は確認できたので、今後についての話し合いだ。
「ジブラルタ軍との衝突は避けられそうにないな……」
父上は海人族侵攻の報を受け、オークヴィルを取り戻すために出兵を決断したのだそうだ。ところがオークヴィル周辺に海人族の部隊の姿はなく、すでに撤退した後だった。
すぐに派兵の拠点と思われたパルマノヴァの砦に偵察を送ったところ、数百人程度の兵力しか配置していないことがわかる。それを好機と捉えたギルバードは電光石火の勢いで山越えを敢行し、パルマノヴァの砦を奪取したのだそうだ。
そしてジブラルタ側もパルマノヴァの砦を取り返すために派兵。フィオレンツォ王子が3千の兵と共に隣町までやって来て、睨みあっているというのが現状だ。
「なんとか出来ないの!?」
「ローズも見ただろ、オークヴィルの有様を……。3千人もの住民が虐殺されたんだ。ジブラルタが相応の賠償に応じなければ、戦いは止まらないだろう」
「賠償ね……。アイザック閣下は、どう落としどころを見つけるおつもりかしら」
「おそらく父上は多額の賠償金の支払いを求めるか、ウェイクリング領側に有利な通商条約をつきつけるだろう。応じなければ、パルマノヴァの砦を含むシエラ山脈周辺地域を、そのまま実効支配する」
シエラ山脈の周辺には鉄や銅などの鉱山が点在している。ウェイクリング領側は広大なシエラ樹海によってあまり開発が進んでいないが、ジブラルタ側には稼働中の鉱山がいくつかあるはずだ。
賠償金の支払いか、不平等条約の締結か、鉱山の奪取か。いずれにしても父上がタダで済ますことはないだろう。
「ジブラルタ王国側が応じなければ、セントルイス王国とジブラルタ王国との全面戦争に発展することすら考えられる……」
「そんな……あの町を襲ったのがジブラルタ軍かどうかもわからないのに!?」
「これは俺の想像に過ぎないのだけど……オークヴィルを襲ったのはフィオレンツォなんじゃないか?」
「えっ……? フィオレンツォお兄様が……?」
「やはり、その考えに行きつくわよね」
俺の言葉を聞いて、エルサが溜息を吐いて首を振った。
「フィオレンツォが出張って来るのが早すぎるんだ。アナスタージアが言っていただろ? 王都マルフィにパルマノヴァの砦が落ちたという伝令が届いたのは昨日の朝だって。だというのに今日の午後には、パルマノヴァの隣町に3千の兵を引き連れて現れている」
「あ……」
「どう考えてもおかしいだろ。トラヴィスから王都マルフィまで千キロ以上は離れているんだぞ? 大船団を使ったとしても無理がある。それに3千人もの兵を動かすには、それなりに準備が必要だ。ジブラルタの正規兵を動員したとしても、たった一日で食糧に武器、資材をかき集めて、翌日に戦場に辿り着けるか? 不可能だ」
青の同盟は千人規模の探索者クランだから、普段からそれなりに戦力を備えているだろう。でも、3千人もの兵を動かしているというなら話が違う。
「ってことは……」
「最初から派兵の準備していたってことだろ」
「……いったいなんのために」
「王位継承権」
エルサが呟く。
「だろうな。海底迷宮30階層を攻略したクランを率いていたフィオレンツォは王位継承権争いで優位と見られていた。だがアナスタージアに追い抜かれて、『横殴り』や『擦り付け』なんて素行の悪さが知れ渡った。支援者たちも次々と離れていってるって話だっただろ?」
「うん。でも、それがオークヴィルを襲うこととどうつながるの?」
アスカが顎に指をあてて、思案気に首を傾げた。
「アナスタージア40階層の攻略も目前だというのに、フィオレンツォ達は35階層にも到達できずにまごついていた。とても追いつけない。でも王位は欲しい。ならどうする? 他で手柄を立てるしかない」
「あっ」
「青の同盟がジブラルタ軍を装ってオークヴィルを襲撃。当然ウェイクリング辺境伯は反撃に出る。パルマノヴァの砦はウェイクリング領への侵攻どころか、防衛準備すらしていないからあっさり奪われる。そこで正規のジブラルタ軍として侵略者であるウェイクリング辺境伯軍を追い返せば……」
「英雄の出来上がり……なのです」
「まあ、あくまでも想像だけどな。でも、青の同盟が傭兵ギルドに出向いていたって話もあっただろ? あの時は探索者の補充かと思っていたけど……」
「戦争の準備?」
「だったのかもしれない。軍需物資なんかを買い集めても探索のためかと思われるだろう。元からいくつものパーティで迷宮に潜ってるわけだし、それなりに物資の備蓄もあったかもしれない。海上にあるアイツの塔から人員や物資を船で運び出しても、そう目立つこともない。海路でウェイクリング領まで乗りつければ、父上が放っていた間者に気付かれなかったことにも納得がいく」
「フィオレンツォお兄様が……」
魔人族の連中が、ジブラルタ軍の振りをしてオークヴィルを襲ったって線もあるかもしれない。けど、アイツらが千人もの海人族を従えているとは思えない。もし直接襲撃するとしても、アイツらは魔物を使うだろう。
それに、海底迷宮でグラセール・グリードが言い残した言葉が、今の状況を言い当てているように思えるのだ。
『今回の件に関しては、貴殿が原因と言えなくもないと思いますよ』
俺達が海洋迷宮に潜らなければ、アナスタージアを支援しなければ、フィオレンツォはこんな暴挙に出ることは無かったのかもしれない。
「それで、これからどうするの……?」
「フィオレンツォ率いるジブラルタ軍とギルバード率いるウェイクリング領軍の衝突は避けられない。オークヴィルのほぼ全ての住人、約3千人もの死者が出ている。止められるわけが無い」
「そんな……」
「俺達にはどうしようもないさ……。これは国と国との国境紛争だ」
山間の町で平穏に暮らしていた無辜の住民達の命とその生活が、一夜にして奪われたんだ。むしろ亡くなった人達の仇を討つために、ウェイクリング側について戦いたいと思ってしまうくらいだ。
「ねえ、アル。セシリーとダーシャ達は無事かな……」
「商人ギルドの職員達と脱出を図ったってレスリー先生は言ってたな」
「オークヴィルから逃げられた人たちは、この町に避難したとも言っていたのです」
「もしかしたらチェスターにいるかもしれないな。よし、行ってみよう」
「うん!」
俺達は頷き合い、部屋を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ジェシー!」
「アスカ!? アスカ! アスカぁ……」
屋敷の執事に確認したところ、オークヴィルからの避難民はレスリー先生の手配でチェスターの宿屋に分散して宿泊しているとのことだった。聞き出した宿屋を総当たりで回ったところ、ヘルマン武具店一家が、俺が森番の頃によく泊まっていた安宿の大部屋に宿泊していた。
ノックもせずに部屋に飛び込んだアスカはジェシーに飛び付いた。ジェシーは驚きつつも、涙を流して自身を抱きしめるアスカにつられて声を震わせる。弟のアランと妹のリタもジェシーに続いてアスカにしがみついた。
「ヘルマンさん、よくぞご無事で」
「ああ、なんとかな。生きた心地がしなかったぜ、ホントに」
そう言って、ヘルマンさんは頭をボリボリと掻きながら力無く笑った。
一家全員が無事だったのは、異変に気付いて武具店の地下に隠れたからだそうだ。ヘルマンさんが取り扱う素材の中には、発火したり爆発したりする危険な特殊魔物素材もある。そのため地下に頑丈な隠し保管庫を設えていたのだそうだ。
「商人ギルドの連中か。チェスターには来てねえな……」
「そう、ですか……」
チェスターに避難していないのか。もしかしたら、もう……そんな不吉な考えが脳裏をよぎる。
「レスリー代官の話じゃ、『火喰い狼』と一緒に逃げたんだよな?」
ふと思いついたようにヘルマンさんが尋ねる。
「ええ、そう聞きました」
ヘルマンさんは顎に手を当てて、眉根を寄せた。
「もしかしたら……樹海に逃げ込んだのかもしれねえ」




