第362話 水龍の間
等間隔に円柱が林立する広大な空間を抜け、奥の小部屋へと進む。
そこにあったのは碧玉に似た六角水晶の塊、水龍インベルの魔晶石だ。やはりアスカの言う通りだったな。
部屋の奥には祈る女性の像があり、水晶の左右両側に転移陣がある。右側の転移陣は白く鈍い光を放っている。おそらく王の塔の地下に繋がる転移陣だろう。左側の方は稼働していないのか、発光していない。
「すごい……まるで、生きているみたいだね」
いつも快活なローズも水晶の放つ強烈な圧迫感に顔をしかめ、自身を掻き抱いて震える手足を抑えている。
ふと、紺碧の水晶が強い輝きを放ちだした。
「来るぞ、ローズ! 気を強く持て!」
「あ゛っ、あっ、いあ゛あぁぁぁっっ!!!」
「ぐぅっ……!!」
水晶から強烈な魔力波動が放たれ、全身を火掻き棒で混ぜられているような痛みに襲われる。そして、その激痛と共に水龍インベルのイメージと声が脳裏に焼き付けられた。
【【 水 】】
【【 神龍 】】
【【 加護 】】
【【 王笏 】】
【【 制止 】】
【【 魔人 】】
【【 救済 】】
【【 転移 】】
哄笑する魔人族。
絶叫する神人の男の前で犯される女。
母の前で戯れに嬲られる土人の子供。
股から脳天までを槍に貫かれた海人の死骸。
胸糞が悪くなるイメージと、水龍インベルの荒々しい感情が繰り返しぶつけられる。
守護龍の意思に触れるのはこれで4回目だ。以前に比べるとこの痛みにもだいぶ慣れた気がする。もしかしたら精神力が強化されたから楽になったのかもしれない。
だが、ローズの方はそうもいかない。【導師】の加護持ちだけあって相応に精神力は高いが、こんな痛みは経験したことが無いだろう。
「ア、アル……アル……」
「だ、大丈夫だ、ローズ。ここにいる。もう少し、目を閉じていれば、終わる」
海人の王族であるローズが龍の従者に選ばれるだろうと思っていたから、龍の間にはローズと俺だけで入っている。わざわざこの痛みを皆で味わう必要は無いしな。俺も入らなくても良かったのだろうが、さすがにローズ一人を放り込むわけにもいかないので俺だけは付き合った。
痛みに耐えながらローズの手を握って身体を支えていると、水晶から放たれる魔力の波動がだんだんと弱まっていき、俺達を苛んでいた痛みが和らぐ。
そして水晶から紺碧の光の玉が吐き出された。光の玉はふわふわと飛んできて、ローズの胸にすっと吸い込まれる。俺に寄り掛かり痛みに耐えていたローズは、口の端にほんの小さな笑みを浮かべ、ふっと意識を失った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「う、うーん……」
「おっ、起きたか。ああ、無理するな。まだ、横になってろ」
アスカが敷いたフェルト製の絨毯から身を起こそうとしたローズを休ませる。まだ、顔色が悪い。
「ローズ、おめでとー。龍の従者になれたみたいだよ」
「そう……」
ローズは力なく微笑み目を瞑る。思っていたよりも薄い反応だ。
「思ってた通りだね。白銀の杖が、水龍の杖に変わってる。加護も【聖者】に昇格してるよ」
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ロゼリア・ジブラルタ
■ステータス
Lv : 34
JOB: 聖者Lv.1
VIT: 627+50
STR: 212
INT: 2013+50
DEF: 595
MND: 2451
AGL: 892
■スキル
第六位階光魔法
初級杖術Lv.3
解呪Lv.1
■装備
水龍の杖
双竜のローブ
オニキスのペンダント
アメジストのブレスレット
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「龍の従者は……魔人族と戦わなくてはならない。あれは、そういうことだよね?」
上位の加護と聖武具さえ手に入れたと言うのに、ローズは喜ぶでもなくふぅと息を吐いた。さすがに疲れたのだろう。あんな激痛に晒されて、魔人達による惨劇のイメージを見せられたのだ。無理もない。
「そうだな。少なくとも守護龍はそう望んでる」
「…………話は聞いていたのだけど」
ああ、そうか。忘れていた。
ローズはまだ15になったばかり。なんとか不当な扱いを覆そうと気丈に振舞ってはいたけれど、成人したばかりの少女なんだ。魔人族達の非道な行いの記憶を見せられて、それでも立ち向かおうとなんて、簡単に思えるわけがない。
「怖いか?」
ユーゴーが短い言葉でローズに訊く。
「……うん」
「魔物を殺すのと、人を殺すのは違う。怖くて当たり前だ」
いつも素っ気ないユーゴーにしては珍しく、労わるような声音でローズに語りかけた。
「……出来るかな」
「ここに残ってもいい」
「残っても……?」
ああ、そうだよな。ローズが龍の従者になったからと言って、必ずしも俺達に同行しなければいけないわけじゃない。
「ユーゴーの言う通りだ。守護龍がそう望んでいるからと言って、それに従わなきゃいけないわけじゃないんだ。前にも言っただろう? 俺だって天命に従って、魔人族と戦ってるわけじゃない。俺の目的はアスカをニホンに送り届けることだしな」
「アリスはスキルを使えるようになるためにアルさん達の旅に同行したのです。今は、アルさん達への恩返しなのです」
「私はアルフレッドと共に生きる。それだけだ」
アリスもユーゴーも魔人族に運命を翻弄された過去がある。だが、アリスはスキルを、ユーゴーは母ユールを取り戻した。二人はその過去を乗り越えたんだ。
今、彼女たちは俺とアスカのために、この旅に同行してくれている。もし、俺とアスカが旅をやめると言ったら、たぶん二人とも魔人族と戦い続けることはないだろう。
「………………」
誰よりも因縁が深いエルサは何も言わなかった。彼女の目的は魔王アザゼルへの復讐だ。彼女だけは何があっても魔人族と敵対する道を選ぶだろうが、それも龍の従者との使命だからじゃない。
「ローズ、俺達は守護龍から天命を与えられたから戦ってるわけじゃない。無理に俺達に同行しなくてもいいさ」
「龍の従者になったのに……?」
「ああ。海人族の守護龍である水龍インベルの祝福を得たんだ。もう、ローズを軽く見るような奴はいないだろう。元々の目的は達したんじゃないか?」
「それは、そうかも」
ローズがこの迷宮に挑んだのは、自身の王家での立場を守るため。既に王族の誰よりも深く潜り、最奥の50階層の突破すら果たした。もう、面と向かってローズが蔑視されるようなことは無いだろう。
「ジブラルタ王国の王座に就きたいわけでもないんだろう? 龍の従者になったローズがアナスタージアに恭順の姿勢を示せば、王位継承権争いも終わる。アナスタージアも悪いようにはしないんじゃないか?」
「…………」
「すぐに決めなくてもいいよ、ローズ。魔人グラセールが言ってたことも気になるし、しばらくはジブラルタ王国にいるからさ」
アスカがローズの紺碧の髪を撫でながら言った。
「うん……」
ローズはゆっくりと体を起こし、力無く微笑んだ。
俺達に同行すると魔人共との争いに巻き込まれると、言葉ではわかってはいただろう。だが実際に魔人と対面し、奴らの所業を守護龍に見せられ、それでも自ら進んで巻き込まれたいとは思えなくても致し方ない。言葉で説明されるのと実際に体験するのは違う。
「さ、そろそろここを出ましょう。数百年ぶりに海底迷宮を踏破した英雄の帰還よ。王の塔の連中を驚かせてやりましょう」
エルサがにこりと微笑んだ。
「だね!」
アスカがローズに手を差し出して立ち上がらせ、俺達は魔晶石の右側の転移陣へと向かう。
転移陣の上に皆が乗ると、アスカは灰色の石を取り出しローズに手渡した。九頭竜が消えた後に残された、50階層の迷宮転移石だ。
「海底迷宮の転移陣よ、王の塔への門を開け!」
転移陣から白い光が噴き出し、眩い光に包まれた俺達は、次の瞬間に王の塔の地下に立っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王の塔はシンとした静寂に包まれていた。
この地下には3つの魔法陣が2列に並んでいる。手前の列の右側が0階層、真ん中が10階層、左側が20階層へと繋がる転移陣だ。そして、奥の列の右側が30階層、真ん中は40階層、そして左側が50階層に繋がっている。
俺達が初めて王の塔の地下に来た時には、0~30階層の転移陣が発光していた。俺達が40階層を突破した時、ジブラルタ王国の歴史上で初めて真ん中の魔法陣が発光するようになった。
そして今、最奥50階層の魔法陣から俺達が現れたわけだ。50階層の転移陣もまた薄ぼんやりと発光し、稼働状態に入ったことを示している。
「静かね……」
「海人にとっては歴史的快挙なんだろう? もっと歓迎されるかと思っていたんだけどな」
いつもは探索者達の喧騒に包まれている王の塔の地下は、驚くほど静かだった。転移待ちの探索者達のゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえるほどだ。
「つい先日まで40階層にすら至っていなかったんですもの。現実が受け入れられないのでしょう」
人の息づかい以外はコトリとも音がしない地下から1階へ階段を登る。1階の拾得物査定所もまた、静まり返っていた。たくさんの探索者達が息を飲み俺達の様子を窺っている。
「あ……」
拾得物の買取カウンターの前にいた集団の中から第一王女のアナスタージアが進み出る。どうやらここで待ち構えていたようだ。
「ごきげんよう、アナお姉様」
「ごきげんよう、ロゼリア。ついに海底迷宮の最奥に至ったのね。おめでとう」
アナスタージアがにこやかな笑みを浮かべて祝辞を述べた。
「あ、ありがとう……」
「ジブラルタ王家の者が、ついに海底迷宮を踏破したと言うのに……残念だわ」
「え……?」
アナスタージアがすっと片手を上げると、俺達の背後でガチャリと音がした。さらに、周囲の探索者達が一斉に武器を抜き、その刃を俺達に向ける。
「なっ!?」
「国家安全維持法に基づき『龍の従者』一味を拘束します。大人しく縄につきなさい」
アナスタージアは俺の目をじっと睨みつけ、そう宣言した。




