第361話 魔人グラセール
九頭竜は降り注ぐ無数の岩槍によって地面へと叩きつけられた。そこに二つの影が飛び込んでいく。
「【崩撃】!」
「食らうのです!」
「キュアァァァァッッ!!」
飛び込んだユーゴーが大剣を振るい首を一つ斬り飛ばし、アリスが戦槌でもう一つを叩き潰した。
だが首は二つだけではない。九頭竜は蛇のように首をめぐらせ、三つがアリスへ、四つがユーゴーへと迫る。アリスとユーゴーは即座に後方へと飛び退き、長い首の射程から逃れる。
「俺を無視するんじゃ、無いっ!!」
首が左右に分かれ、がら空きにになった胴体に飛び込んで円盾を叩きつける。続けて【挑発】を発動して、残り七つの首の注意を引き付けた。
「キュアァァッツ!」
「そうそう。浮気するんじゃない。お前は俺だけを見ていればいいんだ」
七つの首が牙を剥き、次々と襲い掛かる。俺は盾でいなし、剣で弾き、細かくステップを刻んで回避する。
「【炎嵐】」
エルサの発動句が聞こえた瞬間に、一気に飛び退る。入れ違いに幾つもの炎弾が九頭竜へと殺到した。
竜種は魔法攻撃への耐性が高い。全く効果がないわけではないが効き目が薄いのだ。
それでも水竜であれば火属性魔法、地竜であれば風属性魔法というように、弱点属性を突く攻撃ならばある程度は効果が見込める。だが、九頭竜には弱点となる属性が無い。そのため質量を伴わない魔法攻撃はほとんど意味がないのだ。
【紫電】や【火槍】は、その身を覆う鱗にかき消されてしまうために効果が期待出来ない。【岩槍】や【氷槍】なんかは、効果が低いなりに衝撃で一定のダメージは与えられる。
よってエルサが放った火属性魔法【炎嵐】は選択ミスと言えるのだ。
「キシャァァァァッ!!」
通常であれば、だが。
エルサが狙ったのはユーゴーに斬り飛ばされ、アリスに叩き潰された首だ。早くも噴き出す血が止まり、肉が盛り上がろうとしていた傷口が火魔法で焙られ黒く炭化した。
「よっしゃー! 部位破壊成功! どんどん行こう!」
毒々しい意匠の眼帯を身に着けたアスカが叫ぶ。
事前情報の通りだったみたいだ。九頭竜は【再生】のスキルを持ち、九頭を一気に刈り取りでもしない限りは、何度首を斬り飛ばしても再生してしまうのだという。
もちろん魔力が尽きれば再生は出来なくなるので、延々と首を刈り続けるのも一つの戦術ではある。だが、斬り飛ばすなり潰すなりして鱗を剥いでから傷口に炎魔法を叩きこめば、再生を止めることが出来るのだ。
「【崩撃】!」
九頭竜の鱗で炎弾が散らされた直後、再びユーゴーが首を斬り飛ばす。竜種の鱗は魔法耐性だけでなく物理耐性も高いはずなんだけどな……。ユーゴーにかかるとまるでバターのようだ。
「ぃよいしょーっなのです!」
続けてアリスが首の一つを弾き飛ばす。さすがに先ほどのように地面に叩きつけたわけでは無いので潰すことは敵わなかったが、それでも九頭竜の体勢を崩すことには成功した。
「【火球】!」
すかさず火魔法を放ち、ユーゴーが首を落としたばかりの傷口を焼く。アリスが隙を作ってくれたおかげだ。
これで、のこりは6本。
残りの首を挑発で引きつける。
ユーゴーが首を斬り、アリスが叩き潰す。
傷口をエルサが焼き払う。
疲れや毒霧はローズが癒してくれる。
一方的な展開が続き、ついに首は3本にまで減った。
「キシャァァァッッッ!!」
暗緑色の鱗に赤みがさし、残された六つの瞳が胡乱な輝きを放つ。
「来たっ、【狂化】だよ! 構えてっ!」
こちらも事前情報通り。大幅に体力を削ると発動する、攻撃力が跳ね上がり周囲を無差別に攻撃しだす危険極まりないスキルだ。
「―――フラッシュ・バン!」
だが、それも想定済み。
頭が割れたのかと思うほどの轟音が響き、瞼を閉じたにもかかわらず世界が真っ白に染まる。光が収まり、ゆっくりと目を開けると、九頭竜―――頭はもう三つしかないが―――が項垂れていた。
アスカの得意技が嵌ったようだ。
「一斉攻撃!」
「【魔槍の黒雨】!」
アスカの号令とともに岩槍の雨が降り注ぎ、九頭竜が地に叩きつけられる。
「【漆黒の諸刃】!」
「潰れるのです!!」
「【剛・魔力撃】!」
間髪を容れずに飛び込んだ3人が残る首を刈り取った。最強の竜種九頭竜は、ほぼ何もできないまま地に伏した。
黒い光の粒になって溶けるように消えていく九頭竜の巨体を眺めながら、聖剣を血振りし、混沌の円盾を構え直す。
油断は無い。余裕があったから戦闘中も【警戒】をずっと発動していた。
よって、広間の奥にいるのはわかっている。
「露払いは終わったぞ。出てこい」
足音がカツンと広間に響きわたる。円柱の陰から、一つの影が現れた。
灰色ローブに身を包み、上品な微笑みを浮かべた優男が、芝居がかった動作で腰を折る。褐色の肌と尖った耳が無く、こんな場所でなければ、セントルイスの上級貴族かと見紛うほどの模範的な所作だ。
「お気づきでしたか。初めまして、アルフレッド殿。グラセール・グリードと申します」
にこやかな笑みを浮かべた優男は、アザゼルに似ている気がした。アイツはもっと人を食ったような笑み、というかニヤつきを浮かべているけどな。
それに、アザゼルは軽薄な口を叩きつつも研ぎ澄ました刃物のような殺気を飛ばして来るが、グラセールからは殺意や敵意を感じない。むしろ後ろにいるエルサの方が、濃密な殺気を放っている。世界樹の下で魔人ジェシカに良いようにあしらわれた反省からか、冷静さを保ってはくれているけど。
「初めまして? ヴァリアハートとクレイトンの闘技場で会っただろ?」
「ご挨拶するのは初めてですので、名乗らせて頂きました。それにしても、見違えましたね。アルフレッド殿もエルサ殿も、あの頃とはまるで別人のようです。私一人では、とてもお相手出来そうにありません」
「そのわりには余裕があるように見えるが?」
やはりグラセールからは敵意を感じない。こうまで敵意や殺意を隠せるものか? 潜入や隠密を使っているというわけでもなさそうだが……。
「ああ、今は敵対するつもりはありません。ここでお待ちしていたのは、お伝えしたいことと、お渡ししたい物があったからです」
「伝えたいこと?」
「ええ。我らが王がお伝えしたかと思いますが、間もなくジブラルタ王国に動乱が訪れます」
「動乱……今度は何をするつもりだ」
「我らは何も……。今回の件に関しては、貴殿が原因と言えなくもないと思いますよ」
「俺が……?」
「惑わされないで、アル。魔人族の言葉に耳を貸す必要は無いわ」
おっと。芝居がかった態度と口調に思わず聞き入ってしまったが、こいつも魔人族なんだ。アザゼルのように煙に巻くのは得意技ということか。
「ふふ……今にわかりますよ。それでは、こちらの品をお受け取りください。ああ、こちらはアルフレッド殿ではなく、アスカ殿にお渡しした方が良いですね」
そう言って、持っていた革袋をアスカに向かって山なりに放り投げた。
「わっ」
アスカが慌てて革袋を受け止める。罠かなにかかと思ったが、何の変哲もない革袋のようだ。
「それでは、私は失礼します。また、お会いしましょう」
「えっ、ちょっと待ちなさい!!」
革袋に気を取られた隙に魔道具を発動されたようだ。前腕につけた腕輪が輝いている。
エルサが咄嗟に短杖を振り上げて岩弾を放つも間に合わない。グラセールは金色の光の残滓を残し、忽然と姿を消した。




