第335話 オークヴィルの悲劇
「ひっさしぶりだねー」
「ああ、懐かしいな」
約1年ぶりに、始まりの森の聖域に戻って来た。
できればジブラルタ王国に直接転移できれば良かったのだけど、残念ながらレグラムとオキュペテにはジブラルタ王国の転移陣に行ったことがある人はいなかった。
しょうがないので行ったことのある転移陣の中では、ジブラルタ王国に最も近い始まりの森に転移して来たのだ。これからチェスターに立ち寄ってジブラルタへと一緒に転移してくれる人を探す予定だ。
ジブラルタ王国とセントルイス王国は過去に諍いがあったこともあるけれど、現在の関係はさほど緊張しているわけでも無い。
陸路、海路の双方で貿易が活発に行われ、セントルイスからは金・銀・鉄などの鉱物や金属製品、穀物を中心とした農産物、絹などの工芸品など、ジブラルタからは香辛料や綿織物、アストゥリアから渡って来た魔道具などが輸出されている。
今の季節は初秋なので、収穫された穀物を求めてジブラルタから陸路でやって来る商人は多い。冬になれば内陸から海洋国家のジブラルタの方へと季節風が吹くため、船便も多くなるはずだ。
国境を超えて人の往来が多くなる季節だし、冒険者ギルドと商人ギルドで募集すれば、ジブラルタに戻りたい人も一人くらいはいるだろう。
それでも応募が無ければ、ジブラルタへは陸路か海路で向かうことになる。オークヴィルを経由してシエラ山脈を越えるか、オンタリオ海を船で渡るかのどちらかだ。船が動くのは冬に入ってからだから、たぶん山越えになるかな。
「アスカはニホンから、この転移陣にやって来たのね」
「うん。そしたら目の前にアルがいたんだよね。もう1年前になるんだなぁ」
「ずいぶん長く旅してる気がするけど、まだ1年か。クレイトン、レリダ、エウレカ、マナ・シルヴィア……たった1年で世界中を回って来たのか」
そして刻一刻と、アスカとの別れの時期も近づいている。クレイトンでアスカが語ったWOTのストーリーの通りなら、これから行くべき都市は海人の王国ジブラルタの海洋都市マルフィと聖ルクス教国の聖都ルクセリオの二か所だけだ。
今まで4つの都市を巡るのにかかった時間は約1年。ということは、あと半年ってところなのかな……。
「あれが、アルさんの暮らしていた森番小屋なのです?」
「ああ。あそこで5年ほど暮らしてたんだ。こうして見ると、みすぼらしいな……」
人が住まなくなると家は劣化が早いと言うが、本当だな。狭かった畑は雑草が生い茂って見る影も無いし、動物や虫が荒らしたのか家屋もところどころ朽ちてしまっている。
「アリスの家はもっとみすぼらしかったのですよ?」
「いや、あれは家っていうか洞穴だったじゃないか」
アリスのおどけた表情に俺は思わず吹き出した。少し感傷的になってしまっていたのに気づかれたのだろう。気を遣わせてしまったみたいだ。
「何を言うのです。竈もベッドもある立派なお家だったのです」
「あれに比べれば立派かもな」
「むっ、アリスの家をバカにするのです?」
「自分もみすぼらしいって言ってたじゃないか」
迷宮化した鉱山の横穴に作った寝床と比べれば、大抵の家は立派だよな。
さてさて。いつまでも気を遣わせては申し訳ないし、切り替えて行こう。
「じゃあ今日のところは聖域で休もうか。明日はオークヴィル、明後日にチェスターでいいか?」
「うん! 久しぶりにセシリーに会いたい! ダーシャ達もまだいるかな?」
アスカが満面の笑みを浮かべる。セシリーさんはアスカにとって、この世界で初めての友人だ。アスカの要望もあって、明日はオークヴィルに旧交を温めに行き、その翌日にチェスターに向かうことにしていた。
正直に言うと、俺はあまりチェスターには戻りたくないんだどな。もちろんクレアやエドガーに会いたいという気持ちもあるんだけど、父上と顔を合わせるのがなぁ……。
俺にウェイクリング領を継がせ、テレーゼ殿下を降嫁させるというカーティス陛下の要求を、二つ返事で了承したようだし……。
二度とウェイクリング家に戻ることは無いとまで言って旅に出たのに、今さらひょっこり顔を出すと言うのは気まずすぎるし。そういう意味ではクレアとも若干、顔を合わせずらいんだよな……。
『私はチェスターに戻り、ギルバード様に嫁ぎます。アル兄さまの代わりに、ウェイクリング家を支え、その繁栄に努めます。アル兄さま、どうか……どうかご無事で、天命を全うください』
あの時のクレアの言葉は一言一句を覚えている。クレアは決意を秘めて、チェスターに戻ったはずだ。
それなのに、いざ戻ってみたら、父上はギルバードじゃなくて俺を後継者にするつもりになってるわけだからな……。クレアやギルバードにどんな顔で会えばいいかわからない。
「じゃあ、小屋の横に馬車を停めよっか」
「ああ、久しぶりに動物でも狩って夕食にしよう。いまなら聖域中の動物をあっという間に狩り尽くせそうだ」
「あ、久しぶりにアレ食べたい! ほら、アルが最初の夜に作ってくれたヤツ!」
「いいね。じゃあホーンラビットを捕まえて来よう。準備はよろしくな?」
最初の夜に作った料理か。確か塩漬けにした兎肉のポトフだったな。せっかくだから蜂蜜酒も一緒に飲むかな。さすがに、皆と一緒だから、『最初の夜』まで再現と言うわけにはいかないけど……。残念。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「セシリー!!」
「アスカさん!? アルフレッドさんも! なんでオークヴィルにいらっしゃるんですか!?」
翌日、俺達は始まりの森を抜け、オークヴィルに向かった。あの頃は半日がかりで徒歩移動していたが、今は幌馬車での移動だ。しかも軍馬の1.5倍ほどの体躯を誇る美しい白毛の一角獣エースが引く幌馬車だ。ゆっくりと出発したのに、昼前にはオークヴィルに着いてしまった。
「ふふーん。転移石が手に入ったら会いに来るって言ってたでしょ?」
「つい先日、父と母からアストゥリアに向かったと手紙を貰っていたのですが……。転移陣で戻っていらしたんですね」
「マナ・シルヴィアにも行ってきたんだよ。たくさんお土産、持ってきたからね! ね、ね、今日の夕ご飯、一緒に食べない? あそこ行きたいんだ、えっと、ヤマネコ亭?」
「山鳥亭です、アスカさん。キンバリーさんに怒られますよ? もちろん、夕食はご一緒させていただきます。お店はこちらでおさえておきますね。皆さん、喜ばれますよ」
1年ぶりに再会したオークヴィル商人ギルドの受付嬢セシリーさんは、ずいぶんと大人びたような気がする。王都クレイトンの商人ギルドマスターを務める母親のシンシアさんにぐっと似てきて、美少女から美女へと変貌を遂げているといったところだろうか。父親の拳聖ヘンリーさんの因子はどこに行った?
そう考えてみるとアスカって、ほとんど変わってない? 体力もついたし、身体が引き締まった気はするけど……。毎日顔を合わせてるから気付かないだけかな?
「アルフレッドさんも、お久しぶりです」
「ええ。久しぶりです、セシリーさん」
「あの、母からの手紙でクレイトンでのお話を伺いました。父が大変ご迷惑を……」
「ああ……初対面でボコボコにされましたね……そう言えば。その後に、ずいぶんお世話になりましたけど……」
すっかり忘れていたが、セシリーさんの書いた手紙を読んだヘンリーさんに、訓練と称した私刑に処されたんだよな……。娘に言い寄る悪い虫は殲滅するって息巻いていたなぁ、あの親バカ。
「私が自宅に招いたなんて書いてしまったせいで……」
「あ、いえ、お気に、なさらず……」
セシリーさんが、顔を紅く染めて俯く。あ、うん、思い出すと気まずいよね。うん。便利な生活魔法を教えてもらったからね、セシリーさんには。
【月浄】とか【避妊】とか……。思い出しちゃうよね。セシリーさんの艶やかな声とか、素肌の感触とか……。うん、ヘンリーさんにボコられてもしょうがないわ。
ちなみにアリスが仲間に加わってから、俺の【月浄】はお役御免になった。さすがのアスカも男性の俺に月のモノの世話をさせるのは心苦しかったらしい。俺としては少し残念な気もしているが。
「イ、イ、イヤアァァァァッツ!!!」
突然、商人ギルドにアスカの絶叫が響き渡った。
なんだ!? 何が起こった!?
怪しい気配はどこにもなかったはずだ! 龍の従者が4人も揃っているというのに、何かを見落としたと言うのか!?
「どうした、アスカ!? 敵襲か!?」
アスカが顔面を真っ赤に染め、ぶるぶると震えた手で何かを指さす。
目を向けると、そこには頭と手足のない胴体と臀部だけの彫像が飾られていた。石膏で出来た真っ白な彫像は、薄い桃色の布切れが二つ……
あ、あれ……初夜の時にアスカが身に着けてた下着じゃないか。彫像の前には『オリジナル・アスキィ&セシリィ・レプリカ』と書かれた銀のプレートが……。
あ、うん……アスカ……ご愁傷様……。
第八章『動乱のジブラルタ』、スタートです!
引き続きどうぞよろしくお願いします。




