第33話 オークヴィルの夜
「たのしかったねー、アル!」
「ああ。こんなに大勢でお酒を飲むなんて初めてだったよ。楽しかったな」
森番をしていたころは友人どころか人と会うことすらごくわずかだったから、そんな機会は無かったし。伯爵家にいた時も外出して食事をすることなんてまず無かったからな……。
「あたしもー。お酒自体、こっちに来るまで飲んだことなかったしねー」
「そう言えば、そうだったな。今日は大丈夫か? ずいぶん飲んでたみたいだったけど」
「うん。気持ちいいぐらい。羊乳酒はアルコール度数がそんなに強くないんだって。飲むヨーグルトみたいで美味しかったよ! 蜂蜜を溶かすとほんっとに最高なんだから!」
「一口飲んだけど、美味しかったな」
羊乳は陶器の瓶で5本もらってきたけど、そんなに気に入ったのなら羊乳酒も譲ってもらおうかな。羊乳も羊乳酒も長持ちするものではないそうだけど、アスカのアイテムボックスがあれば問題無いし。
「アルが頑張ってくれたから、羊肉のクリームシチューもまた食べられるしね!」
「レシピを教えてもらえたのは嬉しかったな。羊乳は手に入りにくいから、たまにしか作れないけど」
「セシリーに教えてもらった方でも、十分美味しいからいいよ!」
「そうだな。旅に出る前に、羊肉も買って行こう」
森を出てから2週間近くが過ぎているけど、ずっとオークヴィルにいたから未だに野宿とかはしたこと無いんだよな。これから王都に向けて旅をすることになるから、ちゃんと準備をしておかないとな。
「うん! 美味しいものたくさん作ってね!」
「なんだよ、アスカだってレシピを料理を教わったんだから、一緒に作るんだぞ?」
「ええぇー? アルの方が上手じゃーん」
「そういう問題じゃないだろ」
アスカが俺の腕をとりながらニコニコしている。お酒も入ってご機嫌みたいだ。セシリーさんの家を出てからずっと不機嫌だったから、正直助かったな。
そんな話をしながら、山鳥亭から宿に向かう。空には満天の星空が広がり、街路灯が等間隔で目抜き通りをを照らしている。美しい星空の下、ぼんやりとした薄明りの道をアスカと腕組みをしながら歩く。
「でも……ほんとに、うまくいって良かった。あたしが平気だなんて言っちゃったから賞金首に挑んだのに、アルもダーシャも大怪我しちゃって……」
「無精ヒゲ達さえ襲ってこなければ、問題なく戦えていたさ。アスカの見立ては間違って無かったよ」
「……うん。でも、ごめんね……」
アスカが俺の腕にしがみつきながら項垂れる。そっか……気にしていたんだな……。俺は立ち止まり、アスカの頭をそっと撫でる。
「アスカのせいじゃない。全部、無精ヒゲ達が悪いんだ。アスカが気にすることは無いよ。結果的にみんな無事だったし、報酬ももらえたし、良い素材も手に入った。万々歳じゃないか」
「うん……ありがとう……」
アスカは目を潤ませながら俺を見上げ、にっこりと微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺たちは宿に着き、部屋に戻る。いつものようにタライを取り出し、互いに背を向けて体を拭く。いつもなら一日にあったことやこれからの事を話ながら過ごしている時間なのだけど、今日はまったく会話が無い。
さっき、くっつきすぎたせいかな。お互いに意識し過ぎてる。この雰囲気は……アスカと初めて会った日の夜に似ているな。今日はあの日と同じく、二人とも多少なりお酒が入っているし。
あの時、アスカは自分が夢の世界にいると思っていたと言っていた。一夜限りの夢……そんな風に言ってたよな。でも今は?
かれこれ二人で数十日を過ごしているし、ずいぶん気心も知れた仲になったと思う。男と女って言うよりは、どちらかと言うと仲の良い兄弟や友人という関係に近くなっている様な気もする。でも、お互いに意識をしてないわけじゃない……と思う。
勝気で、うるさくて、元気すぎる、一言で言えばじゃじゃ馬娘。そして、艶やかな黒髪の、大きな瞳の美しい少女。なんだかんだ言って人を気遣うことができる優しさがあり、いつも朗らかな笑顔を浮かべる魅力的な女の子。
いつもいつも振り回されてばっかりだけど、俺は彼女に惹かれている。初めての夜みたいに、雰囲気に流されているわけじゃない。それに俺は新たな未来を与えてくれたアスカを、自分の命に代えても守り抜くと心に決めている。俺にとって、とても大事な女の子だ。
それにアスカも、俺の事を憎からず思ってくれていると思う。こっちでは俺以外に頼れる人がいないからってこともあるだろうけど、それだけじゃないだろう。
さすがに今日のセシリーさんとの事で、あからさまに嫉妬している様子を見れば俺の事を男性として意識してくれていることはわかる。それに、一度は深い関係になった仲でもあるわけだし……。
「ア、アル……? 身体は拭き終わった……よね? お、お湯を捨ててくるね……」
「あ、ああ。頼む」
アスカはたっぷりとお湯が入った二つのタライをアイテムボックスに収納して、部屋を出て行く。お湯を出すのは俺、片付けるのはアスカ。二人の間に、いつの間にか出来上がった役割分担だ。
俺は、なんとなく落ち着かず、意味も無く寝支度を整えつつベッドに横になる。今日は……その……アスカと、したい。
セシリーさんの魔法教室のおかげで、俺がアスカに迫るのを控えていた理由の一つでもある、避妊の問題も思いがけず解消されたのだ。ためらっていたというか、言い訳にしていた理由も、もう無い。
アスカもセシリーさんの説明で、【月浄】だけでなく【避妊】も覚えていることは知っている。説明を受けた時には、顔を真っ赤にしていたから意識していないわけも無いだろう。
「た、ただいま」
アスカが部屋に戻ってきた。顔を紅く染め、これから起こることを意識しているのがわかる。
「お、おかえり……」
俺は、起き上がって俺のベッドの端に座る。アスカはそわそわとしていたが、覚悟を決めたかのように俺の隣に腰を下ろした。
俺は、ゆっくりと隣に座るアスカの細い肩に腕を回す。アスカが一瞬ビクッと肩を震わせたが、そっと肩を寄せ頭を俺の肩に寄り掛からせた。セシリーさんに勧められたと言う、髪に塗っているカメリアオイルの爽やかで甘い香りが鼻腔をくすぐる。
俺はアスカを抱き寄せ、大きな瞳を見つめる。アスカも頬を上気させて、潤んだ瞳で俺を見つめ……そっと瞳を閉じた。
俺はドキドキと高鳴る胸を抑えつけながら、アスカのふっくらとした唇に口づけをした。そして、いったん身体を離してテーブルの上に置いていたランプを調節し、わずかな灯かりだけが部屋を照らすようにする。
ゆっくりとアスカの隣に近づき、再びアスカを抱きすくめる。アスカも俺の背中に手を回し、やさしく抱き返す。
「……アル、お願いがあるの。魔法を……使って欲しいんだ」
「ああ、わかってるよ。これから長い旅をしないといけないからな。妊娠……するわけにはいかないもんな」
俺は、アスカに微笑みかける。薄明りに照らされたアスカの横顔は息を飲むほど美しい。
「えっと、その……ごめんね、アル」
「えっ?」
アスカが俺の背中に回していた手を離し、胸の前で手のひらを合わせた。なんで謝るんだ??
「ごめんね。その、たった今、来ちゃったんだよね……あはは」
「えっ? どういうこと?」
来たって? 何が? 誰か来たのか? こんな、夜更けに??
「……だから、その、来ちゃったの。だから、【避妊】じゃなくて……【月浄】を使ってほしいんだ……」
あ、来ちゃったって……月のもの……かよ。よりにもよって……今日!?
「だから、その、今日は……ごめんね」
マジかよぉ……ええぇぇ……今日こそはって、思ってたのに……。
その後、俺はアスカに【月浄】をかけることになる。何が悲しいって、アスカが寝巻に使っている羊毛のワンピースの下から手を挿し入れて、下着の中にすら手を突っこんでいるのに、その先には進めないこと。
魔法をかけた後、収まりのつかない愚息と共に部屋を飛び出して、草葉の陰で行き所の無い熱情に血の涙を流しつつ、自らを慰めることを止められなかったのは言うまでも無いだろう。




