第333話 幕間・オークヴィルの森にて
オークヴィルの冒険者パーティ『火喰い狼』のダーシャ視点です(初出・第一章 山間の町オークヴィル)
「デールッ! 引き付けて!」
「まかせろっ! かかってこいや、豚ァッ! 【鉄壁】!」
地竜の大盾を構えたデールが、豚王が振り下ろした棍棒を易々と受け止める。丸太と言った方が良いかもしれないほど巨大な棍棒の打擲であっても、その大盾が歪むことはない。
さすがはウェイクリング辺境一の職人、【革細工師】ヘルマンさん謹製の大盾だ。なんでも王都から来た貴族様だか親衛隊長だかに竜素材で防具を仕立てたうえに、王家の御用職人に技を伝授した功績を評価され、領主様から『辺境伯御用達』の称号を与えられたらしい。近頃じゃ『辺境の匠』なんて呼ばれているそうだ。
それに、地竜の大盾もすごいけど、デールのスキルだって並みじゃない。スキルを発動すると、目に見えるぐらい強力な魔力の障壁が展開されるのだもの。攻撃魔法でさえ弾き返すことが出来るデールの鉄壁は、Bランク魔物である豚王であっても簡単に崩すことは出来ない。
「ニャッッ!」
デールの背後に隠れていたエマが飛び出して、短剣で豚王の脇腹を抉る。豚王の皮は硬く厚いから、エマの細腕では浅い傷しかつけられない。でも、それでいい。エマの役目は戦場の撹乱だから。
傷を気にもかけずに、豚王は棍棒を振り回し、エマを払いのけようとする。でも、残念ながら既にエマの姿はそこにはない。
神出鬼没。疾風迅雷。
エマの【潜入】は、後衛で戦域を俯瞰している私でさえも姿を見失ってしまうほどに完成度が高い。豚王からしてみれば、霞の如く消えてしまう亡霊のように感じられたことだろう。
「【エレメントショット】!」
「ブゴオォォッ!!」
私だって負けてはいられない。焔をまとった矢が、豚王の硬い表皮をものともせずに深々と突き刺さり、肉を焦がす。
【剣闘士】のデールと【盗賊】のエマは、攻撃スキルを持っていない。オークヴィル唯一のBランクパーティ『火喰い狼』の牙は、【狩人】である私なのだから。
「いいぞ、ダーシャ! 【盾撃】!」
「続くニャンッ!」
腕に矢が刺さり、怯んだ豚王にデールがすかさず大盾の一撃をお見舞いする。よろめいた豚王の脇をエマが駆け抜け、遅れて血飛沫が舞う。
「【ピアッシングアロー】!」
デールが引き付け、エマが掻きまわし、私が魔物を削る。それが私達の戦い方だ。このパターンに嵌めてしまえば、例えBランクの災禍級の魔物だって逃れることは出来ない。
「畳みこむぞ!」
「ええ!」
「ニャニャニャーッ!!」
シエラ樹海の奥深くで、今日も私達は魔物を狩る。私達よりも強い魔物を求めて、森に潜る。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ほら、焼けたぞ、ダーシャ」
「ありがと」
シエラ樹海の奥深くにある小さな洞窟の前で、私達は焚火を囲む。オークヴィルから少しづつ資材を運びこみ、生活環境を整えた『火喰い狼』の拠点だ。
板の上に麦藁と魔物の毛皮を乗せただけの簡易なベッドと、岩とレンガを積み重ねて作った竈があるだけの拠点だけど、その辺で野営するよりは居心地がいい。火を絶やさないようにすれば魔物もあまり寄ってこないし、天井があって雨にも打たれない。地面に寝転ぶより遥かに良質な睡眠がとれる。
樹海の深部に辿り着くにはオークヴィルから丸一日はかかる。何度も行き来するのは非効率なので、ここに来ると最低でも4,5日は滞在することにしている。しっかりと休息が出来る拠点が無いと、身体がもたないのだ。
「なあ。豚王と戦ってるとき思ったんだけどさ、焔の矢、また威力が上がったんじゃないか?」
「ええ、そうね。もう少しで、『覚醒』に至れる。そんな気がするわ」
「ついに、か……。大変だったな、ダーシャ」
「そうね。属性矢を鍛えるのは手間がかかったわね。ずいぶん二人を待たせてしまったわ」
「気にするな。ダーシャの属性矢のおかげで、俺達は敵を選ばずに戦えてるんだからさ」
『覚醒者』。
それは戦士たちの間で語られる一種の幻想。多くの魔物を狩り、武技を極めた末に辿り着ける境地。守護龍の祝福を受けた者だけが上ることが出来る『高み』として語られる。
Aランクの冒険者や決闘士の多くは、『覚醒者』であるとは言われている。事実、商人ギルドのセシリーの父親であるヘンリー氏は拳士として『覚醒』に至ったと言われていて、『拳聖』の称号を王家より与えられている。
ただ、Aランクの冒険者や決闘士は、この世界で最大の支配領域と人口を誇るセントルイス王国においても、さほど多くはない。一般的な冒険者からしてみれば、雲の上に住む圧倒的な強者のことであり身近な存在ではない。達人、勇者、賢者なんかと同列に語られる、幻想であり御伽なのだ。
だが長命の神人族の間では、央人や獣人に比べれば、より現実的に目指すことが出来る位階として知られている。ただし数百の齢を重ね、常に戦場に身を置いた者だけが至れる位階としてだ。アストゥリア帝国の選帝侯家、神族と自称する彼等の中には『覚醒者』が多いと言う。
それはそうだろう。選帝侯家は高位の加護を持つ者同士で縁を組んで血族に取り込むため、必然的に恵まれた加護を授かる者が多い。さらに他種族から搾取した潤沢な資金で高品質な武具や魔道具に身を包んで、安全に狩りを行える。長い寿命を持つために、経験を積む時間も長い。他種族に比べて条件が良いのだ。
とはいえ怠惰で傲慢で享楽的な神人族に、それほどの境地に辿り着ける者はそう多くない。他種族に比べて、人口が少ないということもある。
そんな、御伽のように、雲上人のように語られる『覚醒者』に、私達は至っている。
「ぜんぶ、アスカ達のおかげね」
「そうだな……。俺達も努力はしたけど、アスカから『自分より強い魔物を相手にスキルの実践訓練をする事が強くなる近道』って教えられていなけりゃ、今でも片田舎でちょっと幅を利かせられる冒険者どまりだっただろうなぁ」
私達はアルフレッドの異常な強さに驚嘆し、二人に教えを請うた。だって明らかにおかしかったのだ、アルフレッドは。
エウレカ出身の私は、人のレベルを見ることが出来る魔道具『識者の鼻眼鏡』を持っていた。だから知っていたのだ。私達と一緒に『火喰い狼』と戦った時、彼のレベルが1だったことを。
レベル1にもかかわらず複数のレッドウルフを蹴散らして私達の命を救い、当時レベル10を超えていた剣闘士のデールとの力比べで良い勝負をしてしまう【盗賊】のアルフレッド。登録したばかりの冒険者にしては良い武具を身に着けてはいたけれど、それだって一人前の冒険者なら誰だって持つことが出来る程度の品だった。明らかにアルフレッド自身が異常な強さを持っていたのだ。
その強さに少しでも近づきたいと、別れ際にアスカから聞き出した実践訓練法を、私たちは愚直に実行した。
潜入のコツをアルフレッドから聞き出していたエマがパーティメンバーだったことも幸いした。私達以下か同程度の魔物との戦闘は極力避けて森の奥に踏み込み、可能な範囲でレベルの高い魔物にスキルを乱発して戦い続けた。
直ぐに効果は現れた。デールの【鉄壁】は魔法ですら弾き返し、【盾撃】は魔闘猪だって軽々と吹き飛ばすようになった。エマの【索敵】は研ぎ澄まされ、遠くの魔物の気配だって簡単に探り当てる。【潜入】は目と鼻の先にいる魔物にすら気付かれなくなった。私の【魔物寄せ】は狙った魔物だけを有利な地形に誘き寄せることが出来るようになったし、【ピアッシングアロー】は鉄でさえも貫くようになった。
そして、デールの体力と膂力が、エマの機敏さが、私の魔力や手練が、解き放たれるかのように強化されていった。私達は、幻想とまで言われた『覚醒』に至ったのだ。アルフレッドがレベル1にして至っていた境地に、辿り着いたのだ。
「いつか、成長した俺達の姿をあいつらに見てもらいたいな」
「ええ。『紅の騎士』と『黒髪の聖女』なんて有名人になっちゃったけど、また一緒に依頼をこなしたいわね」
受け取った豚王のモモ肉の焙りを頬張りながら答える。串にさして、塩で味付けしただけの料理とも言えない一品。けれど滴る肉汁と脂が口いっぱいに広がる、野趣あふれる逸品だ。
「たっだいまニャー」
「おう、お帰り。どうだった?」
「やっぱりギルバード様たちだったニャー」
私とデールが拠点で野営の準備をしている間、エマは周囲の警戒と探索に行っていた。【索敵】で人の気配を感じたというので、いつもより遠くまで足を運んでもらったのだ。
「やっぱ、そうか。ほんと熱心だな、次期領主様は」
「小耳にはさんだのだけど、次期領主から外されたって話よ? 領主様はアルフレッドに継がせたがっているらしいわ」
「ああ、そんな噂があったな。アルフレッドが次期領主様かぁ。ますます遠くなるな」
アルフレッドが領主ってことはアスカが辺境伯夫人ってこと? 彼女は平民でしょうから妾か側室かしらね。
「ギルバード様だけど、今日は騎士を連れていなかったニャ。代わりにお揃いの胸鎧を着けた人たちと一緒だったニャ。黒鉄の鎧ニャ」
「お揃いの黒鉄製胸鎧……? もしかして『鋼の鎧』か?」
「たぶんそうニャ。ジブラルタから移動して来たって噂だったニャ」
「ふーん……。なんでまた紛争専門の傭兵団なんかと次期領主……じゃなくて領主の息子? が一緒にいるんだ?」
「わかんないニャ。向こうにも斥候がいたから近寄らなかったニャ」
「ま、いいじゃない。やんごとなき方々の考えは私達にはわからないわよ」
「んー……ま、そうだな。とりあえず、豚串食おうぜ」
「良い匂いニャ~」
エマがふーふーと息を吹きかけて冷ましてから豚王モモ肉の串焼きにかぶりつく。満面に広がる幸せそうな表情はいつみても可愛い。
「今日はどっちからだっけ?」
「夜警はエマからニャ。先にしっぽり楽しむと良いニャ」
「え、うん、そうね。先に戻って、身体を拭って来るわ」
「えー? そのままで良いって。汗かいたままの方が興奮するじゃん。どうせ後で汗かくんだし」
「イヤだって何度も言ってるでしょ? 私は嗅がれたくないの!」
丸一日移動して豚王と戦って、たくさん汗をかいてるのに、そのままするなんてイヤよ。野営では石鹸と香水の匂いに包まれてってわけにはいかないけれど、それでもせめてね。
「ダーシャは良い匂いがするニャ。そのままの方がいいニャ」
「だろー?」
「イ・ヤ・ヨ!」
本当にこれだけは、央人と獣人の趣味とは合わないわ。デールの汗の匂いが好きだと言うエマの気持ちは分からないでもないけれど……。私は懸想する人の前ではいつでも身綺麗にしていたい。
それから私達は10日間ほど森に籠った。狩りと鍛錬に夢中だった。
オークヴィルに悲劇が訪れようとしていることも知らずに、私達はシエラ樹海の奥深くで自身の成長と愛欲の充実感に浸っていたのだ。
覚醒=スキルの修得による加護レベルの向上
念のため。
実は結構前にエルサが呟いてたりします。
新しい要素では無いです。




