第331話 最後の灰狼
「レグラムに移住?」
「ええ。転移陣に向かう前に送って行ってくださらない?」
翌日、ジブラルタ王国への出発の挨拶のためにユールの家に訪れたところ、思いがけない依頼をされた。
「それはかまいませんが……昨日まではトゥルク村で暮らすとおっしゃっていませんでしたか?」
「そうだったのですが、事情が変わりました。ヴォルフ王と再婚することにいたします」
「再婚!?」
突然のユールの発言に皆が呆気にとられた。レグラムのヴォルフ王と結婚? なんでまた?
いや、だが、獣人族全体の安定を考えればユールの決断は歓迎すべきことではあるか……。
先の戦いで、レグラム王国は獅子人族率いるマナ・シルヴィアに勝利し、支配下に置いた。レグラム王国は、小国が林立するシルヴィア大森林で最も広域を勢力下におく国家となったわけだ。
そして、ヴォルフ王は王位をユールに譲ってマナ・シルヴィア王国を復活させ、獣人族を再びまとめ上げようとした。ユールがヴォルフ王と再婚するのなら、獣人族全体に連帯を呼びかける御旗となるだろう。
だが、ユールは亡き夫との思い出の残るトゥルク村でひっそりと暮らしたいと願い、ヴォルフ王もそれを受け入れたと聞いていたのだが……。
「再婚と言っても形だけのものです。今さらマナ・シルヴィア王国の再建など望みません。あくまでもヴォルフ王に獣人族の王たる正統性を与えるための婚姻です。ヴォルフ王には立派な後継者がいらっしゃいますので、夫婦として生活することもありません」
「なるほど……。獣人族の安寧のため、その身を捧げるご覚悟をされたという事ですね。敬服いたしますわ、ユール様」
エルサがどこか寂し気な表情で微笑んだ。
エルサもアストゥリアでは神族の一員だった。政略的な婚姻について思うこともあるのかもしれない。
「…………」
ユーゴーは既にユールの意思を聞いていたようだ。表情に全く変化はない。
というか、昨日あんなことがあったのに普段と様子が全く変わりが無い……。むしろ俺の方が意識しまって、チラチラと目を向けてしまう。
「いえ、それも一つの理由ではあるのですが、そのためだけに婚姻を結ぶわけではないのです……本当の理由はユーゴーに身分を与えるためです」
「身分……なのです?」
アリスが不思議そうに首を傾げる。
「ええ。私がヴォルフ王と婚姻を結べば、連れ子とはいえユーゴーもレグラム王の義理の娘になります」
そう言ってユールは俺に向かってニッコリと微笑む。
「セントルイス王国の辺境伯家に嫁ぐには、相応しい身分が必要となるでしょう?」
「…………へっ?」
アリスとアスカは揃って素っ頓狂な声を上げ、エルサはため息を吐いて苦笑いする。
「辺境伯って……アルさんのご実家のこと、なのです?」
「どういう、ことかなぁ? アル??」
アスカは青筋を立てて俺に微笑みかける。
昨夜の出来事もふくめて、道すがら話をしようとは思っていたけど、まさかユールから切り出されるとはね……。そんな睨まないでくれ、アスカ。
「昨日、ユーゴーが俺に剣を渡したの見てただろ? あれ、セントルイスで言う『佩剣の儀』みたいなものなんだよ」
「はいけん……? ああっ! あの、あたしの騎士にってやつ」
「そう。あの時、誓ったよな。俺の剣をアスカに捧げる、アスカがニホンに帰るその日まで、絶対に護り抜くって」
「う、うん」
「昨日のアレ、傭兵流の誓約なんだよ。今後、俺のために剣を振るい、その身命を捧げるっていうね」
「え? あ、そういえば、そんなことを言っていた……かも」
まあ、それだけなら、俺に戦士として忠誠を誓うってことなんだけどね。それだけじゃなかったと言うか……。
「それでだな、その、ユーゴーは剣だけじゃなく、俺に全てを捧げるって誓ってくれてだな……」
「全て……ってそれ……」
アスカが唇をわなわなさせながらユーゴーを見やる。ユーゴーはこくりと頷いた。その表情はほとんど変わらないが、うっすらと紅潮している。
「全てだ。私の剣も、身体も、心もだ」
「うぇっ!? ちょっ、それ、女の子が簡単に言っちゃダメなヤツ!」
「アスカ、簡単に言っているわけではない。私は……」
「簡単にじゃなくてもダメー!! ちょ、どういうこと!?」
「いや、ちょっと落ち着いてくれ」
「結婚!? ユーゴーと結婚するのアル!?」
「いや、だから、その……」
半狂乱のアスカとジトっとした目線を向けてくる他女性メンバーに、俺は必死で真意を説明する。
アスカの気持ちを裏切るつもりは無いし、俺が愛しているのはアスカだけ。ニホンに帰りたいというアスカの願いを叶えてみせるという誓いに嘘偽りはない。だが、戦士の剣を受け取った以上はユーゴーの今後に責任を持たなければならないとも思っていると。
丁寧に説明しつつ、皆の前で面と向かって愛を囁いたところ、アスカはいったん矛を収めてくれた。とはいえユーゴーの件について納得するはずもなく、アスカは顔を赤らめたり、憤怒の形相したりと表情をコロコロ変えるのに忙しい。
「ユールさん、以前にも言いましたが私はアスカと旅をするためにウェイクリング家を出た身の上です。旅が終わった後に、ウェイクリング家に戻るかどうかもわかりません」
「あら、そうなのですか? 旅を終えた後は辺境伯家を継いで、セントルイス王国の王女と有力商会の令嬢と結婚されるとお聞きしていたのですが……」
え? なんでそんな事を知ってるの!?
アスカをちらりと見るとプイッとそっぽを向かれた。ユーゴーに目線を向けるとゆっくりと頷く。
ああ、なるほど。クレアをチェスターに送っていった時に聞いたのか。
……ってことは、セントルイス王国のカーティス陛下が、俺にウェイクリング家を継がせようとしてることも、テレーゼ殿下を嫁がせようとしていることも、クレアは既に知っているってことか。
クレアは俺に想いを打ち明け、ウェイクリング家の後継者に嫁ぐと決意していた。父上は俺に家を継がせる気でいたようだし、クレアは再び俺の婚約者になったというところだろうか……。
うーん。完全に外堀は埋められた感じだな……。旅が終わって王都クレイトンかチェスターに顔を出したら、なし崩し的にウェイクリング家の当主に祭り上げられそうだ。
「そんな話があるのは事実ですが、先のことは何も決めていません。どこかで命を落とすことになるかもしれませんし、無事だったとしても一冒険者として生きていくかもしれません。それでもユーゴーのためにヴォルフ王のもとへ嫁がれるのですか?」
「私はトゥルク村でひっそりと暮らしていた百姓なのですよ? アルフレッドさんほど有能な冒険者が娘を連れて行って下さるのなら、母としてはうれしい限りです。それにヴォルフ王は私を大切に扱ってくれるでしょう。あの方は私の父の直属の部下でしたから」
「……魔人族に狙われる危険な旅になります。ユーゴーも生きて帰れる保証はありません」
「ユーゴーが戦士になった時から、その覚悟はしています。それにユーゴー自身がアルフレッドさんに剣を捧げると決めたのです。私はその意思を尊重します」
これはまた……母子そろって意思が固いな。
まあ、ユーゴーには『ともに生きよう』って言ったわけだしな。妻に迎えるってよりは、同じ戦士として一緒に生きよう、ユーゴーの命を預かる、って意味で言ったんだけど……まあ似たようなもんか。
「……わかりました。では、ユーゴーを預かります」
俺はそう言ってユールに一礼した。




