第326話 風龍の従者
「よお。思っていたよりも早かったな」
倒れ伏すアスカ達の傍らに灰色のローブの男と少女が佇んでいた。そろそろ現れるんじゃないかと思ってはいたが、案の定だ。
「アザゼル!!」
「【紫……」
「やめろ! エルサ!」
俺はエルサが突き出した聖短杖を掴み制止する。魔人族に対して感情的になってしまうのはわかるが、もう少し冷静になってくれ。
側にいるアスカ達に危害を加えられたらどうするんだ。しかもこの位置関係で魔法をぶっ放したらアスカ達にも当たるし、その奥の六角水晶の塊を破壊してしまうかもしれない。
「落ち着け、エルサ。アスカ達は意識を失っているだけだ。それに……」
俺の【警戒】はアスカ達の穏やかな心音や呼吸を拾っている。昏倒はしているが、外傷は無さそうだ。
「ははっ、いい加減に慣れたか。そうだ、これは【幻影】だよ」
そう、ここにあいつの実体は無い。魔力の流れだけは感じるが、気配がまるで無いのだ。
「……アスカ達から離れろ」
「ふふん。勘違いしているようだが、気を失っているのはオイラがやったんじゃないぜ? 龍の従者達には手を出してない」
そう言ってアザゼル達はアスカ達の側から離れ、壁際に寄った。
俺は警戒しつつアスカの側ににじり寄り、首元に手を当てる。うん、呼吸も安定しているし、顔色も悪くない。アザゼルが言った通り、アスカ達に危険は無さそうだ。
…………いや、待て。龍の従者達だと?
倒れている4人の中で龍の従者はアリスだけだ。アスカは守護龍から聖具を授かってはいないから、龍の天啓を受けてはいるものの従者ではないはずだ。
「そっちの『怒れる女狼』ユーゴー、いや、『混血の灰狼』ユーゴー・マナ・シルヴィアが無事に風龍ヴェントスの祝福を受けたよ。おめでとう、順調に龍の従者が揃っていってるな」
ユーゴーの側に転がっている大剣が、うすく淡い紫色の輝きを放っていることに気付く。あの大剣は黒鉄製だったはず。もしかして……大剣が聖剣に昇格した?
ユーゴーが……風龍ヴェントスの従者に……。だとしたら、天啓を下される際の魔力の奔流に晒されて、気を失っているってことか?
「それが……お前達の狙いだと言うのか。俺達に守護龍の天啓を受けさせる……龍の従者を増やすことが……?」
ユーゴー・マナ・シルヴィア。純血の灰狼族の最後の生き残りであるユールの娘だと言うのなら、ユーゴーはシルヴィア王家の血筋ということか。
シルヴィア王家の血を引くユーゴーに、獣人族の守護龍である風龍ヴェントスの天啓を受けさせるため、俺達とユーゴーを龍の間に誘導した……?
「さあてね……? 次はジブラルタ王国で動乱が起きるぞ。神の使い、そして龍の従者の手助けが必要だろうな」
「なっ……! 今度はジブラルタで騒動を起こすということか!?」
王都クレイトン、鉱山都市レリダ、魔法都市エウレカ、そして杜の都マナ・シルヴィアに続き、今度はジブラルタ王国で!? アスカはジブラルタでは特に魔人族の襲撃を受けることは無かったと言っていたが……。
「おいおい。今度はってなんだよ。まるで俺達が、この騒動を起こしたみたいじゃないか。人聞きが悪い」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアザゼル。
「今さら……何を……!」
「なら聞くが、この地でオイラ達が何をしたと言うんだ? 獣人族どもが勝手に殺し合っただけだろう? 今回オイラ達がやったのは、隷属の魔道具をいくつか卸しただけだぜ? 全部オイラ達のせいって言われるのは心外だな」
「お前が、そうなるように誘導したんだろうが!」
「ふふっ。霧を晴らして他の種族を襲ったのも、それに対抗してマナ・シルヴィアに攻め入ったのも、同じ獣人族だろう?」
そう言ってアザゼルは肩をすくめる。
確かにシルヴィア大森林の覇権を争って殺し合ったの獣人族同士だ。両陣営の首長が操られていたようにも見えなかった。アザゼルが言う通り、争い合うと決めたのは獣人自身なのだ。
「……お前が隷属の魔道具を持ち込みさえしなければ、こんな争いにはならなかった」
アザゼルが隷属の魔道具を流したせいで、リア王は純血の狼人ユールを隷属し、霧を操ることが出来るようになった。『操霧の秘術』を手に入れたからこそ戦いを有利に進められると考え、戦争を始めたのだろう。隷属の魔道具が、獣人同士の戦争のきっかけになったのは間違いない。
「そんなわけあるかよ。獅子人と狼人の争いは遅かれ早かれ起こったさ」
「争いを煽っておいてよくもぬけぬけと……お前のせいで多くの血が流れたと言うのに」
「へえ? 獣人族に血を流させたのはダンナだろ?」
「なん……だと……」
「聖剣の力で、獅子人族達を焼き殺してたじゃないか」
アザゼルの言葉に思わず息を飲む。
魔人族の狙いは、俺達とユーゴーを龍の間に送り込むことだった。そのために獣人族同士の戦争が起きるように誘導した。
その戦いで……俺は何十人もの獣人を焼き殺したのか?
「人は富や土地を奪い合う生き物だろ? それが獣人だろうと、央人だろうと、魔人だろうと変わりはしない」
「…………」
「オイラ達も、魔人族が生き残るために戦う。生きるために殺す。獣人達がやっていたことと何が違う? ダンナがやったことと何が違う? いや、違うか。ダンナは何の関係も無い獣人族同士の争いに自ら首を突っ込んで、獣人を殺した」
そうだ……。
魔人族を追うために依頼を受け、レグラム勢につくと決めたからには戦わざるを得ないと考え、力を振るい……多くの獣人を殺した。自らの目的に従って行動し、自ら人を殺したんだ。
地竜の洞窟で、魔人ロッシュが言っていたじゃないか。血族が生き残ること、安住の地を手に入れることが目的だと。獣人同士の争いと、本質的には……同じ。
魔人を殺すために、無関係の戦争に加わり、多くの人を殺した。俺の方が……よっぽど不純な動機じゃないか。
「さてと……ジブラルタでまた会おう、ダンナ」
そう言うとアザゼルの身体がすーっと溶けるように消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……気にすることないわ、アル」
「エルサ……」
「狼人族と獅子人族の戦争は避けられなかった。死人が出るのは仕方がないことだわ。アルが殺さなかったとしても、戦士たちが死んでいくのは変わらない」
「……ああ、わかってる」
「魔人族は世界中で、人族を殺している。例え彼らが生き残るためだったとしても、そのために数多くの人が殺されてしまうのは看過できない。アザゼルを殺せば、少なくとも彼に殺される人はいなくなるでしょう? なら、私達がすべきことは変わらないわ。彼を殺せば、彼に殺されるかもしれない多くの人を救えるわ」
大を生かすために、小を殺す。領主となるための教育で、頭に叩き込まれている。頭ではわかってる。
ただ、俺の目的は『数多くの人を救う』なんて大層なものじゃなくて、『アスカの願いを叶える』だ。そのために、無関係な人を殺す、か……。
「私達はたくさんの風竜を倒して、マナ・シルヴィアの民を救ったわ。エウレカでもアル達がいなかったら、きっと多くの民の命が失われていた。私達は、魔人族を止めなくてはならない。多くの人の命を救うためにも」
俺が魔人族に関わらなかったとしても、魔人族は自分達の目的のために人族を殺すだろう。頭ではわかっているんだ。
ただ、心が追い付かないだけだ。アザゼルから、『魔人族が生き残るために戦う』と言われただけで、こんなにも動揺するなんてな。今さら、俺に悩む資格なんてあるわけも無いってのに。
「そうだな……止めないとな。まずは、この無意味な獣人族同士の殺し合いを止めないと」
霧が元に戻り、魔物が駆逐されたのを確認したら、レグラム勢は再びマナ・シルヴィアを攻めるだろう。アザゼルに誘導された、この無意味な殺し合いは続いてしまう……。




