第319話 世界樹の下に
世界樹は戦場を通り抜けた先、マナ・シルヴィア北側の森にある。まずは、そこまでの道のりに立ちふさがる獅子人族勢と風竜を突破しなくてはならない。
「どけぇっ!!」
聖剣を振るい、爪を突き立てようと降下してきた風竜の腹を掻っ捌く。致命傷を与えたようだが、魔物などにかまっている時間は無い。そのまま放置して走り抜ける。
「あぁっ、もったいない!」
アスカが未練がましい声を上げる。風竜の素材が惜しいのはわかるが今はそれどころじゃない。
「拾いに行ってる場合じゃないのです!」
「わかってるけどー!」
3人娘を背に乗せたエースと俺は【威圧】を発動している。にもかかわらず風竜は臆せずに襲い掛かって来た。
苦戦する相手では無いが、腐ってもBランクの魔物だ。倒しきるには、いったん足を止めざるを得ない。そうなると敵兵に囲まれて余計な時間を取られてしまう。
「道を開けなさい! 【突風】!」
「【風衝】!」
【威圧】にたじろいだ敵兵にエースの上からエルサが突風を浴びせて薙ぎ倒し、それでも立ちはだかる者には至近距離から風の塊をぶつけて吹き飛ばす。俺達は、世界樹のもとへと最短距離を突き進んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「こっちで合ってるよね?」
「ああ、前方に人の気配がある」
マナ・シルヴィアの北側から森に入り、うろ覚えの道なき道を辿っていく。道中に出た魔物は、俺達を見つけた瞬間に尻尾をまいて逃げて行ったので、戦場を抜けた後は消耗することなく進むことが出来た。
そして、霧煙る森の奥深くで、【警戒】が数人の気配を掴む。こんなところに民間人や冒険者がいるわけがない。獅子人族の手勢だろう。
人の気配に近づいていくと、霧が開ける。左右にどこまでも続く巨大な壁が、俺達の目前に現れた。
「止まれ!」
世界樹の下には槍の穂先をこちらに向けて構えた猫人と獅子人、そしてユーゴーが待っていた。ユーゴーが、地面に突き刺した大剣に両手を添えて哀しげな目を俺達にむけている。
「やはり、ここにいたのか」
「ユーゴー……」
アスカの声が震えている。
「またしても世界樹の霧を抜けてきたか。Aランク冒険者、アルフレッド」
猫人の男が敵意を剥き出しにした目で俺を睨みつける。
「リア王はどこだ。伝えたいことがある」
「冒険者風情を我らの王の下へと行かせると思うか?」
獅子人族の男が槍を中段に構え、今にも飛びかからんと殺気を放つ。
「待て。リア王が霧を消したせいで、風竜の大群がやってきた。風竜はレグラム勢だけでなく、お前達の仲間にも、マナ・シルヴィアにも襲いかかってる。お前たちの家族が襲われているんだ!」
「何……!?」
「竜の大群、だと?」
森に多く生息するオークやゴブリン、猪や狼などがマナ・シルヴィアに侵攻してくるとは想定していただろう。だが、風竜の様な大型の魔物が大挙して押し寄せるなんてことは考えていなかったに違いない。猫人と獅子人はあからさまに狼狽えている。
「このままだとマナ・シルヴィアの民の多くが、逃げ場も無く死ぬことになる。早急に霧を元に戻すんだ。俺達を通せないと言うなら、お前たちが伝えてこい!」
霧さえ元に戻れば、マナ・シルヴィアに魔物が入り込むことはなくなる。霧の中に残された魔物さえ倒し切れば、危機を脱することが出来る。
犬派だ、猫派だと言っている場合じゃない。獣人族の覇権争いなど、民の命を犠牲にしてまですることじゃないだろう。
「それを信ずるに足る証拠がどこにある」
太く低い声が聞こえ、木陰から豪奢な装いの獅子人族の男が現れる。マナ・シルヴィアの簒奪王リア・レイヨーナだ。
その後ろには黒いローブを纏った狼人族の女性、おそらくユールという名の『純血の灰狼族』の生き残りが立っていた。その表情からは感情の一切が感じられず、山吹色の瞳は何も映していないように見える。
「ない。だが、レグラム勢は既に撤退を始めている。霧を元に戻さなければ、マナ・シルヴィアの兵と民が滅ぶだけだ」
「それは重畳。レグラムの犬共が引いたのをこの目で確認したら、霧を戻すこととしよう」
「民の命が失われてもいいというのか!」
「ふん、シルヴィア大森林でも滅多に目に出来ぬ風竜が群れを成して現れただと? そのような世迷いごとを信じるとでも思ったか」
「民が危険に晒されているんだぞ……それでも王を名乗る者なのか」
「央人などに理解は求めん。さあ『怒れる女狼』よ。我が剣となり、不遜な侵入者を討つがいい」
リア王が薄ら笑いを浮かべて、顎をしゃくる。ユーゴーが地面に刺さった大剣を引き抜き、俺の前に立ち塞がった。
「ユーゴー……。こんな下らない争いをしている場合じゃ無いんだ。一刻も早く霧を元に戻さなきゃならない。頼む、引いてくれ……」
おそらく純血の灰狼族ユールに隷属の首輪をつけたのはリア王だ。
霧を戻すつもりが無いのなら、リア王を殺すしかない。主を殺せば、ユールは隷属から解放されるだろう。
首輪を外し、ユールに霧を操る秘術で晴れた霧を戻してもらう。もう、それしかマナ・シルヴィアを救う方法がない。
「すまない、アルフレッド……引くことは出来ない」
「たった今も、多くの民の命が失われているかもしれないんだ。これはもう種族同士の覇権争いなんかじゃない。施政者の過ちによる人災なんだ!」
軍人や傭兵の争いならば、止めるつもりは無かった。だが、争いに無辜の民を巻き込むというなら、話は違う。そこに魔人が絡んでいるかもしれないのなら、なおさらだ。
傭兵としてリア王に雇われているのかもしれない。だがユーゴー、君は民に剣を向けるような者に与すると言うのか?
「剣を抜け、アルフレッド」
瞳に哀しみを湛えたまま、俺に大剣を向けるユーゴー。
なぜ引けないと言うんだ。傭兵としての矜持か?
いや、違う。そんな事のためにユーゴーは剣を振るうはずがない。
また隷属されている?
いや、魔道具をつけられている様子も無い。
何か、俺の知らない、引くに引けない事情があるのだろうか……。
「アリス、エルサ。リア王達の相手をしてくれ。エース、アスカを頼んだ」
俺は聖剣を抜き放ち、グリップを強く握りしめる。
「アル……ユーゴーを……」
「ああ、殺さないようにするさ」
なんとか殺さずに無力化を狙う。
だがユーゴーは凄腕の戦士だ。そう簡単にやらせてもらえるとは思えない。
「行くぞ、アルフレッド!」
「ああ、来い! ユーゴー!」
その刹那、ユーゴーの大剣と俺の聖剣がぶつかり、世界樹の下に火花が散った。




