第318話 風竜と翡翠竜
憎しみの炎を瞳に宿し、エルサは上空を刺し貫くように睨みつける。最愛の従妹キャロルを殺害したアザゼルとその郎党を滅ぼすまでは、この炎が消えることは無いと、ガラス玉のような瞳は雄弁に語っていた。
「ゼノのところに戻るぞ!!」
森の上に現れた数十匹の風竜の飛行速度は驚くほどに速い。既に俺達の頭上を越えて、相争うレグラム勢と獅子人族勢の戦場の上空にまで至っている。
この戦場での俺達の役目は、ゼノの護衛だ。まずはそれを全うしなければならない。
「アルフレッド! 魔人族が現れた場合は、その排除を優先するのでしょう!?」
エルサが俺の腕をつかんで、気色ばむ。
「あんな高いところにいられたら、どうにもできないだろ!」
風竜の上級種と思われる翡翠色の竜は、さほど羽を動かしていないにも拘わらず、遥か上空に留まっている。蝙蝠のような羽ではなく、風魔法を使用して浮かんでいるのだろうか。
ともかく、あんな空高くにいられたら攻撃することもできない。こっちの遠距離攻撃は俺とエルサの魔法のみ。ここから【火球】を放っても余裕で避けられてしまうだろうし、減衰してロクな威力は発揮できないだろう。
アイツが下りて来ない限りは、手の出しようが無いのだから、無視するしかない。アイツは今のところ戦場を俯瞰しているだけのようだし。
「……そうね」
エルサは不承不承といった面持ちで頷く。俺だってアイツらを見逃すつもりは無い。だが、まずは護衛対象の安全確保だ。
「行くぞ!」
俺達は本陣で指揮を執るゼノの方に向かって駆け出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
戦場は既に混乱の極みにあった。ある者は風竜の爪に鷲掴みにされ、ある者は牙に貫かれて咥えられ、四肢をだらりと弛緩させている。
背後からの魔物の群れの奇襲に耐え、正面からの獅子人族勢の襲撃をもなんとか凌いでいたレグラム勢だったが、風竜の乱入で戦線は完全に崩壊していた。
「うぐぁぁぁっ!!?」
「なっ、竜!?」
「くそっ、撤退! 撤退だ!」
「撤退ってどこにだよ!?」
だが混乱しているのはレグラム勢だけじゃない。風竜は獅子人族勢にも等しく襲い掛かっている。
なぜ獅子人族勢まで風竜に襲われているんだ? 獅子人族と魔人族は協力関係にあるんじゃないのか? 猫派の領地で灰色ローブの姿が見かけられていたことと、灰狼族の女性が『隷属の首輪』を着けられていたことから、そうだと思っていたが……。
風竜は本能のままに、目の前の人族に群がっているだけのようにも見える。あの翡翠竜に乗っている魔人族が操っているわけではない?
「アルッ! あれ!」
アスカの指差した先に、混沌と化した戦場の中で二匹の風竜を相手取り、大剣を振り回しているゼノがいた。さすがのゼノも二匹に挟まれ、苦戦している。
しかもゼノの足元には、流血し倒れ伏す幾人かの傭兵達の姿があった。仲間を庇いながら戦っているため自由に動けないのだろう。
ゼノの真価は槍使いにも劣らない膂力だけでなく、獣じみた敏捷性と柔軟な身のこなしにある。あんな風に誰かを護りながら戦うのではなく、敵に斬り込んでこそ力を発揮する純粋な攻撃役なのだ。
「うっぐあぁぁぁっ!」
仲間の前に立ちふさがり風竜の爪を大剣で弾いたゼノだったが、続いて急降下したもう一体に爪を肩に突き立てられてしまう。そのまま風竜の巨体に圧し掛かられ、堪えきれず地面に組み伏せられる。
「【突風】!」
「アギャアッ!」
「うぼぁっ!!」
俺とエルサはほぼ同時に風魔法を発動し、風竜を吹き飛ばす。ゼノも一緒に。
「アスカ! 回復、頼んだ!」
「がってんしょーちー! 『天龍薬』!」
俺とアリスは悲鳴を上げて地面に墜落した風竜に突っ込む。ここでもう一発、【突風】を浴びせれば『お手玉』完成だが、今はそんな事をしている場合じゃない。
「【魔力撃】!!」
「くらうのです!!」
【烈功】で威力を増した俺の聖剣が風竜の首を斬り裂き、エルサの【火装】で強化されたアリスの戦槌がもう一体の顔面にめり込む。
例えBランク級の竜種だろうが、所詮は翼の生えたトカゲだ。地面に引きずり下ろせばなんてことはない。
いやー、ゼノが囮になってくれたおかげで、見事に奇襲が成功したな。
「よお、大将。生きてたか?」
「てめぇら! 俺ごと吹き飛ばしやがったな!」
「いやー、ピンチみたいだったから、焦ってな? すまんな」
「ちっ、護衛なのに来るのが遅ぇんだよ」
「誰かさんに、魔物を追い払えって契約外の命令をされたからな。これでも急いで来たんだ」
「追い払えてないみたいだが?」
「オークとフォレストウルフは追い払ったさ。風竜は命令の対象外だ」
アスカに傷を癒してもらったゼノと軽口を叩き合う。
「ありがとうございました、アスカさん!」
「助かりました!」
ゼノが孤軍奮闘した甲斐もあって、近くで倒れていた戦士たちはなんとか生きながらえたようだ。
「で? どうするんだ、ゼノ?」
「こんなもん、どうにも出来ん。撤退だ、撤退。おい、上げてくれ」
「はいっ」
ゼノに目配せされた鼠人族の男が、背嚢から筒状の魔道具を取り出し魔力を込める。筒を空に向けると、バシュゥッと音を立てて弾が撃ち上がり、パァンッと弾けて黄色い煙が空に浮かんだ。
黄色い煙……即時撤退、森へ飛び込め、か。
風竜は廃村トゥルクのような霧が無い平地に棲みつく習性がある。その巨体ゆえ、巨木が密集する森の中では生息しづらいのだろう。だから、森に逃げ込めさえすれば、中までは追って来ないと思われる。
「よしっ。味方を援護しつつ、撤退するぞ!」
「アルフレッド! 翡翠竜が!」
ゼノとエルサがほぼ同時に声を発する。見上げると翡翠竜が北の空へと飛び去って行くのが見えた。
「……アルフレッド、行け」
「なに? この状況で何を言ってるんだ。俺達が風竜を相手しないと……」
この会話をしている最中にも、レグラム勢の戦士達は風竜と激戦を繰り広げている。出来る限り援護しないと撤退もままならないだろう。俺達があの魔人族を追えば、数多くの死人が出てしまうであろうことは、想像に難くない。
「お前こそ何を言ってるんだ。魔人族が現れた場合は、その排除を優先するって契約だろ?」
「いや、だが……」
「それに魔人が向かったのは、お前が言っていた世界樹がある方角だ。世界樹のもとには恐らくリア王と灰狼族の生き残りがいる」
リア王は緒戦の惨敗でレグラム勢と正面からぶつかったら負けると悟ったのだろう。だからこそ『純血の灰狼族』にマナ・シルヴィアの霧を晴らさせ、魔物を利用した挟み撃ちで逆転を狙ったのだと思われる。
「見ろ、風竜は敵味方関係なく、俺達にも、獅子人族勢にも、マナ・シルヴィアにも襲い掛かってやがる」
そう言われて俺はマナ・シルヴィアに目を向ける。ゼノの言う通り、風竜は都市の周りの環濠を飛び越え、市街地の上空に侵入していた。
「霧が戻らなければ際限なく魔物がマナ・シルヴィアに押し寄せて来る。このままだと民間人にも少なくない被害が出ちまう」
『荒野の旅団』は戦争のプロだ。軍人に容赦はしないが、敵方であっても民間人に手を出すことは無い。目の前の味方を助けるよりも、より多くの民間人を救ってくれってことか……。
「すまんが、俺は部下を率いて撤退しなきゃならねえ。アルフレッド、世界樹の元に辿り着けるお前たちだけが頼りなんだ。頼む。リア王を止めてくれ」
真剣な顔つきで俺の目を見据えるゼノ。
「わかった……。世界樹に向かう」
ああ、ゼノは本当に人使いが荒い……。まあ今回の命令は、追加料金無しでも受けるけどな。




