第315話 傭兵
「アルフレッド……」
遊撃隊と剣士隊を突破した分隊の先陣を切り、大剣を振るっていた黒ローブの戦士は、ユーゴーだった。
「ユーゴー……」
クレアの護衛でカスケード山を越えた際に出会った、闇奴隷商に『隷属の腕輪』で従えられていたあのユーゴーだ。
だが、なぜここに? クレアの護衛としてチェスターに向かったんじゃなかったのか?
俺は敵分隊の突撃を受けている最中だと言うのに、武器を下ろして呆気に取られてしまった。ユーゴーもまた、振り上げていた大剣をだらりと下げて立ち尽くしている。
「女狼!! 何をしている! ゼノの首を取れ!」
茫然と見合っていたら、獅子人の男が叫んだ。ユーゴーはギリッと口元を引き締めてゼノの方へと走り出す。ゼノはちょうど敵兵の喉に大剣を突き刺しており、ユーゴーの動きに全く反応できていない。
「ユーゴー!!」
【瞬身】を発動中だったことが幸いした。素早くゼノの前に割り込み、円盾でユーゴーの大剣を弾く。
「……邪魔を、するな!」
「うっ、くっ!」
ユーゴーが振るう大剣の連撃を、聖剣と円盾でなんとか受け止める。鬼気迫る形相で繰り出される斬撃は、訓練していた時とはまるで違い、重苦しい殺気をはらんでいた。
「【盾撃】! 【氷礫】!」
真っ向から振り下ろされた大剣に盾撃を合わせ、ユーゴーが仰け反ったところに追撃の氷礫を浴びせる。たまらずに後退するものの、防具の無い顔面を咄嗟に両腕で庇って無傷で切り抜けるあたりは、さすがに凄腕の傭兵として活躍していただけはある。
以前、闇奴隷商の隷属から解放された彼女には、訓練で一度も勝つことが出来なかった。だが、あの時は剣闘士と騎士以外のスキルを使わずに戦っていたし、レベルも今と比べるとはるかに低かった。
闘技場で、地竜の洞窟で、アストゥリアの荒野で、そしてこの森でも修練を積み、俺はあの頃に比べて遥かに強くなっている。例え歴戦の傭兵であろうと、そう簡単に引けをとるつもりは無い。
「退いてくれ、ユーゴー! このまま戦うのなら、俺は君を殺さなくてはならない!」
ゼノには、戦場で何を甘っちょろいことを言っているんだと非難されてしまうことだろう。
俺は冒険者としてゼノの護衛依頼を受け、この戦場に飛び込んでいる。元傭兵で冒険者でもあるユーゴーも、おそらく似たような事情でここにいるのだろう。
例え元仲間であっても、戦場では敵同士になってしまうこともある。冒険者や傭兵にとって、避けえないことだ。
それでも……せっかく闇奴隷商からユーゴーを救い出せたのだ。幸せな人生を手に入れて欲しい、そう願って王都で別れたのだ。こんなところで殺し合いなんて、あんまりじゃないか。
「……すまない、アルフレッド。【戦場の咆哮】!」
ユーゴーが怒声を上げ、殺気と圧迫感が膨れ上がる。聞き覚えがある……これはゼノが使っていた膂力と敏捷性を強化するスキルだった。
「ハァッ!」
「【不撓】! くっ!!」
右薙ぎの振るわれた大剣を聖剣で受け止めると、先ほどとは比べようもないほどの衝撃に身体を大きく揺さぶられる。続けて突き付けられた大剣の切っ先を、下から円盾で弾くことでなんとか逸らし、ギリギリで身を捩って躱す。
―――くそっ、どうする!? このままユーゴーと殺し合わなければならないのか!?
迷いから反撃に出られず防戦一方となっていると、『パァンッ!!』と炸裂音が鳴り響く。ちらりと空に目を向けると、赤い煙の塊が浮かんでいた。
「よしっ! 魔法隊、撃ち方やめ! 剣士隊とともに、子猫共を殲滅せよ!」
ゼノが対峙していた獅子人を斬り捨て、号令を下す。
そうか、あれは信号弾か! 左の森を進攻していた遊撃隊が敵本隊に切り込んだんだ!
「くっ、総員撤退! 森に飛び込め!!」
「逃がすな! マナ・シルヴィアに居座る、不遜な泥棒猫を狩り尽くせ!!」
形勢は一気に傾いた。散り散りになって森に逃げ込む敵部隊の背中に火球と矢が撃ち込まれ、背後から剣が突き立てられる。
ユーゴーもまた、悲し気な表情を浮かべて俺を一瞥した後に、身を翻して森へと駆けだした。
「ユーゴー……」
俺は立ち去っていくユーゴーの後姿を、ただ立ち尽くして見つめることしか出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「遊撃隊イプシロン及びゼータは斥候隊とともに追撃。ただし霧の奥には踏み込むな。残りは編成が済み次第、進軍。鳥人部隊は偵察飛行を急げ!」
「はっ!」
ゼノの指示で、レグラム勢は慌ただしく動きだした。帰還した遊撃隊は休む間もなく隊列に加わって移動陣形を組み始め、鳥人族は【突風】に乗り空に飛び立っていく。
「アルフレッド、皆も良くやってくれた。おかげで大きな被害無く緒戦を突破できた」
「ああ……」
いつも斜に構えて軽口を叩くゼノにしては珍しく、笑顔を浮かべて熱っぽく俺達に礼を述べる。対して俺達は疲労困憊といった有様だ。
皆、この程度のことで疲れ果てるほど軟な鍛え方はしていない。ただ戦場の空気が、想像以上に俺達の精神を削ったのだ。
エルサもアリスも長く冒険者として活動している。降りかかる火の粉を払うため、人を殺めたこともあったと聞いている。俺も闇に紛れて盗賊を何十人も殺したことがある。今さら人を屠ることに躊躇などしない。
だが今日、俺達が相対した人達は、敵味方という立場の違いがあっただけの、基本的には善良な人々なのだ。俺達は、いや俺は、自分達の生活を守ろうとしただけの、ほぼ無関係な人々を虐殺したのだ。
目と鼻の先で次々と人が倒れていく様に、ショックを受けないはずがない。皆、一様に顔を青ざめさせて俯いた。
「ユーゴー、なんで戦争なんかに……」
アスカがため息をつき、首を左右に振る。
「冒険者として、新たな人生を送ってると思ってたんだけどな」
そして極めつけは、ユーゴーだ。まさか、こんなところで顔を合わせるなんて、想像だにしなかった。ユーゴーを良く知るアスカはなおさらショックが大きいだろう。
「ああ。アルフレッドと知り合いだったようだが、あいつはいったい何者なんだ? 狼人なのに、なんで獅子人族側についてるんだ?」
「さあな。以前、一緒に旅をしたことがあったんだ」
知り合った経緯までは話したいことでもなかったため、隊商の護衛を一緒にしたこと、その後はアリンガム商会の専属護衛をしていたことをゼノに話す。
「そうか……アイツだけ、かなりの凄腕だったな。しかもあれ【獣戦士】の加護持ちだろ?」
「獣戦士?」
「ああ、俺もそうだが、獣人族固有の加護だ。狼人族と獅子人族、豹人族で稀に授かる者が現れる」
「そうなのか。元々は有名な傭兵だったらしいからリア王に雇われたんだろうな。なんて言ったかな……ナントカの女狼とかって二つ名が」
「『怒れる女狼』か!?」
「ああ、確かそんなだったな」
ゼノが目を大きく見開いて叫ぶ。同じ傭兵同士、二つ名は知っていたようだ。
「『鋼の鎧』の元隊長級じゃねえかよ……」
『鋼の鎧』か……。『荒野の旅団』と並び、大陸中でその名が知られる傭兵団だ。ユーゴーは冒険者ではなく傭兵に、もしかしたら古巣に戻ったのかもしれないな。
「死んだって噂だったんだがな……」
「死んだ?」
「ああ。3年ほど前だったか……犬人族と猫人族の小競り合いで死んだって聞いたな。『怒れる女狼』ともあろう者が、そんなつまらない戦場で命を落とすなんてって、ちょっとした話題になったんだが、生きてたんだな……」
そうか。その戦いでユーゴーは戦争捕虜となり、あの闇奴隷商の毒牙にかかってしまったのか……。
「いずれにせよ、一筋縄ではいかない相手だ。今度は躊躇するなよ」
ゼノは俺の目を見据え、低い声でそう言った。




