第312話 進軍
レグラム兵や荒野の旅団の動きは速かった。いつでも出陣が出来るように準備を進めていたようで、会談後たった二日でレグラムを発つこととなった。
「おっ、戻ってきたな」
ゼノが上空を見上げながら呟く。鬱蒼と茂る森の隙間から空を覗くと、林立する巨木の遥か上空から円を描くように降下する鳥人の影が見えた。
「すごいな……」
「ああ。鳥人族の真価は、あの飛翔による高い斥候能力にある」
「確かにあの高さから偵察されたら、どんなに優秀な用兵家も丸裸にされてしまうな」
「だからこそ獅子人族は、オキュペテを狙ったのさ。アルフレッド達が救い出してくれて助かったぜ」
感心して空を見上げているうちに鳥人の影はだんだんとこちらに近づき、両腕の翼をはためかせて地表に降り立った。
「ゼノ様、ご報告します! この先20キロ圏内に敵影はありません。このまま街道を進んでも問題ないです!」
ゼノの前に跪いたのは、俺がオークの凌辱から救い、避難中に親しくなった鳥人族の女性だ。
「おう、ご苦労さん。しばらく馬車で休んでいてくれ」
「はい! ね、アルさん! 大空を舞う私の勇姿、見ててくれた?」
「ああ。あんなに高く空を飛べるとは思わなかったよ。すごいじゃないか」
総じて細身な鳥人族だが、人の形である以上はそれなりの重量がある。その重さを空に持ち上げる浮力を得ることは難しく、どんなに翼をはためかせても少し浮き上がるぐらいで精一杯だ。彼らは基本的に、高いところから飛び立って滑るように空を舞うことしかできない。
「んふふ。アルさんの【突風】のおかげだよ! 気持ちよかったー!」
そんな鳥人が地表から一気に空高く舞い上がる唯一の方法が、風属性魔法【突風】を利用することだ。俺が上空に向かって放った【突風】の気流に乗って遥か空の高みへと一気に舞い上がり、周囲をぐるっと偵察して帰還したのだ。
「アルさんのって……すっごいね。私、あんなにイッちゃったの、はじめて……」
誤解を招きそうなことを言うな。俺の『風魔法が』すごくて、あんなに『上空に』行ったのは初めて? 省略し過ぎだっつーの。
しかし……細身なのにメリハリのきいた身体つきの女性から、うっとりとした顔で上目遣いにそんなことを言われると心臓に悪いな。ショートパンツにチューブトップという薄着も非常に目に悪い……
「イデェッ!?」
「アルくーん? ガン見し過ぎじゃなーい?」
脇腹を抓りながらアスカがジトっとした目を向けてくる。
「あ、あはは、じゃ、じゃあ私はこのへんで! 馬車で休んでるねー」
アスカが背負った黒いオーラを目にし、引き攣り笑いを浮かべて鳥人女性は逃げていった。さすが獣人、身に迫る危険には敏感なようだ。
「ずいぶん、仲良し、なんだねー?」
「いや、その、痛い、痛い、イダイッテ!!」
ウグゥ、相変わらず仕事しねぇあな【騎士】の加護ォ。ステータス補正はどうした……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レグラム勢は道中で兎人族や鼠人族の一団を加え、兵力を増やしながら北上している。今は総勢3千人に届いたぐらいだろうか。
街道は馬車がすれ違える程度の幅しかないので、レグラム勢は長蛇の隊列を成している。これほどの人数になると、街道に一定間隔で設けられているキャンプ地ではとても間に合わないので、街道でそのまま野営をすることになった。
「アスカのスキルは、ほんとにとんでもねえな……。おかげでかなり移動できたけどよ」
「『王家の魔法袋』な?」
「いや、今さらその言い訳は無理があるだろ」
オキュペテの住民の避難に続いて今回もアスカの【アイテムボックス】は大活躍だ。数千人分のレグラム勢の糧秣と予備の武具の約半分を、アスカが一人で運搬している。危機管理のために残り半分は輜重部隊が運んでいるが、それでもレグラム勢の進行速度はかなり早くなった。
傭兵団としては喉から手が出るほど欲しい人材なのだろう。ゼノが次々と貨物を取り出すアスカに熱い視線を送っている。いや、渡さないよ?
「ゼノ様、お呼びでしょうか?」
「おお、セッポ。待っていたよ。こっちに座ってくれ」
天幕の設営を眺めていた俺達の前に現れたのは、元トゥルク村の村長セッポだ。今回、トゥルク村の戦士達もゼノの陣営に加わっている。俺にとっては迷惑でしかなかったが、あの腕試し好きの犬人達も、争いごととなれば多少は役に立つだろう。
「アルフレッドがマナ・シルヴィアで、獅子人族の王リア・レイヨーナと灰狼族らしき女性を見かけたそうなんだ。何か心当たりは無いか?」
ゼノの言葉に、セッポの細い目がはっと見開く。
「ふぅん。トゥルク村で灰狼族の女性を匿っていたって話は事実みたいだな?」
「…………」
「だいたい調べはついてるんだ、セッポ。それで、その女性は『純血』だったのか?」
ゼノの問いかけに無言になるセッポだったが、諦めたように首を振って頷いた。
「…………ええ。最後のシルヴィア王、ヨーセフ・シルヴィア陛下の実の娘であるユール様を庇護しておりました」
「そうか、陛下の……」
そう呟いて、ゼノがちらりと俺を見る。俺はセッポに世界樹の下で、灰狼族の女性と遭遇した経緯をあらためて話した。
「そうでしたか……。ユール様は、かの魔人族襲撃の前にシルヴィア王家から放逐されましてな……。トゥルク村に流れてひっそりと暮らしておられたのです」
「親父殿に聞いた通りだな」
「ユール様は……3年前にトゥルク村が襲われた際に、獅子人族に嬲り殺されたと聞いておりました。まさか生きておられたとは……」
「生き延びていたようだな。そのユールが霧を晴らす秘術を使っていると見ていいだろう」
「そんな……あのユール様が獅子人族に与するような真似をなさるわけがありません!」
セッポが不快感をあらわに、ゼノに反論する。
「『隷属の魔道具』を着けられていた。リア王の命令に逆らえなかったのだろう」
「隷属の……そんな」
俺が補足すると、セッポが表情を歪めた。
「ユールはシルヴィア王家から放逐された身なんだろ? 俺達の敵に回ってもおかしくないんじゃないか?」
ゼノが不可解な面持ちでセッポに問う。
「いえ、建前上は放逐ということになってはいましたが、ユール様は自ら望んで王家を出られたのです」
「どういうことだ?」
「シルヴィア王家に生まれた者は血脈をまもるために、純血の灰狼族たる分家との間で婚姻を結ばなければなりません。ですが、ユール様は央人族の青年と恋に落ち、王家を出奔されたのですよ」
「駈け落ちか」
「ええ。仲睦まじい夫婦でね……村はずれに与えた畑を耕し、幸せそうに暮らしていましたよ」
百姓として生きることになるのにもかかわらず王女の立場を捨てて出奔したのか。なかなか出来る事じゃない。
「一族の手前もありヨーセフ陛下も表立っては接触されませんでしたが、裏では私を通じてユール様の生活を支援しておられました。ユール様もまたヨーセフ陛下とシルヴィア王家を愛しておれらました。そんなユール様が……叛逆の徒である獅子人族に従えられているとは」
セッポが悔しくてたまらないと言うように俯き、両手を固く握りしめた。




