第306話 操霧の秘術
「動くな! 少しでも動いたら敵対行動と見做す!!」
おーおー。これはまた随分と強圧的だな。獣人族にとっての聖地である世界樹の領域に、意図せずはいえ踏み込んでしまったのだから、仕方が無いのかもしれないけど……。
しょうがないじゃないか。そもそもシルヴィア王家の狼人しか来れないんじゃなかったのかよ。なんで俺達、ここに来れてるんだよ。ていうかお前らも全員、猫系統の獣人じゃないか。
ん? 後ろで偉そうに腕を組んでいるヤツ、明らかに猫人じゃないな。2メートルを超える堂々たる体躯、逆立つ金と黒の豊かな毛髪……というか鬣。うん、獅子人族だな。
獅子人族の男が身に着けている革鎧は、艶やかに磨きあげられ、細やかで華麗な彫刻がなされている。鎧下にも精緻な刺繍が縫い込まれていた。両方とも、かなりの高級品だろう。
「どうやってここに近づいた!? 答えろ!」
猫人の男が槍を突き出して鋭い声を上げる。
「……森で魔物を追っていたら、いつの間にか霧に囲まれて、ここに来てしまったんだ」
俺は猫人達に両手を上げて手のひらを向けて、敵対する意思は無いことを示す。態度を見る限り、穏やかには済みそうに無いけど、一応ね。相手はマナ・シルヴィアの重鎮っぽいし。
「ん、余裕だね」
ちらっと目線だけ横にいるアスカに目を向けると、毒々しい意匠のハート形の眼帯を着けていた。目の前には透明な石板が浮かび上がっている。いつの間にか、『識者の片眼鏡』を【装備】して、猫人達のステータスを確認したようだ。
アスカは小声で呟いたのだが聞こえてしまったようで、猫人達は目尻を険しく吊り上げる。さすが五感の鋭い獣人族だ。
「……ありえんな」
獅子人族の壮年の男が口を開く。高圧的な、自信に満ちた太く低い声だ。『純血の灰狼族』にしか近寄れないはずの世界樹の下で、猫人達を従える豪奢な装いの獅子人族か……。
漲らせる威圧感からも、この4人の中では最も腕が立ちそうだ。戦斧を持っているところからすると、槍使いの加護持ちかな? 他3人は槍使いに、剣士、斥候だろう。全員、精強な戦士といった風情だ。
そして、気になるのは獅子人の男の後ろに控える、黒いフード付きローブを身に纏う女性らしき人物だ。フードを深く被っているため顔は見えない。
どうしてもフードつきローブというと魔人族を連想してしまうな。あいつらが着ている灰色のローブでは無いが……。
「世界樹の恵みたる瘴霧は、魔物を惑わせ追い払う。そして、この世界樹を囲む霧は人族をも寄せ付けぬ。森を彷徨って辿りつけることなどありえん」
「……そう言われても、実際に辿りつけてしまったんだ。邪魔ならすぐに出ていくよ」
「無礼な! その不遜な態度を改めよ!」
短い黒毛の猫人が双剣を俺に向ける。猫っていうか黒豹の獣人かな?
「出合頭に武器を突き付けるような相手にか?」
「なんだとっ!」
「こちらは正直に答えた。他に何か用があるのか?」
獅子人の男の正体は予想ついているが、黒ローブの女が気になる。もし魔人族との関わりがあるのなら、情報を引き出しておきたいところだが……
「ふむ……央人よ。貴様、何者だ?」
「人に名を尋ねるなら、まず自身が名乗るべきじゃないかな?」
「ふっ、リア・レイヨーナだ」
うん、やっぱり、噂の獅子人族の王か。
「こちらはAランク冒険者、アルフレッドだ」
正直に名乗ってくれたので、こちらも素直に答えておく。
俺達は央人二人に土人と神人の組み合わせで、一角獣まで連れている。住民のほとんどが獣人のマナ・シルヴィアでは、否応なく目立っていた。ちょっと調べれば俺たちの素性なんて、バレてしまうだろうしな。
「して、アルフレッド。貴様は何の目的で、我らが世界樹に近づいた?」
「先ほど答えた通りだ。魔物を追って偶然ここに来た。世界樹に用など無い」
「では、もう一度尋ねよう。ここはマナ・シルヴィアの王にしか立ち入れぬ聖域だ。貴様はどうやってこの聖域に入ったのだ?」
「それも先ほど答えた通りだ」
なるほど……。世界樹の聖域に入った方法が気になるのか。
ゼノから聞いた話と、街でかき集めた情報では、『純血の灰狼族』にしか世界樹には近づけないと言われていた。そして『霧を操る秘術』を手に入れたという、リア王もまた世界樹に近づけるのではと噂されていた。
もし俺達が自由に世界樹に近づくことが出来るのなら、『霧を操れる』という犬派に対する優位性を失うことにも繋がりかねないということなのだろう。そりゃ警戒の一つもするよな。
「ふむ……おおかた我等を尾けていたといったところか。いずれにせよ逃がすわけにはいかん。捕縛せよ!」
ちっ、やはりこうなったか。
俺は武器を手に駆け寄ってくる猫人たちに、【威圧】を発動する。これで【恐怖】状態にでも陥ってくれれば楽なんだが……。
残念ながら猫人達は一瞬だけ身体を硬直させたが、すぐに立ち直って襲いかかってくる。レベルもステータスもそこそこ上がっているから、うまくいくかと思ったんだけどな。
「【突風】!」
俺とエルサは、ほぼ同時に第四位階の風魔法を発動する。相乗効果で威力を増した突風に襲われて猫人達は吹き飛ばされ、巨躯のリア王ですら風に押されて体勢を崩す。そして、突風は黒ローブの女も転ばせ、フードをめくりあげた。
露になったその顔は狼人族のそれだった。
黒みを帯びた灰色の長い髪、彫が深く美しい顔立ちの壮年の女性だ。獣人の血が濃いのか、手足はふさふさとした毛に覆われている。その首には、怪しく黒光りする首輪がまかれていた。
その表情や金色の瞳からは何の感情も見て取れず、口の端からは涎が垂れている。長い髪は手入れをされている様子もなく、まるで鳥の巣のように乱れていた。
「灰色の髪……?」
エルサの呟きにハッとする。そうか、そういうことか。
「純血の灰狼族……。『霧を操る秘術』を手に入れたのではなく、『秘術を持つ者』を手に入れたのか!」
「くっ! 殺せっ!」
リア王は焦りに顔を歪め、怒声を上げる。
「離脱するぞ!」
こいつらを無力化するのはわけないが、これ以上、余計な面倒に巻き込まれたくない。
「いっくよー! フラッシュ・バン!!」
アスカの声と共に、大森林を揺るがす轟音が鳴り響き、樹々が白色の光に包まれ色を失くす。俺達は大音響と閃光を背に遁走し、世界樹を包む濃霧に飛び込んだ。




