第30話 セシリーの〇〇教室
昼食の片づけを終えて2階の居間に戻ると、アスカがいなくなっていた。ついさっきまでは一緒に片づけをしていたはずなのだが、どこに行ったのだろう。セシリーさんに一人で部屋に来いと言われていたが、そこにいるのだろうか。
俺は梯子のように急な階段を上って3階に上る。3階には部屋が二つあり、片方の部屋はドアが開いている。ちらっと覗いてみるとベッドが二つとドレッサーと鏡台が置いてあった。多分こちらは親御さんの寝室なのだろう。あまり覗くのも失礼だな。俺はもう一つの部屋のドアの前に行き、ノックをする。
「ど、どうぞ。入っていらしてください」
部屋の中からセシリーさんの緊張した声が聞こえる。俺も女性の寝室に入るなんて初めての経験だ。なんだかドキドキするな。
「失礼します」
ドアを開けると、ジャスミンの様な甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。セシリーさんの部屋には大きめのベッドと書き物机、ドレッサーが置いてあった。
机の上には、碧い花が小さな花瓶に一輪挿しで飾られていた。シンプルで清潔感があり、セシリーさんらしい部屋だな。
「って、はぁっ……?」
ベッドに座っているセシリーさんを見て思わず言葉を失う。セシリーさんがいつの間にか着替えていたからだ。
先ほどまでは膝下までのスカートに白いシャツを着て上からカーディガンを羽織った、商人ギルドでいつも着ていたような装いだったはずだ。それが、今は白いバスローブにベージュのガウンという、まさにナイトウェアといった服を着て顔を真っ赤にしてうつむいているのだ。
寝室でナイトウェアを着た女性と二人っきり? どういう状況なんだこれ。
えぇ? なんだこれ。セシリーさんは何がしたいんだ? 真昼間だけど、この状況で男女二人きりって……え、そういうこと?
こんなの間違いが起こってしまってもおかしくない状況だぞ。というか間違いを起こしてくれと言っている様なものじゃないか。
ちょっと待てよ、セシリーさんといつの間にそんな関係になった? いや、セシリーさんは清楚な感じの美しい人だし、俺としてはぜんぜん文句はないんだけど…。
というかアスカの姿がどこにも見当たらないけど、あいつはどこに行ったんだ? さっきまで一緒にいたんだしアスカがこの状況を知らないわけ無いよな?
「あの……」
セシリーさんの猫耳がぴょこぴょことせわしなく動いている。真っ赤な顔で俯いている姿に、いつもの凛とした雰囲気は無く、年相応の可愛らしい少女といった感じだ。
アスカがこの状況をお膳立てしたってこと? なんでまた……。セシリーさんが実は俺の事を気に入っていたとか? いや、今の今までそんな感じは全然しなかったんだけど。
「……ア、アスカさんから、何も聞いていないのでしょうか?」
「え、あ、はい……」
アスカはいったい何のつもりなんだ? どういうことだよ。アスカと俺だって、浅くは無い関係のはずだろ?それなのに若い男女を二人きりにして、姿を消すって何を考えてるんだ? これはどう考えても、アスカがお膳立てしてるって事だよな? あ、いかん、堂々巡りしている。
どこかからやって来た小人が頭の中をグルグルかき混ぜてるみたいだ。まともに思考が出来ない。熱に浮かされて、何も考えられない。顔が熱い。すごくいい匂いがする。花の様な爽やかで甘い香り。俺、汗臭くないかな。アスカにしつこく言われて身綺麗にしているつもりなんだけど。いや、何を考えてるんだ俺? 思考がまとまらない。
「……そうですか。あの、アルフレッドさんに、お願いがあるんです……」
そう言ってセシリーさんは羽織っていたガウンを脱ぎだした。下に着ているのは、白いバスローブだけだ。隙間から覗く首元の白い肌も、顔と同じくうっすらと上気しているのがわかる。
「……はい」
アスカが何を考えているのかわからないが、女性にこんな格好までさせてお願いなんて……断れないよな? セシリーさんに恥をかかせるわけにはいかないよな?
「アルフレッドさん、実は……」
状況に流されているだけの様な気がするが、この流れに逆らえる気もしない。俺は部屋の入り口から中に入り、後ろ手にドアを閉める。
この部屋は北向きなのだろうか。窓から指す光は明るいが、部屋の中までは届かず少し薄暗い。俺は、ごくりと唾を飲み込む。
「……ある魔法を覚えてもらいたいんです」
そう言ってセシリーさんは枕元から、羊皮紙を取り出した。
…ん? スクロール?
え? どういうこと??
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「【月浄】という生活魔法です。本来は男性が覚える魔法ではないのですが……」
「【月浄】ですか……。聞いたことが無いのですが、どういった魔法なんですか?」
……うん。なんだか盛大に勘違いをしていたみたいだ。いや、そりゃそうだよな。セシリーさんとアスカは仲の良い友人関係だし、俺とは仕事の知り合い以上の関係じゃない。
そんな都合の良い展開があるわけないだろ。アホか俺は。なんだか、さっきとはまた違う意味で顔に血が上ってきた。恥ずかしい……。
いや、でもこんな格好をした美人と二人きりになったら勘違いもするって。アスカもセシリーさんも何のつもりなんだ? 生活魔法を覚えろって…?
「その……【月浄】は、女性の月のもので衣服が汚れないようにする、水属性の生活魔法です」
「は、はぁ。それを何でまた俺が……?」
「事情は詳しく伺っていないのですが、アスカさんは魔法を一切使えないと伺いました。実際にスクロールを使ってもらったのですが、発動すらしませんでした」
月経の際に下着が汚れないようにする魔法があるって、そう言えば習った覚えがあるな。月経については家庭教師に机上で教えてもらった程度の知識しかないが、確か月に1度ぐらいの頻度で周期的に起こる女性器からの出血……だよな。
「アスカさんの出身地では紙で出来た道具を使って汚れないようにしていたそうなのですが、この辺りではそのような物はありません。アスカさんは魔法を覚えることが出来ない特殊な加護という事ですので、ご一緒に旅をされるアルフレッドさんに覚えてもらうしかないという話になりまして……」
「なるほど……そういう事でしたか。ではスクロールをいただけますか」
まったく……。ちゃんと説明しといてくれよアスカ。話しにくい事なのはわかるけどさ。
俺はセシリーさんからスクロールを受け取り、革紐をほどいて広げる。魔石を破砕して作った青色の岩絵具で描かれた魔法陣に、ナイフで小さな傷をつけて血を滴らせた手をそっと置く。
「【契約】」
スクロールが明滅し、置いた手が一瞬だけ青く輝く。手を離すとスクロールから魔法陣が消えて無くなった。これで生活魔法の契約は完了だ。
「ありがとうございます。契約は終わりました。このスクロールはセシリーさんが用意してくださったのですか?」
「はい。代金はアスカさんから預かっていましたので、大丈夫ですよ。それと……その、もう一つ覚えておいた方が良い生活魔法があるのですが……」
そう言ってセシリーさんがもう一つスクロールを取り出した。
「こちらは?」
「えっと……その……【避妊】の生活魔法です」
「あ……はい」
アスカぁ……。なんて物をセシリーさんに頼んでるんだよ。俺も買っておこうかと迷ってはいた。でもあれから一度もしていないし、そんな雰囲気にもなって無いから必要になるかわからなくて買っていなかったんだけど。
「こちらはアスカさんに頼まれたわけではないのですが、アスカさんからお話を伺ったところ、アルフレッドさんはこの魔法を覚えていらっしゃらないのかと思いまして……。差し出がましいですが、念のためにご用意しておきました。あの……ご入用でしょうか?」
セシリーさんが顔を赤く染めながらスクロールを手元で弄んでいる。あ、セシリーさんが気遣ってくれたのね。
アスカ、いつの間にセシリーさんとそんな話をしていたんだ。いや、これ、本当に恥ずかしいな…。
「え、ええ、覚えておきます……」
俺はしどろもどろになりながらセシリーさんからスクロールを受け取り、先程と同様に【契約】を済ませた。
「お気遣いいただき、ありがとうございました」
「どういたしまして。それでは……その……魔法の練習をしましょう」
「あ、はい、そうですね」
スクロールの契約は済ませたので魔法を使うことはもう出来る。脳裏に焼き付いた魔法陣を思い浮かべ、手や指先に魔力を込めれば生活魔法は発動する。
だが、どの程度の魔力を注げばいいのか、どのような手順をたどればいいのかまでは教えてもらわないとわからない。
例えば、俺が覚えている【着火】の生活魔法であれば、指先に微小な魔力を込めて魔法陣をイメージすれば小さな火種が発生する。【静水】の場合は、手の平を大きく広げて魔力を注げば、手の平から水が零れ落ちる。水は注いだ魔力の量だけ発生するのだが、必要な魔力量を調整するにはある程度の慣れが必要だ。【月浄】や【避妊】はどうやって発動するのだろうか。
「では……手を……お借り……しますね」
セシリーさんは顔を真っ赤に染めて俺の手を取り、意を決したように息をのむと、服の上から自らの下腹部あたりに俺の手を置いた。うわぁっ……こうやって発動するのかよ。やばい……これは……ちょっと。
「この辺りを……直接触って魔法を使うんです。あの、目を……つぶっていただけますか」
「はっ、はいっ!!」
俺は固く目を閉じて、空いている方の手で目を覆う。するとセシリーさんは俺の手を、布の様な何かの中に導いた。
……ん?……これは……素肌の感触!!? えぇ? バスローブの中に手を入れているのか!? ま、ま、まマジかよ!?
「ぜっ、ぜったい目を開けないでくださいね!!」
「は、はいっ!!」
「【月浄】は下腹部に直接触れて発動する魔法なんです。い、位置は先ほど服の上から触れたあたりです。このまま【月浄】を唱えてください」
「は、はいっ!【月浄】!」
俺は無心で――無心になるように精一杯努力して――【月浄】を唱えた。
「あ、ぁんっ……ア、アルフレッドさん……おっきい……魔力が大きすぎます……魔力を、ぅんっ……抑えてください」
「はっ、は、はい!」
「……うっ……はい、そ、そのくらいで大丈夫です。そ、その、魔力量を覚えておいてください」
「はいっ、す、すみません!」
セシリーさんが俺の手を動かし、服の中から取り出した。そ、そういう事だったのか。だからセシリーさんは前開きのバスローブに着替えていたのか……。
さっきまでの服なら、スカートの中に手を入れるような格好になるもんな……。それは、いくらなんでも絵面が……卑猥すぎる。
「目を開けて下さって結構です」
ゆっくり目を開くと背筋を伸ばし居ずまいを正したセシリーさんが、顔を真っ赤にして座っていた。
「【月浄】は、その、女性の、あの、あの部分の中に、水の玉の様なものを発生させる魔法なんです。その玉が、女性の、その……血を吸い込んで留めてくれるんです」
「そ、そうなんですか……。で、では、その水玉の外し方は……どうすれば……?」
「解除に魔力は必要ありませんので、アスカさんにお伝えしておきます」
「そうですか。わかりました。本当にすみません、こんな真似をさせてしまって……」
「ほ、ほ、本当ですよ。この魔法は母親が娘に教えるもので、男性に教えるものじゃ無いんですから!」
「も、申し訳ありません……。あぁ、こんな時にアスカはいったいどこに行ってるんですか!? あいつのためにセシリーさんが、こんな事までしてくれているっていうのに」
「それは、恥ずかしいので……アスカさんには外してもらったんです」
「そ、そうだったんですか……」
「同性に見られるのだって恥ずかしいんですから! 母以外に誰にも見せたことだって無いのに!! こんな所を男性に触らせるなんて!!!」
「ご、ごめんなさいっ!!」
いつも冷静なセシリーさんが、興奮して声を荒げる。頭を下げて平謝りするしかない俺。なんでだ……どうしてこうなった……。
「こほんっ……すみません、取り乱してしまいました。アスカさんには大変お世話になっていますし、アルフレッドさんもこの町の危機を救ってくださった方ですから。アスカさんに相談されて、私から言い出したことだったのに……私こそ、すみません」
「いえっ! そんなことは! 私たちの事に巻き込んでしまって本当にすみません」
真っ赤になって、互いにぺこぺこと頭を下げあう俺とセシリーさん。あー、ほんっとうに居たたまれない……。
「それでは、今度は【避妊】の練習をしましょう。また、目をつぶってもらえますか」
「……はい」
俺が目をつぶるとセシリーさんが手を引く。先程と同じように服の中に手を入れて、素肌に手を導いたのだろう。柔らかく、すべすべとした感触に、言いようのないくらいドキドキする。
「手を当てる場所は先程と同じです……。【避妊】を唱えてください」
「はいっ…【避妊】!」
「あんっ……あ、あつい……少し魔力を、抑えてください……」
「は、はい!」
「うぅんっ! はぁっ……はぁっ……はい、そのくらいで……す。あっ……」
セシリーさんの肌がじっとりと熱を帯びてきたように感じる。色っぽいセシリーさんの声に、否応も無く興奮し胸が高鳴ってしまう。
「こ、この魔法は……ぅんっ……安定するのに少し時間が……あんっ……かかります。女性の……その、体液の温度を上げて、性質を変えることで……はぁっ……妊娠をしないようにする効果が……あるんです」
「そ、そうなんですか」
本当にヤバい。セシリーさんの声と息づかいが艶めかしすぎる! 必死に魔力の調整に努めているが、頭に昇った血が下がって来る気がしない。
心臓の鼓動が高鳴り過ぎて、俺も息苦しいぐらいだ。当然、俺の一部もすでに張り裂けんばかりに膨張しているし……もう、どうすりゃいいんだよ!
「あっ……はい、もう大丈夫です。避妊魔法が安定しました。この、魔力量をしっかり覚えてくださいね……ってアルフレッドさん! 血がっ!!」
「えっ?」
セシリーさんの焦った声に驚き、思わず目を開ける。顔を覆っていた手に大量の血液がついている。
鼻を触ってみるとダラダラと血が噴き出ていた。ああ、興奮しすぎたのか……何やってんだよ、俺ェ。
「って……うぉっ!」
真っ赤に染まった左手から、少しだけ目をそらすとセシリーさんの下腹部とそこに置いている俺の手が、目に飛び込んできた。
バスローブの前面が開きセシリーさんのくびれた腰が露わになっている。薄いアスキィ――アスカが作らせた下着だ――の中に半分ほど俺の手が突っこんでいる。
「き、キャァァァァァッ!!」
セシリーさんの叫び声と共に頬を思いっきりはたかれる。いってぇ……でも、ごめんなさい……今のは俺が悪い……。
「セ、セシリー!! どうしたの!?」
アスカが大声を上げて部屋に突入してきた。そこにいるのは顔面を腫らして鼻血を流し、体の一部を膨張させる俺。そしてバスローブの前面を開き、下着と素肌を手で隠しているセシリーさん。
うわ、これ、言い訳のしようが無いな……。
「ア・ル・フ・レ・ッ・ド・ォォ!!」
アスカの右ストレートが眼前に迫る。あぁ……どうしてこうなった……。
その後、セシリーさんの動揺が収まり、一緒に状況を説明して、アスカの怒りと誤解を解くのに数時間を要した。
火喰い狼との戦いよりもはるかに手強かった、セシリーさんの魔法教室だった。




