第301話 霧の消失
翌日、荒野の旅団のクランハウスを尋ねると、すぐに応接室に案内された。ゼノの方も待ち構えていたようだ。
「よお、魔人殺し! 会いたかったぜ!」
「だから、その物騒な二つ名で呼ぶなと言ってるだろ」
「っていうか、なんだその面。癒者を呼んでやろうか?」
「いや、いい……」
反省を表明するために、手形の痕がついた頬を癒していないのだ。触れないでくれ……。
「ああ……浮気でもバレたか」
ふてくされて俺と目を合わさないアスカをチラリと見て、ゼノはニヤリと笑った。
「バレてない! いや、してない!!」
いや、多少は鼻の下が伸びていたかもしれない。酔って気持ちが浮ついていたのも認めよう。
でもさ、酒の席で蠱惑的な女性二人に言い寄られて、少しも心を動かされない男がいるだろうか? ふわふわとした尻尾を擦り付けられ、豊かな双丘を両脇から押し付けられて、相好を崩さない男がいるだろうか? いや、いるはずがない。
「わざわざレグラムまで来たってことは、荒野の旅団に入る気になったんだろ? お前達なら喜んで歓迎するぜ」
「入らねーよ。マナ・シルヴィア周辺の揉めごとで、魔人族が関わっているかもしれないって前に言ってただろ? その情報を聞きに来た」
「ああ、龍の従者の天命ってやつか? 教えてやってもいいが……代わりにちょいと手伝わないか?」
「……何を?」
「近々、レグラム王国とマナ・シルヴィアの間で戦争が起こる。その戦線にお前も加わって欲しい」
「断る。俺達は戦争屋じゃない」
魔人族が関わっているのであれば、内容によっては受けてもいいとも思ったが、戦争に加わるつもりは全く無いので即答で拒否する。
「おいおい、ちょっとは考える素振りぐらいしてくれよ。魔人族の情報を手に入れたいんだろ?」
「ガリシアを無事に出国させてやった貸しがあったよな?」
「ちっ、しょうがねぇな……」
ゼノが肩をすくめて苦笑した。
ガリシア氏族の後継者候補であるアリスを害そうとした実行犯を、国外追放だけで済ませるように口をきいてやったんだ。貸しはしっかり回収しないとな。
「シルヴィア王国が滅亡した先の内戦について、どの程度知ってる?」
「シルヴィア王国の? 大したことは知らないな。獣人族同士が争っていたところに、魔人族が乱入してシルヴィア王家が滅んだってことぐらいだ」
「そもそも、なんで内戦状態にあったのかは?」
「マナ・シルヴィアの争奪戦、じゃないのか?」
旧シルヴィア王国の首都マナ・シルヴィアは世界樹に最も近い場所にあり、大森林で最も豊かな土地だと言われている。その土地を巡って獣人族同士が争っていたところに、魔人族が魔物を引き連れて急襲。シルヴィア王家は一人残らず殺されてしまった。それが一般に知られている、先のシルヴィア戦争のいきさつだったはず。
「大筋は間違っていない。だが、あの大戦は……魔人族によって仕組まれたものだったのさ」
それまでの飄々とした態度から一転して、ゼノは引き締まった表情で俺達を見回す。自然と居ずまいを正した俺達に、ゼノは語り始めた。
「世界樹の恵みのことは知ってるよな?」
「……魔物を惑わせる霧、だよな?」
ゼノがゆっくりと頷く。
「20年前、各地でその霧が薄くなっていったんだ。シルヴィア王家が治めるマナ・シルヴィア以外の集落を包む霧がな」
大森林には多数の魔物が生息している。森の中に集落を築いている獣人族達にとって、魔物を追い払う霧の濃淡は正しく死活問題だ。
「シルヴィア王家は、世界樹と対話することで霧を操る秘術を持つと言われていたから、他種族はシルヴィア王家を非難した。霧が薄くなったのはシルヴィア王家の仕業に違いない、霧を元に戻せとな」
「霧を操る秘術……か」
魔物を追い払う霧を操る秘術……。エウレカの天龍の間にあった魔法陣のようなものか?
「シルヴィア王家は霧を操ってなどいないと、否定した。だが、それを証明することも出来なかった。世界樹の周囲はシルヴィア王家に連なる者以外を寄せ付けない特殊な霧に覆われているからな。シルヴィア王家……『純血の灰狼族』しか世界樹に近づけないのだから、証明のしようがなかったんだ」
「それで……種族同士の戦争が起こってしまった、というわけか」
「そうだ。獅子人族が率いる種族と灰狼族が率いる種族に分かれ、シルヴィア大森林全土を巻き込んだ内戦へと発展した。内戦は1年以上続いたが、結果として戦闘力に秀でる獅子人族が勝利を収めた。それで、獅子人族は『純血の灰狼族』を隷属し、霧を元に戻そうとしたんだ」
元王家を隷属か……。確かにシルヴィア王家しか世界樹に近づけないと言うのなら、そうするより方法は無いか。
「……そこに多数の風竜と狂獣を引き連れた魔人族が急襲したんだ。マナ・シルヴィアはあっけなく陥落し、魔人族は『純血の灰狼族』を一人残らず根絶やしにした」
魔人族の狙いは世界樹を獣人族達から奪うことだったということか? いや、だとしたら『純血の灰狼族』を根絶やしにはしないか。
「獅子人族には目もくれず、シルヴィア王家の血筋だけを徹底的にな。そして、魔人族は『森の石碑を調べてみろ』と言い残して、悠々と去って行ったんだ」
「石碑を?」
「お前達もここに来るまでに見ただろう? 街道に配置されている道標だよ」
ああ、確かにあったな。街道から集落に向かう脇道に配置されていた道標の石碑。オキュペテに行く道にも、レグラムにもトゥルク村にもあった。
「……その石碑に刻まれていたんだ。周囲の魔素を吸い取る魔法陣が」
「何ですって!?」
エルサが悲鳴ともとれるような声を上げて立ち上がった。その表情は、まるで胸を突かれたかのように青褪めている。
「全て魔人族の掌の上だったのさ……。魔物を惑わせて追い払う霧は、世界樹の根から溢れ出た魔素と空気中の水分が結びついて出来ると言われている。その魔素が吸い取られていたから……霧は薄まっていたんだ。そんな事を知らずに獣人族は『純血の灰狼族』を非難し、殺し合ってしまったんだ」
「そんな経緯が……あったのか……」
エルサが驚くのも無理はない。魔素を吸い取る魔法陣って……『積層型魔法陣エウレカ』とそっくりじゃないか。
「話を戻すぞ。レグラム王国とマナ・シルヴィア間の戦争についてだ」
「あ、ああ。そうだ、元はその話だったな」
あまりにも驚くべき事実を明かされ、頭から抜けていた。魔人族に踊らされて、相争っていたというのに、なぜ再び戦争を起こすというのだ。
「『純血の灰狼族』はいなくなり、世界樹の下に辿り着く術は失われた。霧を操る秘術もまた失われ、吸魔の魔法陣が刻まれた石碑は撤去された。だが、ここ数年、またしても霧が薄くなってしまう事態が起きはじめたんだ」
なぜ……そう思って、はたと思い出した。廃村トゥルク、あそこも霧が晴れてしまったと言っていたじゃないか。
「お前達も行ったんだってな、トゥルク村に。あの村の周辺は、完全に霧が晴れていただろう?」
「獅子人族は……霧を操る術を持っている?」
「わからない。だが現実に、獅子人族や猫人族の集落周辺の霧は変わらず、なぜか犬人族や狼人族の集落周辺の霧ばかりが薄くなっている。獅子人族が失われた霧を操る秘術を手に入れたか、魔人族と結託しているか、あるいはその両方か。そうとしか考えられない状況なのさ」
再び魔人族が暗躍している可能性もあるってことか。魔王アザゼルと【神子】ラヴィニア、またしてもあいつらの仕業なのか?
「もう一度聞こう。俺達に力を貸してくれないか? 魔人殺しのアルフレッド」
ゼノは睨むような目つきで俺を見据え、そう言った。




