第283話 天龍の間
「……これが『火龍の聖剣』の本来の力なのか」
エルゼム闘技場で戦ったルトガーは、発動句を唱えて聖剣に込められた【爆炎】の魔法を使用していた。俺の『火龍の聖剣』もルトガーの『劫火ノ大剣』と同じく火龍イグニスから貰ったのだから、秘められた力があるとは思っていた。だが肝心の発動方法がわからなかったのだ。
「今の魔法……【炎嵐】だよな」
多数の【火球】を放ち、辺り一面を焦土と変える大魔法。チェスターでギルバードと共闘した時に魔人フラムが使った魔法だ。あの時は、この魔法で一気に瀕死に追い込まれたんだったなぁ……。
「はぁぁぁっ!!」
疲れ果ててその場に崩れるようにへたり込むと、魔法陣の上でアリスが跳躍する姿が目に飛び込んで来た。
「撃滅せよ――――地龍の戦槌!」
アリスは落下しながらぐるりと縦回転し、魔法陣に眩い金色の光を放つ戦槌を打ちつける。その瞬間、舞台に描かれた魔法陣を食い破るように、無数の巨大な土の杭が轟音を立てて突起した。
着地したアリスがブンッと戦槌を振るうと、隆起した土の杭はボロボロと崩れ消えていく。アリスの周囲十数メートルは、まるでクレーターのように地面が抉れていた。当然、舞台や魔法陣は跡形も無い。
「はは、すげえな……」
詠唱句を唱えていたようだったし、あれは『地龍の戦槌』に秘められていた力なんだろう。
そう言えば、さっきアリスが何らかのスキルを使った直後に、火龍の聖剣が輝きだした。封印されていた【鍛冶師】の加護は無事に解き放たれたってことかな?
「アルーッ!!」
アスカが血相を変えて俺のもとに駆け寄り、手をかざす。暖かな青緑色の光に包まれ、身体全体から痛みが引いていく。
「アル……。無茶し過ぎだよ……」
アスカが目を潤ませて俺の手を取った。全身が傷だらけの血だらけ、肋骨はボキボキに折れ、左腕はあらぬ方向に折れ曲がっていた。
ここまで満身創痍の状態に追いこまれたのは、オークヴィルのシエラ樹海で火喰いの狼と戦って以来かもなぁ。スキルや魔法をまともに使えない状況でAランク相当の魔物と戦うのは、確かに無茶だった。
「ゴメンな、心配させて。皆は……無事、みたいだな」
「うん……。天龍薬で範囲回復してたし、二人とも魔力回復薬を飲みながら戦ってたから、アルよりはマシだと思う」
いつの間にかエルサとイヴァンナは骸骨戦士達を狩り終えたようだ。アリスが抉ったクレーターの周りで、力尽きたように座り込んでいる。
キャロルは……無事のようだ。アリスが魔法陣を破壊する前に、避難したようで一人だけ離れたところにポツンと立っていた。
そりゃあね。アリスのあの一撃に巻き込まれたらタダじゃ済まない。直径十数メートルのクレーターを作っちゃうんだから。
「状況終了、かな」
俺は安堵して、ホッと一息をつく。
だが、事態は終わってなんかいなかった。
「ぅぐっ……」
か細い呻き声に、何事かと目を向ける。
「なっ!?」
俺は驚きのあまり、言葉を失った。キャロルの胸から黒い刃が突き出していたのだ。
「キャ、キャロル!!!」
「えっ!?」
ガクガクと足を震わせ、口の端から血を流すキャロル。その背後の空間が、ぐにゃりと歪む。
「騙され過ぎだろ、ダンナ」
姿を現したのは、漆黒の長剣の柄を握り、顔一面に嘲るような笑みを浮かべたアザゼルだった。
「キャロルーーッ!!!」
「【束縛】」
アザゼルの呟きと共に惣闇色の触手が次々と現れ、俺達の身体を拘束し、締め付ける。
「キャロルーーッッ!! イヤァァァッッ!!」
エルサが絶叫を上げて、身を捩る。だがエルサを縛り上げる触手はビクともしない。
その悲痛の声を楽しむように目を細め、アザゼルは長剣を引き抜いた。キャロルは糸の切れた人形のように崩れ落ち、身体の周りに血だまりが広がっていく。
まずい。明らかに致命傷だ。今すぐ、治癒をしないと、間に合わない。だが触手で雁字搦めに拘束され、身体が全く動かせない。くそっ、この触手を何とかしないと……この闇魔法を……。
はっ、そうかっ!!
「【水装】! 」
じわじわと回復していた魔力を、一気に注ぎ込む。【水装】は魔法抵抗力を強化する魔法だ。この惣闇色の触手も、生々しく見えるが闇魔法の一つのはず。ならば、精神力を高めればっ!
「おおっっ!!」
肚に力を込めて一歩を踏み出すと、思っていた通り触手は消え失せた。
「【瞬身】!」
俺は全力でキャロルに駆け寄り、傍らに立ち嘲笑を浮かべるアザゼルに火龍の聖剣を振るう。だが聖剣はするりとアザゼルの身体を通り抜け、その姿が霧散する。
「よく見抜いたな、ダンナ。そうだよ、触手もオイラの姿も、ぜんぶ幻さ」
「【治癒】!!」
俺はどこからか聞こえるアザゼルの声を無視して、横たわるキャロルに渾身の魔力を込めて回復魔法を施す。
「キャロルッ! キャロルッ!! 応えろっ!」
キャロルの真っ青な顔色は一向に変わらず、胸の傷は塞がらない。呼びかける声にも反応してくれない。
不意に、キャロルの胸に当てていた俺の両手から青緑色の光が消える。再び、魔力が枯渇してしまったのだ。
「無駄だよ、ダンナ。死人に回復薬や治癒魔法は効かない」
「アザゼル……」
「蘇生魔法はまだ覚えていないんだろ? ま、それだって瀕死状態にしか効果は無いんだ。完全に死んだ者を蘇らせることは、神にだって出来ない」
「アザゼルゥッッ!!」
振り返り、辺りを見回すがどこにもアザゼルの姿は見えない。
「キャロルは死んだんだよ」
四方八方から、反響したアザゼルの声が聞こえてくる。気配は確かに感じるのに、それがどこから感じられるのかわからない。声は聞こえてくるのに、どこから聞こえてくるのかわからない。
「キャロルッ!!」
アザゼルが拘束を解いたのだろう。エルサが駆け寄ってきて、キャロルの身体を抱きかかえる。アリスとアスカも続いて飛び込んで来た。
「『下級回復薬』! 『中級回復薬』! 『天龍薬』!!」
アスカが次々と回復薬を使う。だが、何も変わらない。
「なぜ……キャロルを……」
絞り出すように、エルサが呟く。
「ラヴィニアの願いを叶えてやっただけさ。【神子】キャロル・トレス・アストゥリアは、お前達の父親であるキール・トレス・アストゥリアの愚かな行いの報いを受けたんだよ」
「そん……な……。なぜ、キャロルが……私達は、何も、何も、知らなかったのに!」
エルサの悲痛の叫びが、天龍の間の暗闇に吸い込まれる。
「呪うがいい、憎むがいい、エルサ・アストゥリア。お前の父を、アストゥリア帝国を、魔法都市エウレカを。そして最愛の妹に手を下した、この魔王アザゼルを」
アザゼルの声が、天龍の間の暗闇から響き渡る。
「追って来い、エルサ・アストゥリア。龍の従者たちと共に。お前自身も、龍の従者となって」
その声を最後に、アザゼルの気配が消失する。
直後、白い輝きを放つ巨大な六角水晶の塊が、退魔の魔法陣があった場所に忽然と現れた。




