第281話 聖天竜
聖天竜。光属性を持つ天竜の上級種だ。
地竜の洞窟でさんざん戦った地竜とその上級種である緋緋色の金竜は、洞窟蜥蜴が地龍ラピスの魔晶石の影響で進化した姿なのではないかと俺達は推察していた。なぜなら地竜は蜥蜴をそのまま大きくしたような魔物で、金竜も表皮が赤みがかった金色であること以外に大きな外見の差は無かったからだ。
コイツも巨大な蜥蜴と言えなくもない。体長5メートルほどの巨体、体表をびっしりと包んだ硬そうな鱗、触れる何物をも切り裂きそうな鋭い牙と爪、そして額から突き出した一本角。もしかしたら荒野で見かけた岩蜥蜴あたりが進化した姿とも思わせる。
四本足に加えて蝙蝠に似た二枚の羽が生えていることと、暗赤色の靄を全身に帯びているという決定的な違いを無視すれば、の話だが。
「こいつも……不死者なのか?」
「あの黒い靄を見る限り、そうでしょうね。複数のAランクパーティで挑めば倒せるかもってぐらいの厄介な魔物よ。頼んだわね、龍の従者」
「ははっ……腕が鳴るね」
イヴァンナと軽口を叩き合ってはいるが、状況はかなりマズい。魔法もスキルもまともに使えない状況で、金竜相当の上級竜を相手どるのは難易度が高い。
とは言え……やるしか無いんだけど。
キャロルが退魔の魔法陣に注がれる魔力を奪ってくれているおかげで、暗赤色の靄の噴出は止まっている。ここにいる不死者は一掃しなくてはならない。
「イヴァンナ、エルサ! あいつは俺がやる! 二人は魔法陣の側でアスカ達を守ってくれ! アスカ、二人の援護を頼む!」
「アルッ! ブレスに気を付けて! 【魔弾】の雨みたいの飛ばして来るから!」
「了解!」
「そんな、無茶よ! スキルもろくに使えないのに上級竜に敵うはずない!」
制止しようとするエルサを無視して俺は聖天竜に突っ込んでいく。いつもなら【瞬身】や【不撓】なんかで念入りに身体強化してから挑むところだが、魔力が心許ないから使えない。【内丹】を常に発動して魔力回復しているっていうのに、どんどん魔力が抜け出ているのだ。
スキルは1,2回程度しか使えない。ここぞという時を狙わないと……。
「グラァァァッ!!!」
唸り声を上げた聖天竜は、その巨体から考えられない速さで、丸太のように太い前脚を振り下ろして来た。
だがこっちだって【暗殺者】の加護を習得した上に、地竜の魔石から作った『風装の足輪』まで着けているんだ! 速さでは負けられない!
ギリギリで躱すと、聖天竜の鋭い爪が灰色の地面を深々と抉る。そのまま回り込むように駆けて、もう一本の前脚を狙って聖剣を振り上げるが……
「グルゥァァァ!」
「こっちもかよ!」
俺は咄嗟に横っ飛びで爪を躱し、いったん距離をあけて体勢を立て直す。
右前脚で【爪撃】を仕掛けてきたんだから、左前脚はあの巨体を支えるために地面を踏みしめていると思いこみ、斬り込もうとしたのだが左前脚でも攻撃してきやがった。
どうやら大きく広げた翼をはためかせて上半身を浮かせ、両前脚での連撃を可能にしているようだ。さらに鋭い牙が生えた口を大きく開き【咬刃】まで仕掛けてくる。
両前脚の爪と鋭い牙を巧みに使用した連撃に、躱すことで精いっぱいになった。それでも、必死になって躱しながら、虎視眈々と隙を窺い続ける。
「今だっ!」
爪と牙による連続攻撃の間に生まれる一瞬の隙を見逃さず、【咬刃】を躱した直後に太い首に向かって聖剣を振るう。
「なっ……!?」
斬撃が硬い鱗を引き裂き、浅いとはいえ傷を負わせた。だがその直後に、裂傷を黒い靄が覆って塞いでしまったのだ。俺は有り得ない展開に自分の目を疑った。
相手はAランク相当の魔物だ。攻撃を躱した直後で体勢を崩しながら、しかも身体強化もスキルも使わずに放った斬撃なのだから、深く切り裂くことは出来ないとは思っていた。
だが、一瞬で傷が塞がっただと……!? 血が噴き出したのもほんの一瞬。ろくなダメージを与えられてはいなさそうだ。
「おいおい……」
聖天竜の巨体に纏わりついている暗赤色の靄が無くならない限り、いくら切り裂いても塞がれてしまうのか?
浮かび上がった嫌な予感を確かめるため、反撃覚悟で聖天竜の攻撃をかいくぐって懐に潜り込み、聖剣を突き刺す。
結果はさきほどと同じだった。腹に突き刺さった剣を抉りながら抜くと、一瞬血液が噴き出たが直ぐに靄が集まり傷を塞いでしまう。
「……マジかよ」
「ぐルゥッ!」
「ちっ」
上級竜を目の前にして、顔をしかめている場合じゃない。俺は圧し掛かるように打ち下ろされた前脚をすんでのところで躱し、巨体の周りを円を描くように走って距離を取る。
……さて、どうするかな。
浅い傷では、あの靄に塞がれてしまう。もっと深手を負わせないとダメージを負わせられない。
【魔力撃】を常時発動すれば、例え聖天竜であっても深々と切り裂けるだろう。もしくは【火装】と【烈功】の重ね掛けでも似たような結果は得られると思う。
だが、致命傷を与えられなかったら、魔力が枯渇し攻め手を失ってしまう。かといってスキルも使わず、身体強化も出来ないんじゃあ、手も足も出ない。
「……いや、そんなことは無い」
キャロルのおかげで、暗赤色の靄の噴出は止まっている。ということは聖天竜が纏っている靄は追加されることはないわけだ。
靄が集まって傷を塞いでいるのだから、靄はそのたびに消費されていくはず。何度も何度も攻撃を続けていけば、いつかはあの靄も無くなるはずだ。
「一撃の重さより、回転重視だな」
俺は聖剣のグリップを握る力を僅かに緩めて、前傾姿勢で走り出す。
聖天竜の攻撃をかいくぐって斬りかかる。何度でも剣を振り、鱗を引き裂き、浅くとも傷を負わせる。そして靄が切れたら、急所に渾身の一撃を食らわせる。
気合を入れなおした、その直後だった。
「グギャァァアアアア!」
聖天竜が大口を開きドームの天井に向かって雄たけびを上げる。纏う魔力が膨れ上がり、威圧感がいや増した。
頭上に無数の魔力の塊が浮かび上がり、一斉に落下してくる。幸いにも【魔弾】らしき塊は、アスカ達がいる魔法陣の方には向かっていない。全てが俺めがけて殺到している。
「くっそォッ!」
俺は魔力節約をかなぐり捨てて【暗歩】を発動する。流れるようにステップを踏み、降り注ぐ魔弾の悉くを舞うように躱していく。
魔弾の豪雨から逃れ、もうもうと舞う粉塵から抜け出す。直前まで俺がいた場所は、魔弾に穿たれ灰色の地面が穴だらけになっていた。
「冗談じゃない……」
まさに間一髪だ。魔力をケチってスキルを発動しなかったら、穴だらけにされていたのは俺の身体かもしれない。ゾワリと背筋が粟立つ。
聖天竜を睨みつけると、その口角が持ち上がり、ニヤリと笑ったように見えた。聖天竜は大きく息を吸い込み、胸部が膨らむ。同時に纏う魔力も膨れ上がった。
「連続かよっ!?」
「グギャァァアアアア!」
聖天竜は再び天井に向かって雄たけびを上げる。またしても魔弾の雨が降り注ぐというわけだ。
どうする? さっきはなけなしの魔力を叩いてスキルを発動し、なんとか回避できたが、もう財布は空っぽ寸前。こっちはスキルを連発するわけにはいかないんだ。
だったらどうする? 諦める? いや、それこそ冗談じゃない。
焦るな! 考えろ! 常に冷静に、視野を広く持つんだ。地竜の洞窟でのロッシュとの戦闘で晒した醜態を繰り返す気か? 俺は誰よりも多くのスキルを持ち、多数の引き出しがあるだろう!? 最善の選択肢を選ぶんだ!
「【警戒】!」
俺が選んだのは一番最初に手に入れたスキルである【索敵】の上位互換【警戒】だ。物音や風の流れ、視覚情報、魔力の動きなどを掴み、周囲の気配を読み取るスキルだ。
頭上からの降り注ぐ魔力の塊とその落下する方向から弾道を予測し、最短かつ最適な回避ルートを見つけ出す。全速力で駆けだしながら、スキルをキャンセルし魔力消費を最小限に抑え込む。
「ふっ、はっ、くっあぁぁっ!!」
俺は魔弾が降り注ぐ危険地帯からからくも抜け出した。滑り込むようにして飛び込んだその先は、聖天竜の真正面!
「グルァァァアアアアア!」
「らあぁぁぁっ!」
魔弾の雨は当たらないと気づいたのか、聖天竜は再び両前脚の【爪撃】と鋭い牙の【咬刃】へと攻撃を切り替えた。俺はそのいずれもギリギリで躱しながら、聖剣を振り回す。
一撃で挽肉にされそうな攻撃を躱し、体勢を崩しながらも剣撃を見舞う。硬い鱗に弾かれてしまうこともあれば、浅く傷つけることが叶う時もある。切り裂いたそばから暗赤色の靄が傷を塞いでしまうが、少しずつは靄を減らすことは出来ているだろう。
ここからは俺の魔力が吸い尽くされて手詰まりになるのが早いか、聖天竜が靄を失い傷を塞ぐことが出来なくなるのが早いか、時間の勝負だ。
速く、速く。それだけを意識して、ひたすらに聖剣を振るう。聖天竜の纏う靄が少しづつ少しづつ薄くなり始める。
このまま行けば倒せる! そう思った、次の瞬間だった。
聖天竜は至近距離にいる俺を無視して、大きく息を吸い込んだ。
俺は咄嗟に【警戒】を発動する。周囲に浮かび上がる魔弾の位置と弾道を掴み、また避けきってやる。直ぐにスキル発動を解けば魔力消費を最小限に抑えられると思い……いや、思ってしまった。
「なっ……」
【警戒】が捉えたのは、向かい合う俺と聖天竜の周囲全方位を包むように浮かぶ無数の魔弾だった。聖天竜は自身もろとも魔弾で打ちのめすという選択をしたのだ。逃げ場はどこにも無い。
完全にスキルの選択ミスだ。聖天竜は俺が至近距離にいるというのに、大きく息を吸い込むような隙を晒したのだ。渾身の一撃を見舞ってやるべきだったじゃないか。魔力をケチって【警戒】を選んでしまった俺の痛恨のミスだ。
「グギャアァァァァッ!!!」
「くそぉっ!! 【大鉄壁】!!」
俺は身を包むように魔力盾を展開し、無数の魔弾を受け止める。魔弾でのダメージは完全に防ぐことが出来たが、代わりに俺は魔力を使い果たした。




