第279話 反・退魔の魔法陣
「ぐっ……なんだ!? 魔力が吸い出されていく?」
魔道具に魔力を注いだ時のように、魔力が抜けていく。その勢いはそこらの魔道具の比ではなく、ものの数分で魔力が枯渇しそうなほどだ。
「アルッ、イヴァンナも魔力を回復するよ!」
アスカが俺とイヴァンナに触れると青緑色の光が身体を包んだ。魔力回復薬を使ってくれたようだが、使ってくれた端から魔力が抜けて行ってしまう。
「魔法陣エウレカが暴走しています! 吸い取られた魔力が、反転した退魔の魔法陣に流入しているようです!」
「ちっ……ここにいるのは危険だ! 『龍の間』から撤退するぞ!」
「そ、その前に退魔の魔法陣を元に戻さなければなりません! このままでは不死者がどんどん生み出されてしまいます!」
周囲を見回すと、灰色の地面から噴き出した闇色の靄が集まっていくつもの塊になっていた。さっきと同じように、あの靄の塊から骸骨戦士が生まれてしまうのだろう。
「アルフレッド様、アスカ様。私が退魔の魔法陣を元に戻します。その間、魔法陣に不死者が近づかないように、ご助力を願えませんでしょうか」
反転した退魔の魔法陣を何とかしなければ不死者が生まれ続けてしまうのだから、なんとかしなければならないのはわかる。だが、魔力を吸われ続ける龍の間は危険すぎる。
豊富な魔力がある俺やエルサはまだいいが、魔力が全く無いアスカにはどんな影響が出るかわからない。仲間の安全が最優先だ。ここは撤退すべきか……と思ってアスカを見ると、ケロッとした顔をしていた。
「アスカ? 平気なのか?」
「え? あ、MPスティールのこと? なんともないね。んー、あたしもともと魔力無いから効かないんじゃない?」
……そういうもんなのか?
いや、さっきまでのアザゼルの話を聞いてると全く安心できないんだが……。
「魔力が枯渇したとしても、何日もここにいない限りは問題無いはずよ。お願い、協力して」
苦い顔をしている俺を見て、俺が心配していることを察したのだろう。エルサが縋るように俺の目を覗き込んだ。
そうしている間にも靄の塊は段々と凝縮していく。今にも不死者達が再び生まれそうだ。
「……わかった。協力する」
「感謝するわ。キャロル、魔法陣を」
「はいっ!」
キャロルが舞台の上に登り、魔法陣に手をついて描かれた古代エルフ文字や図形を読み解き始める。
時を同じくして、闇色の靄がついに形を成した。骸骨戦士達がぞろぞろと退魔の魔法陣に近づいてくる。
「エルサ、戦えるか?」
「魔力が吸われ続けてるから、無闇に魔法は使えないわね。この剣で戦うわ」
エルサは闘技場でも使っていた、細剣をすらりと抜き放つ。
「ろくに身体強化魔法が使えないのに、魔法使いが剣で戦えるわけが無いだろ。アスカ達と一緒に舞台で待機してろ」
「大丈夫よ。最近、いい装身具を手に入れたの。『風装の足輪』に『火装の腕輪』。これがあれば、身体強化魔法無しでも戦えるわ」
エルサが微笑んで見せてくれたのは、『マイヤ魔道具店』で、俺とマイヤが作った装身具だった。しかもマイヤが仕入れたBランクの魔石を使ったヤツだ。高品質だからって、マイヤはとんでもない金額をつけていたが、あれを買ったのか。さすがは、傍系とはいえ選帝侯家に連なる血筋の神族だけはある。
「じゃあ、キャロルが魔法陣を元に戻すまで粘るわよ! 頼むわね、アルフレッド、イヴァンナ様!」
「私に命令しないで! 『龍の間』の管理は貴方達トレス家の責務でしょう! 不死者討伐はギルドの仕事ですから協力はしますけど、議会にはきっちり報告しますからね!」
「承知しました。ご協力に感謝します!」
「こんな時に派閥争いなんてしてんじゃねえよ。行くぞっ!」
「私に命令するな!」
俺、イヴァンナ、エルサの3人は、舞台の周囲に散開する。
キャロルが魔法陣を元に戻すのに、どれだけ時間がかかるかわからない。しかも、こうしている間にも魔力が吸い取られ続けているのだから、さっきまでと違って気軽に魔法やスキルを使えない。
ま、敵の中にフラムとロッシュがいない分だけ、さっきよりマシかな。頑張ってみますか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アスカ、回復薬をくれ。使い切っちまった」
骸骨戦士の最後の一体の首を斬り飛ばし、荒れる息を整える。もう何体の骸骨戦士を倒しただろう。途中からうんざりして数えるのもやめてしまった。
火龍の聖剣があるから、倒すのにさほど苦労はしない。だが、数が多すぎる。倒しても倒しても際限なく湧いてくるのだ。
骸骨戦士はいったん一掃出来たが、今もなお闇色の靄は噴き出し続けていて、新たな塊が形成されてきている。数分もすればまた次の波がやって来るだろう。
「はぁっ……私にも、譲りなさい」
「はい、どうぞ。エルサも、持っておいて」
「助かる、わ。……まだなの、キャロル?」
さらに厄介そうなのは、一際大きな靄の塊が出来ていることだ。靄の塊を散らそうとはしたが、剣も盾も靄を通り抜けるだけで消すことは出来なかった。
このままだと強力な不死者が現れそうだが、現れるまでは手出しができないのだからどうしようもない。あれが完成してしまうまでに、魔法陣を元に戻して欲しいのだが……。
「申し訳ありません。書き替えられた魔法陣の一部を【解放】し、【付与】しなおそうとしているのですが、何度やっても弾かれてしまうのです……」
「頼りにならないわね」
肩を落とすキャロルに、イヴァンナが毒づく。
「いっそのこと、その魔法陣を破壊してしまえばいいんじゃないか?」
「そ、それは出来ません! この退魔の魔法陣と舞台は遥か昔に建造されたもので、その建造方法は失伝しています。破壊してしまうと、二度と再建できないのです」
「似たような舞台を作って、同じ魔法陣を書けばいいだけじゃないのか? 魔法陣を書き写すぐらいはしているだろう?」
「同じ効果の魔法陣を書くことは出来ます。ですが、魔力を供給する魔法陣エウレカとの連携を再構築することが出来ないのです。代わりに魔力を注げば良いのですが、この規模の魔法陣に魔力を注げるのは【神子】の加護を持つ者だけです。常に魔力を注ぎ続けなければなりませんので……」
「【神子】はキャロル一人しかいないから事実上不可能。不死者の発生を止められなくなる……か」
退魔の魔法陣の効果が反転し、不死者の発生を抑えるどころか促進していると言うから、いっそのこと壊してしまえばいいと思ったのだが……。壊すと二度と作れないと言うなら、それも難しいか。
「でもさ、魔法陣エウレカとの連携が途切れたら、その魔法陣に魔力の流れなくなるんでしょ? 今よりはマシになるんじゃない?」
アスカが首を傾げて言った。
……確かにそうだ。魔法都市エウレカとその周辺から魔力を吸い集め、俺達からも魔力を奪い、その魔力でこの反・退魔の魔法陣は動いている。
唯一の【神子】であるキャロルでも元に戻せないなら、きっと他の誰にも元に戻せないだろう。ならやっぱり、不死者発生を促進する魔法陣なんて壊した方が良いじゃないか?
「その通りです。この事態を解決するには、反転した退魔の魔法陣を破壊するしか方法はございません」
不意に誰もいないところから声が聞こえ、灰色ローブの女の姿が現れた。
また【幻影】かよ。魔力消費を抑えるため【警戒】を解いていたから、存在にすら気付かなかった……。そうだよ、アザゼルは消えたけど、この女がいなくなるところは見ていなかったじゃないか。
「キャロル、【神子】になって間もない貴方では、私が書き換えた魔法陣を元に戻すことは出来ませんよ」
灰色ローブの女に名前を呼ばれたキャロルがビクッと反応し、大きく目を見開いた。
「そ、その声は……」
灰色ローブの女がそっとフードをめくり、その容貌が露わになる。長い耳、ほっそりとした美しい容姿、銀色の長い髪、そして病的なまでの白い肌。フードの下に隠されていた顔は、明らかに神人族のそれだった。
「お、お師匠様……!?」
キャロルはわなわなと震えながら、絞り出すようにそう言った。




