第273話 不死者
遠くから甲高い叫び声が聞こえ、寝ぼけてぼんやりとした意識を向ける。深夜の街にうごめく敵意を察知し、俺はベッドから飛び起きると同時に【警戒】で広範囲の気配を探った。
「魔物……?」
何が起こっているのかわからないが、のんびり休んでいる場合じゃ無さそうだ。俺は部屋から飛び出し、ノックもせずにアスカの部屋に飛び込む。
「アスカ! 何か様子が変だ!」
「んむぅ……? アル? 今日は……ダメだってばぁ……明後日には終わるって知ってるでしょ……? ふあぁ」
「起きろ! 街の中に魔物の気配がある!」
「ふえぇっ!? ま、魔物!?」
「ああ。アスカ、着替えて装身具を着けろ。俺にも防具を着けてくれ」
「え、あ、うん! 【装備】!」
アスカの声とともに、一瞬で地竜の鱗鎧が装着される。唯一、手元に置いていた聖剣を腰に帯びた時には、アスカも装身具を身に着けてローブを羽織っていた。そこに、装備を整えたアリスが駆け込んで来る。
「何ごとなのです!?」
「聖区の方に魔物の気配がある。人が襲われているみたいなんだ」
「もしかして……不死者?」
「えぇっ!?」
アリスが小さく叫び声をあげる。あー、そうだった。そう言えばアリスって悪霊とか不死者が苦手なんだったっけ……。
「たぶん、そうだ。なんとなくだが、あの不死の合成獣の気配に似ている気がする」
「聖区の方ってことは、たぶん地下墓所かな? キャロルが片付けたって言ってたのに……。それで、どうする? 行ってみる?」
「ひえぇ!? い、行くのです!?」
「あ、うん、様子は見ておいた方が良いよな」
「うん、たぶん魔人族でしょ?」
「ふえぇ……」
アリスが歯をガチガチと言わせて、真っ青な顔で『行きたくない』と目で訴える。
これは……どうしようかな。無理やり引っ張っていくわけにもいかないし、こんな様子じゃ戦力として期待できない。それどころか足手まといになりそうだ……。
「あー、それならここに隠れてるか? 俺とアスカで様子を見てくるから」
「ア、アリスを一人にするのです!? ひ、ひどいのです!」
まいったな。アリスがここまで不死者が苦手だとは思ってなかった……。なんかトラウマでもあるのか?
うーん、街中に魔物が現れるっていう異常事態だしなぁ。魔人族がかかわっていないはずが無いのだから、行かないわけにはいかないし……。
「アリス、ここに一人で残るか、ついて来るかどっちかだ。すまないけど、どっちかを選んでくれ」
「うぅぅ……つ、ついていくのです。一人はイヤなのです……」
泣きそうな顔でそう言ったアリスは、ずいっと手を差し伸べてきた。
「て、手を、繋いで、欲しいのです」
「えっ……」
魔物がいるところに行くっていうのに手をつなぐって……と躊躇していたら、アリスに強引に左手を掴まれた。俺の手を握るその手はぶるぶると小刻みに震えている。よっぽど不死者が怖いようだ。
「むっ……もうっ。今日だけだからね?」
「は、はひぃ」
アスカが苦笑いしつつ、アリスの髪を撫でた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ひぃっ!」
「スケルトン……」
眼窩に鈍い暗赤色の光を宿したスケルトン達が、エウレカを南北に貫く天龍大路を徘徊していた。
「ああ、それと、水路にスライムがいるな」
「ダークスライムだね。物理耐性が高いけど、聖剣と戦槌なら相性がいいはずだよ」
水路から半透明の汚泥の塊が、這いずり出て来ている。普段は森のせせらぎのように美しい水路なのだが、今は下水道の様に暗く濁り、異臭を放っていた。
「向こうにたくさんいるな」
白天皇城の方に、スケルトンが放つ暗赤色の光が無数に浮かび上がっている。
「やっぱり地下墓所から湧き出てるんじゃないかな」
「向こうに行くか?」
この周辺の住民は扉を固く閉ざし、建物の中で息を潜めているようだ。【隠密】を発動して建物の陰から覗いているため、俺達も今のところスケルトン達に気付かれてはいない。
「うん、行こう」
「…………」
恐怖のあまり一言も発しないアリスの手を引き、俺達は路地を進む。物陰に潜んだり、遠くに小石を投げて気を逸らしたりしながら、街路をうろつくスケルトンを避けて聖区に近づいて行く。次第に叫び声や戦闘音が大きくなってきた。
「あっ、あそこ!」
アスカが指差した方を見ると、浮かんだ【照明】の光の下で、数人の冒険者らしき人影がスケルトンやダークスライムに囲まれていた。
「ちっ……加勢するぞ!」
俺はアリスとアスカを背にかばい、【火球】を放つ。本来なら聖剣を片手に突っ込んで行きたいのだが、アリスとアスカを守りながら立ち回らなければならないのでそうもいかない。
白骨の上にボロボロの薄汚い衣服を纏ったスケルトンに、火球が直撃すると激しく燃え上がった。アスカに聞いた通り、スケルトンは火属性魔法の効きがいいようだ。
【火球】一発で倒せるようだが、いかんせん数が多い。一気に吹き飛ばしてやりたいところだが、冒険者達まで火炙りにしてしまうので【爆炎】は使えない。
「【火球】!」
俺は【火球】を連発する。幸いにもスケルトンの動きはさほど早くない。数は多いが、近寄られる前にどんどん崩れ落ちていく。
ジュワアァッ!!
だがダークスライムに直撃した【火球】は、一瞬で搔き消えてしまう。ほとんど効いていないようで、ダークスライムは蹴鞠のように飛び跳ねて突っ込んで来た。
「くっ、【鉄壁】! 【盾撃】!」
俺は魔力盾を展開して汚泥の塊を受け止め、直後に弾き飛ばす。通常のスライムであれば爆発四散していただろうが、衝撃への耐性が高いのかびくともしていない。
仕方ない。可哀そうだがアリスを振りほどいて、聖剣で切り裂くか……。
「アル、属性魔法も効きづらいけど、無属性なら!」
「そうかっ! 【魔弾】!」
普段はあまり出番のない【癒者】の攻撃魔法を放つ。直撃した魔力の塊が、ダークスライムの粘液の膜に穴を穿ち、汚泥のような体液が勢いよく零れ出た。
「いよっし! 【魔弾】! 【火球】!」
俺は続けざまに魔法を放ち、魔物達を駆逐していく。数に押されていた冒険者たちも、大部分を俺が引き付けたため息を吹き返し、周りの魔物達を倒していった。
「大丈夫? ケガしてる人いたら治すよー?」
「助かる! この子を看てやってくれ!」
魔物達を片付け冒険者に近寄る。何人かの冒険者たちが、受傷し蹲っていた。幸いにも重症者はいないようで、アスカがさっそく【治癒】をかけていく。
「助力に感謝しま……あ、あなたは!」
うわっ。思わず助けたけど、よりにもよってコイツかよ……。
「はぁ……無事か? イヴァンナ」
「貴様っ! 口の利き方を……」
「やめなさいっ!」
俺の口調に食って掛かろうとした神人族のお付きを、イヴァンナが制した。
「……助かったわ、アルフレッド」
「どういたしまして」
「【癒者】と【魔術師】の魔法を使えるということは、龍の従者だというのは真実なのね……」
さすがに、この異常事態で俺と事を構えるつもりは無いようだ。不承不承といった感じではあるが、イヴァンナが感謝の言葉を口にした。
……ふむ。争うつもりが無いなら、情報収集しておくか。
「イヴァンナ、何が起こっているかわかるか?」
「わからないわ。突然、不死者たちが街に現れたのよ」
「……出所は地下墓所か?」
俺は小声でイヴァンナに尋ねる。
「っ! ……その可能性が高いでしょうね」
またも国家機密を口にした俺を、イヴァンナはキッと睨みつける。だが、今さらだと考え直したようで、頷いて同意した。
「そうか」
治療を終えたアスカが戻ってきたので、俺達は聖区に向かって歩き出す。アリスは嫌々だけど。
「ちょっと! どこに行くつもり!?」
突然、背を向けた俺達を、イヴァンナが慌てて制止する。
「地下墓所だが?」
「はぁ? 地下墓所は白天皇城の地下だって言ったでしょ!? 聖区に他種族の立ち入りは許されないわ!」
「言ってる場合か? この件は魔人族がかかわっている可能性が高い。その聖区に大きな被害が出るかもしれないぞ?」
「魔人……」
イヴァンナは眉を寄せ、頭を抱え込んだ。神人族の爵位持ちとしては、他種族の立ち入りなど許容できない話なのだろう。
俺はアスカと顔を見合わせ、イヴァンナを無視して歩き出す。悠長に話し合っている状況じゃないのだ。
「待ちなさいっ! 私が同行するわ!」
俺達の背後で、イヴァンナが腹立たし気にそう叫んだ。




