第272話 聖女キャロル
「せきそう……魔法陣、エウレカ?」
「ええ、積層、むぐぅっ」
突然、耳慣れない言葉を叫んだキャロルに聞き返すと、エルサがその口を慌てて塞いだ。
「……ごめんなさい、今のは聞かなかったことにして頂戴。そうでないと貴方達に大変な迷惑が掛かってしまうわ」
エルサが申し訳なさそうに、そう言った。
「だが、魔力を集める方法だと……」
アリスの封印を解くにはSランクを超える魔石の膨大な魔力が必要という話だった。おそらくキャロルは、その代わりの手段を提案しようとしたのだろう。それなら、是が非でも聞きたいところだ。
だが、ただならぬエルサの様子を見て、俺ははたと気付く。今、キャロルが話そうとしたことは、『地下墓所と不死者』と同様に、いや、さらに禁忌とされている情報なのではないだろうか。
俺達がそれを知ってしまうことで、キャロルやエルサにまで迷惑をかけてしまうのなら、聞き出すことは控えた方が良いのかもしれない……。
「せ……積層、広域、魔法陣……」
俺の隣でアスカが込み上げる感情を抑えられないようにぶつぶつと呟く。キャロルの言葉はしっかりとアスカの耳に届いていたようだ。
「積層型広域魔法陣エウレカ! なんってファンタジー! すごいすごいっ! WOTにそんなのがあったなんて! もしかして、公開されてない開発設定!? それともこの世界のオリジナル!? あっ、わかった! あれでしょ! エウレカの都市そのものが巨大な魔道具って言ってたアレ! うっわーすごいっ! 発動してるとこ見てみたい! やっぱ魔法陣が何個も空に浮かび上がったりするのかな!?」
堰を切ったかのようにアスカが喋り出す。エルサの表情がどんどん引き攣っていくのもお構いなしだ。あー……そう言えば、始まりの森で初めて会った時も、こんな風に興奮してたなー。
「エウレカの道路とか建物とか水路もぜんぶ、水を創り出す巨大な魔法陣って言ってたよね! 積層型ってことは……白天皇城とか地下墓所とかも、その一部ってこと!? そっか! それだけ大きな魔法陣でたくさんの水を創ってるなら、たくさん魔力が使われてるはず! その魔力を使えば、アリスの封印だって……そういうこと!? キャロル!?」
喋り続けるアスカを見て、エルサが諦めたかのように天を仰ぐ。反対に、キャロルは気分が高揚していっているのか、頬が紅色を帯びていく。
アスカがべらべらと捲し立てたことからすると……魔法都市エウレカという巨大な魔道具の魔力を使って、アリスの封印を解くってことか?
「そっ、そうなのです! その魔力を神器に付与するために、私達【神子】は在るのです! アスカ様、やはり火龍イグニス様の天啓で、地下墓所だけでなく魔法陣のこともご存知だったのですね!?」
「えっ……あっ、うん、そ、そうなの! 神龍ルクス様の思し召しよ!」
嘘つけ。思いついたことを喋っただけだろ。
「ああっ、神龍ルクス様! 我ら神人族の守護龍、天龍サンクタス様! 今、ここで龍の従者たる皆様に巡り合うために、私は生を受けたのですね!」
両手を組んで跪き、祈り始めるキャロル。あー、なるほど、キャロルは聖ルクス教会の聖女だもんな。神龍ルクスや守護龍の天啓は、キャロルにとっても重大なことで、それに関われることは名誉なことなのだろう。
いや、でも、こればかりは、天啓じゃないってちゃんと話しておかないと。騙しているみたいで心苦しいし、黙っているとエルサ達に多大な迷惑をかけてしまいそうだ。
「キャロル、俺達は火龍イグニス様や地龍ラピス様の天啓で、魔法陣のことを知ったわけじゃない。実際、エウレカに来るまで都市の魔法陣のことなんて知らなかったんだ。俺達が火龍イグニス様から授かった天啓は、『魔人族から世界を救え』だった。地龍ラピス様からの天啓も似たようなものだ。エルサから聞いたかと思うが、俺達がここに来たのは魔王アザゼルがアリスの封印を解く手掛かりはエウレカにあると言ったからだ。龍の従者として天啓を受けてここに来たわけじゃないんだ」
「ですが、アルフレッド様は地下墓所と不死者のことをご存知だったのでしょう? 守護龍からの天啓で聞いたのではなかったのですか?」
「……情報の入手先は教えられないが、地下墓所で不死者が湧くという噂を聞いただけなんだ。ギルドの受付の獣人だって知ってたんだ。どこかで漏れたっておかしいことでは無いだろう?」
「そうでしたか……ですが、私の為すべきことは変わりません。積層型広域魔法陣エウレカの魔力を用い、アリス様の【封印】を【解放】する。それは私にしかできないことですもの!」
「キャロル! それがどういうことかわかっているの!?」
エルサがキャロルを怒鳴りつける。いつも穏やかなエルサがここまで声を荒げるのは珍しい。キャロルのために上級万能薬を俺達に強請ったとき以来じゃないだろうか。それだけ、積層型広域魔法陣エウレカとやらのことを話すのは、禁忌に触れることなのだろう。
「地龍の従者であるアリス様の封印を解くことは、聖ルクス教会の聖女として何よりも優先すべきことです」
「そうだとしても、魔法陣の私的使用は重罪よ! この話をしている時点で、いくつもの帝国法に触れてる! キャロルの一存で動いていいことじゃない!」
「エルサ姉様、こうして龍の従者様が3人もこの地にいらっしゃるのです。これはアストゥリア帝国にとどまる問題ではありません。神龍ルクス様が創造された世界の試練なのです」
頑ななキャロルの言葉と態度に頭を抱えるエルサ。まずいな……アリスの封印を解きたいとは思うが、そのせいでエルサやキャロルに迷惑をかけてしまうのは本意ではない。
当事者のアリス自身も突然の話に、困惑しオロオロしている。アリスも二人に迷惑をかけてまで封印を解きたいとは思うまい。ここは、辞退すべきだな……。
「……なら、せめて皇帝陛下と議会の承認は得るべきじゃない?」
「議会の承認など得られるわけがないことはエルサ姉様が一番ご存知でしょう? 例え龍の従者であったとしても、神人族以外の方が皇城や地下墓所への立ち入りを許可されることは無いでしょう」
「だったら、なおのこと……!」
「それに……アスカ様に救われたこの命の恩に報いるべきではありませんか?」
「それは……」
エルサが言葉を詰まらせ、助けを求めるように俺達を見る。どうしてもキャロルを押しとどめて欲しいようだ。
アリスの顔を覗き込むと、こくりと頷いた。アリスもいくら封印を解きたいと思ってはいても、そのためにキャロルやエルサに法を犯して欲しいとは思っていないようだ。
「キャロル。気持ちは嬉しいけど、君達に迷惑をかけてまで封印を解きたいとは思わない。Sランクを超える魔石を手に入れられれば、封印は解けるのだろう? 俺達は必ずそれを見つけ出す。恩に報いたいと思ってくれるなら、その時に協力してくれ」
「ですが……!」
魔石の入手は簡単ではないことはキャロルにもわかっているだろう。だからこそ禁忌を冒してまで、魔法陣での封印開放を提案してくれたのだ。
「キャロル、龍の従者が三人もいるんだ。魔石の入手なんて容易いさ。それとも、龍の従者の言うことが信じられないかい?」
そう言って微笑むと、キャロルは苦笑する。
「……わかりました。皆様が魔石を手に入れた折には、必ずや封印の開放を成してみせます」
「はいっ、お願いするのです!」
ようやくキャロルが諦めてくれて、アリスとエルサはホッとした様子で微笑んだ。
はぁ、思いがけず長時間の会談となったが、とりあえず今後の方針は決定した。Sランクを超える魔石の入手か……。さっきアスカは首を横に振っていたが強力な魔物のことなら、何かしらの情報を持っているだろう。まずは、宿に戻って作戦会議だな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
馬車で送ってもらい、旅館に戻って来た俺達は、食堂でエルサを交えて食事をとることにした。神人族のエルサがいるため、店主や他の客が緊張してしまっているけど……神人族の街区で食事をすると、今度は俺達が睨まれちゃうからさ。申し訳ないね。
「キャロルはいささか信心が深すぎてね。頑固なところもあるから、言い出したら聞かないのよ」
「そうみたいだな。引き下がってくれてよかったよ」
「龍の従者の言葉だから。敬虔な神聖ルクス教徒のキャロルは従わないわけにはいかないのでしょう。あ、わかっていると思うけど、今日聞いたことは絶対に口外禁止よ? うっかりギルドで話したりしないでよ?」
じっとりとした目でエルサが俺を見る。前科があるだけに強く否定できないのが苦しいな。
「わかってるよ……。さすがにそこまで馬鹿じゃない」
「どうだか……それで、魔石の当てはあるの?」
「うーーん、無いことも無いけど、当分は無理かなぁ。クリア後じゃないとSSランク魔物とは戦えないから……」
「クリア? SSランク??」
またアスカが余計なことを言い出した……。クリアっていうのは魔王アザゼルの打倒を指すのだろうが、そんなことをいきなり言われてもエルサにわかるわけないだろ。
「気にしないでくれ。ま、当てはあるってことさ」
「うん。アリス、ぜったい魔石は手に入れるからね! アルが!」
俺かよ……。ま、アリスのためなら、いくらでも骨を折るつもりでいるけどさ。
「はい、アルさん、よろしくお願いするのです!」
「ああ、まかしとけ。それで……次の目的地はどうする? 今度こそ、マナ・シルヴィアか?」
「うん、そだね。ゼノも魔人族がどうとか言ってたしね」
ゼノ? ああ、そう言えばそんな事を言ってたな。北の小国家レグラムがどうとか……。
「いいなぁ。私も行ってみたいわ」
「エルサも一緒に来る?」
「行きたいところだけど、パスね。キャロルが危なっかしいから、付いててあげないと心配なのよ」
「はは、心中お察しするよ」
エルサが残念そうに肩をすくめる。魔法都市エウレカと王都クレイトンだけでなく世界を見たい、そう思う気持ちはよくわかる。
俺もアスカと一緒じゃなかったら、始まりの森とチェスターしか知らずにいただろうからなぁ。世界が広いと知った今、一所に居続けることは窮屈かもしれないな。
さて、次は獣人族の里マナ・シルヴィアだ。特にエウレカでやり残したことも無いし、王都クレイトン経由で移動かな。
王都の冒険者ギルドならマナ・シルヴィアの転移陣に行ったことがある人もすぐに見つかるだろう。アルセニーさんの予定も聞いておかないと。
その後、エルサの奢りでアストゥリア料理を楽しんだ。狩りから帰ってきた高位冒険者達で混み合う前に解散し、俺達はそれぞれの部屋で眠りにつく。
街中に響き渡る叫び声と異様な気配に目を覚ましたのは、日を跨いだ真夜中のことだった。




