第252話 幕間・クレアの帰還
クレア視点です
「ようやく着きましたわ」
「長旅お疲れ様でございました」
王都クレイトンからパックウッド山を越えるルートを辿り、ようやくチェスターが見えてまいりました。
マルコ隊商隊長も『支える籠手』のサラディン団長も、ヴァリアハートとカスケード山を経由するルートは二度と通らないと仰っていました。往路では強力な魔物や盗賊に襲われ、さらにはマッカラン商会の襲撃と魔人族の不意打ち……と散々な目に遭いましたからね。わたくしも全く同感です。
「魔人族のチェスター襲撃のせいで、身一つで王都に参りましたから、商売は二の次でしたが……エクルストン侯爵から支払われた迷惑料のおかげで、良い商いが出来ましたわね」
「ボビー・スタントン准男爵とは良い取引ができましたね。マナ・シルヴィア産のワインやガリシア産の火酒はチェスターやジブラルタ王国でも需要が高いですからな」
「そうですわね。それに冒険者ギルドのヘンリー様や商人ギルドのシンシア様と友誼を結べたことも僥倖でした」
王都の経済界で日に日に存在感を増しているボビー准男爵、王家から大商会まで幅広く影響力を持つシンシア様、セントルイスの筆頭冒険者にしてギルドマスター『拳聖』ヘンリー様。王都で知らぬ者はいない御三方と縁を持てたことが、今回の旅の最も大きな成果でしょう。
この縁はアリンガム商会に利益をもたらしてくれるに違いありません。繋いでくださったアル兄さまやアスカさんに感謝ですね。
「ですが、おじ様やおば様にアル兄さまのことをご報告しなければならないと思うと……気が滅入りますわね」
「クレアお嬢様……」
おじ様……いえ、アイザック・ウェイクリング伯爵閣下には、アル兄さまを連れ帰るようにと頼まれていました。
当初はアストゥリア帝国の外交官に引き合わせ、転移石を供出してアスカさんを魔法都市エウレカまで送って頂く予定でした。そのための転移石まで預かっていたのです。
わざわざアル兄さまがエウレカまでお連れしなくても済むと思っていたのですが……。
「まさかアル兄さまに、あんな事情があったなんて……」
「アスカ様のお力ですか」
アスカさんが異世界から来られたこと、特殊な加護をお持ちであること、非常に有用なスキルをお持ちであることなどの、アスカさんの秘密はジオドリックとユーゴーも知っています。
アスカさんが秘密を打ち明けてくださった時、彼らはわたくしの護衛についていました。部屋の周辺からは離れるように申し付けましたが、【警戒】スキルを常に発動して周囲の音を拾っているジオドリックや、五感が鋭敏なユーゴーにはわたくしたちの話声が丸聞こえだったのです。
防音にはわたくしがもっと気を付けるべきでした。風魔法を利用した魔道具を使うことだってできましたのに、アスカさんが突然披露された【アイテムボックス】に圧倒されて秘密保持を失念しておりました。二人ともアル兄さま達に好意的ですし、決して他者には漏らさないと約束してくれてはいますが、反省すべきですね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「長旅ご苦労。よくぞ無事に戻って来てくれたな、クレア」
「お気遣い、ありがとうございます、伯爵閣下。ですが、旅のご報告の前に、まずはお詫び申し上げなければなりません。残念ながら……」
チェスター到着後すぐに、わたくしはウェイクリング伯爵家の屋敷を訪れました。
旅の報告であれば、旅装を解き、日を改めてからにすべきでしょう。ですが、アル兄さまをお連れすることが出来なかったことは、いち早くお報せすべきです。主家であるウェイクリング伯爵家の跡継ぎにかかわることなのですから。
「ああ、待ちなさい、クレア。その前に、お前の非礼を糺さねばならん」
アイザックおじ様に上申しようとしたところ、同席していた父バイロンが口を挟みました。非礼……とは、アル兄さまをお連れできなかったことでしょうか。確かに不首尾ではありますが、礼を失したとは……?
「こちらは、アイザック・ウェイクリング辺境伯閣下だ。以後、改めよ」
「辺境……これは失礼をいたしました、辺境伯閣下」
辺境伯……いつのまにアイザックおじ様は陞爵されたのでしょう。王都にいた時に、そんな話は噂に上ってもいませんでした。では、わたくしが王都を発ち、チェスターに戻るまでの短い間に?
「スマンな、クレア。そなたの報告を聞く前に、伝えておこう」
そう言って、アイザックおじ様が事の経緯を教えてくださいました。
おじ様と父は『転移陣を使い、可及的速やかに王宮へ』との召喚を受け、わたくしと入れ違いで王都に入ったそうです。大急ぎで王宮に参内したおじ様と父に、陛下は王都でのアル兄さまの活躍を饒舌に語られました。
王子殿下にかけられた呪いの解除、決闘士武闘会での準優勝、不死の合成獣の討伐、そして央人の守護龍である火龍様から天啓を授かったこと。陛下のお言葉を、おじ様と父はただただ唖然として拝聴したそうです。
そしてチェスターでの魔人族討伐と王都での撃退の褒賞として、ウェイクリング家に辺境伯の爵位を授け、さらには長子のアル兄さまにテレーゼ王女殿下を降嫁させたいと仰ったそうなのです。
まさに、青天の霹靂でした。アイザックおじ様が、旅立たれたアル兄さまを、再び後継者に据えると仰ったのですから。
「アルフレッド様は、天啓に従い世界中を旅して回ると仰っていました。旅を終えられた後も、チェスターに戻って来られるかもわからないそうです。それでもウェイクリング辺境伯家の後継者とされるのですか?」
「陛下はテレーゼ殿下を降嫁させてまで、アルフレッドとの縁を持とうとされている。ウェイクリング家としても喜ばしいことだ。そうしない理由が無いだろう」
「左様でございますか……」
「天命の旅を終えた後に、アルフレッドに爵位を引き継ぐ。クレア、ギルバードとの婚約は解消だ。再びアルフレッドと婚約してもらおう。アルフレッドが旅を終えるまで、結婚は待ってもらうことになるが、良いな?」
「は、はい……承知いたしました」
急転直下とは、まさにこの事でしょう。
ギルバード様に嫁ぎ、ウェイクリング家とアリンガム家の繁栄に努めよう。そう自分を納得させ、チェスターに戻ってきたのです。それを根底から覆され、わたくしの理性は混乱の渦に飲み込まれました。
ですが……わたくしの心は正直でした。心の奥底から喜びが溢れ出て、多幸感に包まれます。ああ……運命に従い生きると誓ったばかりだというのに、わたくしはなんと浅ましいのでしょう。
「ふふ。クレア、お前も満更ではなさそうだな」
「あ、え、その……」
ああ、顔が紅潮していくのが自分でもわかります。
いつのことになるか、本当に結ばれるのか、先のことはわかりません。それでも、アル兄さまが戻られるのを待つことが出来る。それだけでも抑えがたい歓喜がわたくしの体を満たしていくのです。
「もう、バイロン様、悪戯が過ぎますわ」
慌てて居ずまいを正すと、ダイアナおば様が父をやんわりと窘められました。
「これは失礼。娘の慌てる姿が見たくて、つい」
おば様、いえ、ダイアナ辺境伯夫人の諫言に、父は頭をかいて笑いました。
「ふふっ、クレアさん。貴方とアルフレッドの、旅の話を聞かせてくださる?」
「はいっ!」
ダイアナおば様がにっこりと微笑み、そう仰いました。ああ、何からお話ししましょう。
盗賊のアジトに単身で乗り込んだこと? 闘技場での雄姿? アスカさんのことも、とても素敵な方だと、しっかりお伝えしないといけません。わたくしと姉妹妻になってくださるかもしれないのですから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「久しいな、クレア嬢。戻っていたか」
「ギルバード様!!」
旅の報告を終えて応接室を出たところで、ギルバード様がちょうど外出から戻られました。
その姿はまるで戦場から落ち延びてきた敗残兵のようです。鎧や衣服には流血がこびりつき、御髪も御顔も汚泥にまみれ、そのグレーの瞳には苦痛と色濃い疲労が浮かんでいました。
「ああっ、お怪我はございませんか!?」
慌てて近寄ると、ギルバード様はわたくし手の平を向けて制止されます。まるで、それ以上は近寄るなと言うように。
「怪我は治癒した。心配はいらない」
「そ、そうですか、ご無事で……何よりですわ。その、どうしてそんなに……?」
「シエラ樹海に行ってきたのだ。もう、私に残されたのは、この騎士剣しか無いからな」
「ギルバード様……」
「おめでとう、クレア嬢。良かったじゃないか、ずっと思いを寄せていたアルフレッドと結ばれるのだ。嫌々ながら私と結婚せずに済む」
ギルバード様は唇を歪め、疲労が滲んだ昏い表情でそう言いました。
「そんな、ことは……」
「詮無い事を言ってしまったな…………。失礼する」
そう言い残すと、ギルバード様は屋敷の奥へと立ち去っていきました。




