第242話 狂化
地竜の巨体が、ずぅんと鈍い音を立てて地に伏した。エドマンドさん達が、襲い掛かって来た地竜を問題無く処理したようだ。
「どうする? まだ続けるか?」
ビッグスの【魔物寄せ】に釣られたのか、荒野の旅団が相手をしている地竜の数が増えている。いくら歴戦の傭兵団とは言え、少数精鋭でここに来ているのだから数の暴力には敵わないだろう。
周囲の地竜を引き寄せ続けられたら混戦から抜け出せないと判断して、退いてくれると助かるのだが……。地竜は俺達にも群がってくるわけだから、あまり採りたくは無い方法だし。
「ったく……割に合わない依頼を受けちまったな」
ゼノがぼやく。
いやいや、こっちのセリフだよ。集団暴走の原因調査の依頼を受けて来たのに、傭兵団に囲まれるって、ほんと割に合わないんだが……。
「退くつもりは?」
「無いな」
「じゃあ、ここまでだな。撤退するぞっ!」
「おうっ!」
「じゃあなっ、ゼノ!」
ダミーを先頭に走り出した皆を追いかけながら、ゼノに向かって叫ぶ。
「ちょっ、待てコラァッ!」
待てと言われて待つ阿呆がどこにいる。
集団暴走の原因調査は、そこまで緊急の依頼というわけでもない。今は荒野の旅団から逃げてアリスの安全を確保する方が優先だ。地竜の洞窟には、荒野の旅団にアリス殺害を依頼した人物を排除してから、あらためて挑めばいい。
「クソッ! しょうがねえっ、奥の手だ! 【狂乱の戦士】!!」
逃げる俺達の背後で、ゼノの殺気が膨れ上がる。咄嗟に振り向くと尋常じゃない速さで俺達を追い上げ、大剣を振りかざしたゼノが目の前に迫っていた。
「【鉄壁】! ぐっ!!」
剣撃がさっきまでより遥かに重い! しかも早いっ!?
「ガアアァァッッッッ!!!」
まるで獣のような咆哮を上げるゼノ。いや……ような、じゃない。暗闇に爛々と浮かび上がる金色の瞳で俺を睨みつけるその姿は、まさに獣そのもだ。
「ガァッ!!」
「くっ!」
凄まじい速さで振るわれる大剣を、なんとか盾で受け止め、聖剣で受け流す。
「アルフレッドッ!?」
「先に行ってください!」
傭兵団の包囲から抜け出すなら今がチャンスだ。エドマンドさんを、先へと促す。
「くっ、行くぞっ!」
「アルッ!」
「大丈夫だ! すぐに追いつく! アリスを頼んだっ!」
俺は乱雑に振り回される大剣を捌きながら叫ぶ。
「兄貴っ! だめだっ、やべえのが来た!」
ダミーが叫ぶ。今度はなんだってんだ!?
ゼノが振り下ろした大剣に盾撃を合わせ、剣を弾いた一瞬の隙に目を向けると、事態は想像以上に悪い方向へと傾いていた。
「緋緋色の金竜……しかも……」
ダミー達の行く手を阻んでいたのは、山吹色の光沢を持つ鱗に覆われた竜。そして、その後ろに背丈が高く分厚い体つきの偉丈夫が佇んでいる。灰色のローブを纏った男だった。
「ガアァッ!!」
「ぐっ、空気を読めっ、この狼男がっ!」
金竜と魔人族に退路を塞がれたと言うのに、コイツはまだ俺達を狙うのか!? 正気を疑う……いや、違う……
ただただ力任せに剣を振るう、技巧の欠片も無いこの戦い方。目の前の敵に襲い掛かる獣と化す……『狂化』のスキルか!
前に金竜と魔人族、後ろにゼノ。どう対応すべきか考えている間にも、ゼノの猛攻は止まらない。くそっ、どうする!?
「エドッ、少しの間だけ魔人族をおさえてっ! 他は金竜! ウェッジ、タンクよろしく! みんなっ、あいつがここのボスだよっ! 出し惜しみなしで行くよっ!!」
「おおっ!」
「承知っ!」
「金竜相手に壁っすか!? こりゃあ、燃えるっすー!」
「燃え尽きんなよー!? 先制、行くぞっ! 【エレメントショット】!」
アスカの檄が飛び、皆がそれに応えた。さすがだな、アスカ。リーダー役が板についてる。
よしっ、それなら俺はとっととゼノを倒して、戦列に加わらないと!
「ガァァッ!」
「いい加減にしろ、ゼノォッ!!」
真っ正面から突っ込んで来たゼノの大剣を、火龍の聖剣で弾く。続けて、泳いだ身体に前蹴りを叩き込んで、弾き飛ばす。
だがゼノは堪えた様子も無く、跳ねるように立ち上がって再び俺に突っ込んできた。
ベルセルクって、言ってたな……。おそらくは、あの不死の合成獣の『狂化』にも似た、異常な身体強化効果のあるスキルだ。
合成獣の狂化状態は1,2分の暴走状態の後に、その疲労で十数秒だけ動きを止めていた。だがゼノの身体強化は既に1,2分程度は経過している。合成獣と同じような、反撃のチャンスは無さそうだ。
たぶん体力と膂力、敏捷性が跳ね上がる代わりに、正気を失くして闘争本能のままに暴れまわる狂戦士となってしまうスキルなのだろう。とんでもない速さと重さで振り回される大剣を捌くのは、至難の業だ。
まあ、それなら真正面からぶつからなければいいだけなんだけど。
いくら敏捷性を上げたとしても、元がせいぜいルトガーぐらいの早さなのだ。倍になったところで、盗賊の加護を修得し、暗殺者としてもそれなりに熟達した俺の速さには及ばない。
「【暗歩】」
ゼノを幻惑するようにステップを踏む。大剣の切っ先が、戸惑いを隠せずに右に左にと泳ぐ。振り回される大剣を避け、躱し、受け流す。
俺は早くアスカ達に加勢しなければならない。ゼノに構っている時間は無いのだ。殺してしまうかもしれないが、全力でいかせてもらう!
「【照明】」
ゼノが振り回す大剣を避け、明かりの生活魔法を発動。狂化状態でもなければ通じなかっただろうが、ゼノは突然目の前に浮かび上がった光に思わず目を瞑ってしまう。
「【影縫】」
続けて投げナイフをゼノの足元に投擲。地面に刺さった瞬間に弾けた魔力で、ゼノはほんの一瞬だけビクリと身体を震わせる。
「【盾撃】!」
その一瞬の隙を逃さず、渾身の魔力を込めた火喰いの円盾ごと体当たりを仕掛け、ゼノを弾き飛ばす。
「【爆炎】!」
衝撃で地面を跳ねていたゼノに、追撃の紅い魔力球を放つ。着弾した瞬間に炎が爆ぜる。
「【岩槌】!」
ゼノの頭上に出現した岩の塊が、地に引かれて急降下する。岩の生成に時間を要し、動きの速い敵にはまず当たらない魔法だが、爆炎の衝撃で既に満身創痍のゼノに避ける術はない。大岩はズンッという重低音を響かせて、地面にめり込んだ。
死んだかどうかまではわからないが、さすがにもう動けまい。俺は金竜と魔人族に対峙するアスカ達の方へと振り返る。
拳を構える魔人族と睨みあうエドマンドさん、金竜を引き付けるウェッジ、矢と魔法を放つビッグスとジェシー、ジェシーに回復薬を使うアスカ。アリスや孤児院組も、それぞれの武器を手に金竜の隙を窺っている。
よし、みんなまだ無事だ! まずは、金竜から片付けるべきか?
全力で駆け付けたその時、金竜がその巨体を屈めて、低い唸り声を上げた。ブレスの挙動だ!
「みんな、いくよっ! フラッシュ・バンッ!!」
アスカの声に合わせて目を瞑り、耳を塞いで、閃光と爆音をやり過ごす。この連携はもう慣れたものだ。すぐに目を開けると、金竜が今にも倒れ込みそうなほどに、その巨体を揺るがせていた。
よしっ! アスカのフラッシュ・バンを食らえば数秒は前後不覚に陥るはず! この隙に金竜に最大の攻撃を……
「エドマンドさん!!!」
その時、胸の裡を引き裂くようなジェシーの絶叫が洞窟に響いた。
ジェシーの目線の先には、身の丈ほどの岩槍に腹を貫かれ、蹲るエドマンドさんの姿があった。




