第219話 呪い
目つきの悪い男がツカツカと歩み寄る。チラリと俺とアスカに目を向けてから、アリスに向かって恭しく頭を下げた。
「アリス様、このような下賤な冒険者が持っていた薬など、口にしてはなりません。その薬は私が預かります」
呆気に取られた俺達をよそに男がアリスが手に持つ上級万能薬の小瓶に手を伸ばした。
下賤な冒険者? しかも……アリスに渡した上級万能薬を渡せ? 一体、コイツは何を言ってるんだ?
「何のつもりだ? コレを飲めばアリスにかかった呪詛を祓えるかもしれないんだぞ?」
俺がそう言うと、男は見下すような笑みを浮かべた。
「イレーネ様やアリス様が口にされる物は、安全性を確認する必要がある。いちいち説明せねば、わからんのか?」
む……イラッとはするが、言っていることはわからなくも無いな。そう言えばアリスは族長の娘で、次期族長候補でもあるんだ。王国で言えば、マーカス王子と同じ立場なんだもんな。飲み物、食べ物の毒味をする必要はあるってことか。言い方は腹立つけど。
「ロレンツ。アルフレッド様とアスカ様はガリシアの恩人であり、大事なお客様です。失礼な物言いは控えなさい」
睨みあうロレンツと呼ばれた目つきの悪い男と俺との間に、フリーデが割って入った。
「はっ。失礼いたしました、フリーデ様」
フリーデの言葉にすぐ謝罪して頭を下げるロレンツ。でもコイツ……フリーデに謝ってるんだよなぁ、俺達にじゃなくて。
「ですが、この二人は王国の人間です。アリス様に万が一の事があってはなりません。アリス様がそのクスリを飲まれるのは見過ごせませんね」
王国で言えば王妹の立場であるフリーデに対しても、ロレンツは頑なに態度を崩さない。ここまでいくと、アリスに上級万能薬を飲ませたくないのでは……と勘ぐってしまうな。
「何よそれ。あたしが毒でも盛ってるって言いたいわけ?」
アスカがロレンツを睨みつける。
「念のためだ。いくら今は友好国とは言え、過去にガリシアと王国との間で諍いが無かったわけでは無い。混乱に乗じて王国がガリシアにちょっかいを出して来ないと誰が言いきれる?」
「あんたねぇっ! 人が親切でやってんのに!」
アスカは怒り心頭な様子だ。当然だよな。アスカは純粋にアリスのためを思って貴重な万能薬を提供したのだから。
「なら、安全性が確かめられれば良いってことだよな?」
俺はアリスが持っていた小瓶をヒョイと取り上げて、栓を開けて少量を口に含む。
「ほら。これで、毒なんて入ってないってわかっただろ?」
「むっ……」
ロレンツが無言で俺を睨みつける。
毒味で安全性は確かめられたよな? まだ言うことある?
「アリス、俺達が央人だとか、王国出身だとか、思うところもあるかもしれないけど、俺達は純粋にアリスの呪いが解ければいいなと思ってるだけだ。飲む飲まないも君に任せるよ」
そう言って、小瓶を再びアリスに手渡す。アリスは小刻みに震える手で、小瓶を受け取った。そして栓の空いた小瓶を口元に近づけて、食い入るように凝視する。
「………あ、アルさんと……か、間接キス……なのです……」
「………………はぁ?」
アリスの小声の呟きに、一同がぽかんと口を開けて唖然としてしまう。毒だ、解呪だと言い争い、緊迫した雰囲気は一瞬で霧散してしまった。
今、なんて言った? お前の呪いがどうなるかっていう、大事な局面なんだけど……。
「チッ……。この一級フラグ建築士がっ……」
アスカ? なんか、ロレンツに向けて言った言葉よりも、怒りがこもっているような気がするんだけど? だいたいなんだよ、その加護。聞いたことも無いんだけど。
「い、いただきます、なのです」
頬を真っ赤に染めて上級万能薬の小瓶に口をつけるアリス。いや、なんだよ、アスカもイレーネも、そんなジトっとした目でこっち見んな。俺が何をしたって言うんだ。
「あっ……」
一気に飲み干した直後に、アリスの身体から眩い光が溢れ出す。数瞬の間、青緑色の光がゲルの中を照らし、淡い残滓を残しつつ消えていった。
「アスカ?」
「ん……あ、あれ……?」
片目を瞑り、眼帯を通してアリスを見たアスカが眉を寄せる。
「……ダメ、だったみたい……」
「えっ……でも、今、魔法薬は確かに効果を発揮してたみたいに……!」
イレーネが縋るような目で、アスカとアリスに問いかける。アスカはただ黙ってゆっくりと首を横に振った。
「………【錬炉】」
アリスは両手を前に突きだして鍛冶師のスキルを発動する。だが、先ほどと同様に歪な空間が生じ、一瞬で消失してしまった。『封印』は上級万能薬をもってしても、解かれなかったようだ。
「そ、それ見たことか! 央人が持ち込んだ薬など、効くわけが無いのだ!」
ロレンツが勝ち誇った顔で言い放つ。
「……止めてください、ロレンツ。アスカさん、アルさん、ごめんなさいなのです。貴重な霊薬を無駄にしてしまったのです」
「アリス様、頭を下げる必要などありません。だいたい上級万能薬などと言う大それた物を、冒険者風情が持っているわけが無いのです! この者らは我々を謀っただけなのですよ!」
「ロレンツ! やめなさい!」
なおも続けるロレンツを、フリーデが一喝する。さすがにロレンツは口をつぐんだ。それでも俺達を嘲るような目で見てるあたりは、捻くれ具合も筋金入りの様だ。
「話は逸れてしまいましたが、食糧輸送の件、あらためて御礼申し上げます。レリダ奪還作戦の件も、よろしくお願いします」
フリーデは、そんなロレンツを見てため息を吐きつつ、俺達へ感謝を述べて場を締めくくった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……そっか、テレーゼちゃんとの婚約を拒否すると、クレアちゃんに迷惑がかかっちゃうかもしれなかったんだ……」
その日の夜、難民キャンプの端にテントを立てた俺達は、いつも通り薪ストーブで夕食を作り、二人で夕食を摂っていた。ずっと刺々しかったアスカだが、マーカス王子の求婚はブラフであったこと(王子本人の思いは知らないが)、クレアの嘘がバレていたことなどを丁寧に説明すると、態度を軟化させた。
「元々、親衛隊に誘われた時に俺がはっきりと断らなかったのがいけなかったんだ。クレアには迷惑をかけてしまったな」
あの時の陛下は、ボビーを通して上級万能薬を献上した俺達に、褒美を与えようとしてくれただけだったのだ。旅をするから親衛隊にはなれないと言えばいいだけの話だったのに、俺がはっきりしないからこんな事態になってしまったんだ。我ながら情けなくなるな。
「……でもさ、アルが実家を継いでテレーゼちゃんと結婚したら、クレアちゃんともってことにもなるよね……。それなら……」
アスカが寂しそうに言う。
「……旅が終わった後のことは、終わった後に考えるさ。今はウェイクリング家に戻るつもりなんて全く無い。それよりも、今日のアイツ……ロレンツのことなんだけど」
「あ、うん。気になったよね。でも、あの人は違うみたい」
「……魔人族では、ない?」
「うん。あたしのステータス鑑定で見る限りはね」
そうか……。アリスが上級万能薬を飲むことをずいぶんと嫌がっている様だったから、もしかしたらアザゼルの時みたいに土人族に化けて潜り込んでいるのかもしれないと思ったんだが、違ったか。
単純に、アリスの身を案じてのことだったってわけか? あの腹の立つ態度から考えても、差別主義者で捻くれた価値観の持ち主だってことは間違いないけど。
「そうか……。なあ、なんでアリスの呪いは解けなかったんだろう?」
一角獣の螺旋角に、珪化木・湖蓮花・薬草・魔茸などを材料に、アスカが作った上級万能薬は、マーカス王子にかけられた呪いを祓い、Sランクの不死の合成獣でさえ一発で昇天させた王家お墨付きの逸品だ。なぜ、アリスの呪いは解呪できなかったんだ?
「わかんない……」
「そっか」
アスカがわからないなら、今はどうしようもないか。アリスは似たような過去を持つだけに、共感を覚えてたから手助けが出来ればと思ってたんだけど……。
まあ、仕方がない。まずは1週間後の奪還作戦だ。それまでは、どうしようかな。今だ修得に至っていない【暗殺者】の加護を鍛える……かな?




