第218話 封印
土人族は央人族に比べて女性比率が著しく低い。央人族の男女比率は半々だが、土人族は凡そ5対1程度らしい。そのためか土人族は母方の血筋によって血縁集団を形成する。簡単に言えば、財産や家督を長女が引き継いでいくのだ。
ガリシア氏族も同様に、本家の長女がその財産と家督を引き継いでいく。ただしガリシア氏族の場合は、継承にもう一つ必須条件があった。それは【採掘師】、【鍛冶師】、【錬金術師】のいずれかの加護を持っている事だ。
5年前、アリスが15歳の誕生日を迎えた日、ガリシア氏族の館は歓喜に沸いた。先代族長のルイーズの娘であるアリスが【鍛冶師】の加護を授かったからだ。
族長のジオットも、アリスが土人族限定の加護である鍛冶職を授かったことを心から喜んだ。アリスが幼少のころに病死した先代族長ルイーズから、暫定的に族長の座を引き継いでいたが、これでようやく肩の荷が下りる。族長の座を退き、成年間もない娘の補佐に回ろう。
そう思ったジオットは、己の鍛冶技術と知識の全てを伝授するために、娘アリスに教育と訓練を施そうとした。だが……
「アリスは【鍛冶師】の加護を授かったのですが、スキルが使えなかったのです……」
悄然とした面持ちでアリスが呟く。加護を授かったのにスキルが使えない……? そんな事が有り得るのか?
「発動はするのです……でも……」
「……効果がない?」
アリスの言葉を、アスカが引き継ぐ。アリスはこくんと頷いた。
「ええと……イレーネ、スキルを見せてもらってもいいです?」
「え? いいけど……。じゃあ……アルさん、その革鎧を使わせてもらってもいいですか?」
「これを? 構わないけど……」
「大丈夫です。これでもそこそこ優秀な鍛冶師なんですよ、私。損はさせませんから。それにその革鎧、だいぶ傷んでるみたいですから手入れした方が良いです。良い魔物素材があれば、合成もしちゃいますよ」
「えっ!? いいの!? じゃ、じゃあコレとコレなんてどう?」
話の流れでイレーネが鍛冶師のスキルを見せてくれることになり、アスカが魔法袋から次々と素材を取り出した。地竜の皮と鱗、そして魔石をテーブルに並べる。
「わぁ。地竜素材ですか! なかなか強力な個体の素材みたいですね」
「うん! ラッキーだね、アル! ちょうど防具を新調したいねって話してたんだ!」
「あ、ああ……」
ついさっきまで喧嘩腰だった事を忘れてしまったのか嬉しそうに笑顔を浮かべるアスカ。よしよし、そのまま忘れといてくれ。
そんな事を考えながら、俺は革鎧を外してテーブルに置いた。
「へぇー。ワイルドバイソンの革鎧かぁ。良い造りですね……って、あれ、ヘルマン?」
イレーネが革鎧に刻まれた製作者の刻印を見て、声を出した。
「ん? セントルイスの西の端にあるオークヴィルって町の武具屋で買った物なんだけど」
「そうなんですか。父様の弟子に同じ名前の人がいたので……。えっと、じゃあこの革鎧をベースに、地竜の皮の強度と、鱗の耐性を付与するって感じで良いですか?」
「うん! 剛性強化と地属性耐性付与ってことだよね!?」
「はい、アスカさん詳しいですね。えっと、じゃあ始めますね」
そう言うとイレーネは立ち上がって両手を突き出した。イレーネの身体全体に魔力が滑らかに流れ出す。
「【錬炉】」
イレーネの呟きと共に、何もない空間に球状の歪みが生じた。何と表現すれば良いだろうか……無色透明なのだが、水の表面のように物が曲がって見える球体の空間が出現したと言うか……。
「お借りしますね」
そう言うとイレーネは、その歪んだ空間に俺の革鎧をねじ込んだ。不思議な事にその空間の中で俺の革鎧がふわっと浮かび上がる。続けてイレーネは地竜の素材を次々と空間の中に放り込んでいく。
「いきます……【精錬】……【付与】!」
スキルの発動と共に、皮・鱗・魔石から、それぞれの素材の色の光球が浮かび上がる。黄土色、鳶色、そして金糸雀色の光球が音も無く革鎧に吸い込まれて行き……三色の光が入り混じった色で革鎧全体が明滅する。
「ふうっ……完成……です」
そう言ってイレーネが空中に浮いた鎧の下に両手を伸ばす。空間の歪みがふっと消失し、落下した革鎧を伸ばした両手で受け止めた。革鎧とともに浮かんでいた革や鱗などの素材は、そのまま落下して床に転がる。
「だ、大丈夫か!?」
イレーネは全身にぐっしょりと脂汗をかき、荒く肩呼吸をしていた。顔色も真っ青で、今にも倒れてしまいそうだ。とっさに椅子を持っていくと、イレーネは沈みこむように腰を下ろした。
「まだ……まだ、ですね。素材の、品質を、読み違えました。魔石から、魔力を抽出、したのに、こんなに、魔力を消費、するなんて……」
「イレーネ、そんな事はありません。見事な精錬と付与でした」
フリーデがイレーネから鎧を受け取り、俺に手渡しながら微笑んだ。受け取った革鎧の表面には鱗状の紋様が刻まれ、まるで新品の様な艶と張りを取り戻していた。
「これは……魔力を帯びてるのか?」
魔術師の加護を修得したからなのだろうか。なんとなくだが、革鎧が僅かに帯びる魔力を感じ取ることが出来た。
「はい。地竜の皮の特性を付与し、硬化処理と靭性強化を施しました。それと、鱗の特性を利用して地属性の耐性強化を付与してあります。魔力を注げば、その硬性と属性耐性はさらに強化されますよ」
「す、すごいな」
「地竜の鱗鎧ってとこかな?」
話の流れで、すごい防具が手に入ってしまったな。これは……タダでもらうわけにはいかないな……。
「うっわー。消費した素材ってこんな感じになるんだねー」
アスカが落下した皮や鱗を拾い上げて、驚きの声を上げる。皮と鱗は見るからに萎びて色褪せていて、魔石にいたっては光を失い灰色の石へと変わり果てていた。
「さすがイレーネなのです。やっぱりガリシアの後継者は、イレーネしか考えられないのです」
アリスが力無く微笑んで、そう言った。イレーネはそんなアリスに、切なそうな曇った表情を向ける。
「お姉ちゃん……」
「見ててください、なのです」
そう言ってアリスは両手を前に突き出す。
「【錬炉】」
アリスの前の空間にぐにゃりと歪みが生じる。しかしその歪みは球状には程遠い、歪な楕円形。しかもその空間は一瞬で消失してしまった。
「アリスも、錬炉も精錬も、付与も発動だけは出来るのです。でも効果が全く無いし、すぐに消えてしまうのです」
アリスの言葉に誰も答えることが出来ず、沈黙の帳が下りる。数十秒後、その沈黙を破ったのはアスカだった。
「もしかして『封印』……?」
そう言うとアスカは、魔法袋からハート形の眼帯を取り出して頭に巻き付けた。赤い水晶が真ん中にはめ込まれた黒鉄の眼帯、漆黒と深紅の革紐で編んだ帯。相変わらずの毒々しいデザインだ。
「ん……やっぱり。スキルが封印されてる」
アスカの発言にその場にいた面々の目の色が変わる。
「ど、どういう事です!?」
「封印!?」
「そ、その眼帯は!?」
「これは『識者の片眼鏡』です。特別製のね」
俺は首元の『王家の紋章』を襟元から引き出しつつ返答する。実際はアスカの『ステータス鑑定』で何らかの状態異常を見抜いたってところだろうけど、詳細はなるべく言いたくないから誤魔化してみた。詮索すんなよ?
「んとね、アリスがスキルを使えないのは『封印』の状態異常にかかってるからみたい」
「状態異常!?」
アスカに、この場にいる全員が注目する。
「うん。睡魔とか猛毒みたいな状態異常。呪詛って言えばいいのかな……。これはたぶん……」
「闇魔法……」
思い出されるのは、マーカス王子が受けていた『衰弱』という呪詛。それをかけたのは……
「魔人族……!」
アリスとイレーネが同時に呟く。
闇魔法を操る【闇魔術師】や【闇魔道士】などの加護は稀に央人族や神人族にも現れる。だが、その出現が最も多いのは魔人族だというのが通説だ。
「思い当たる節は?」
「……ない、のです」
アリスが小声で答える。フリーデとイレーネに目を向けるが、二人とも横に首を振る。
「ま、でも、これを飲めば解決するかも?」
そう言ってアスカが魔法袋から陶器の小瓶を取り出す。もちろん、マーカス王子にかけられた呪いを祓ったアレだ。
「それは……?」
「ふふーん。アスカちゃん特製!『上級万能薬』だよ!」
「上級万能薬!!?」
「王都の要人の呪詛を祓った実績もある逸品だよ。効果は王家の折り紙付きだ」
「ほ、ほ、ほんとですか!? 譲ってください!! これがあれば、お姉ちゃんの呪いが解けるんですね!?」
イレーネが慌てふためいてアスカに詰め寄る。アリスは展開について行けず、唖然としている。フリーデも、動揺が隠せない様子だ。
「もっちろん。はい、アリス、コレ飲んでみて」
そう言ってアスカは小瓶をアリスに手渡す。貴重な霊薬だと言うのに、アスカは相変わらずの太っ腹だ。まあ、この状況で譲らないって選択肢は無いけどさ。
「スキルが使えないのは……呪い? 魔人族? こ、これを飲めば呪いが……解ける、のです……?」
「うん。この薬は、ほとんどの状態異常を治すことが出来るの。アンデッドだって一発昇天するぐらい効き目抜群なんだから!」
小瓶を受け取ったアリスの両手が小刻みに震える。可哀そうなぐらい動揺しちゃってるな……。
それは……そうか。アリスの話を聞くに、もう5年もスキルが使えずに苦しんで来たんだもんな。呪いでは無かったけど……同じように加護で苦しんで来た、俺としてはどうしても共感してしまう。
俺はアスカのおかげでその苦しみから解き放たれた。アリス……次は君の番だ。俺はアリスの震える手にそっと両手を添えて微笑みかける。
「アリス、大丈夫だ。きっと、呪いは解ける」
アリスは不安そうな目で俺の目を見上げる。そしてアスカ、イレーネへと目線を動かした。二人とも力強く首を縦に振る。
アリスは俺達の目を見て決心がついたようで、小瓶の栓に震える手を伸ばした。
「お待ちください!!」
唐突に背後から大声が響く。驚いて振り返ると、前に冒険者ギルドでアリスに難癖をつけていた目つきの悪い土人族の男が、俺達を睨みつけていた。




