第211話 茜色の髪の乙女
「……一度も魔物と遭わなかったのです」
「ああ、避けてたからな」
ここ1週間、地竜の洞窟に潜り続けたおかげで俺の【警戒】と【隠密】は修得に至っている。【潜入】は身体を薄い魔力で覆って物音や匂いが立ち難くする効果があるのだが、【隠密】はその魔力の膜を周囲に展開することが出来る。たぶん同行する4,5人ぐらいのパーティの気配なら覆い隠せるんじゃないだろうか。
ああ、そう言えばジオドリックさんがこのスキルでクレアと自分の気配を消して、盗賊達の目を逃れたってこともあったな。クレア……どうしてるかな。今ごろウルグラン山脈を越えてウェイクリング領に入っているぐらいだろうか。
「アルさん、斥候職だったのです? 剣士かと思っていたのです」
「ん、まあ、そんなとこかな」
俺達は無事にランメル鉱山の坑道口に辿り着いた。もうとっぷりと日は暮れていて、冒険者達のテントの前に焚かれた火が辺りを点々と照らしていた。
「俺達もテントを張って休もう。アリスも今日は俺達のテントに泊まりな」
「そんな……悪いのです。アリスは焚火の側で休ませてくれれば十分なのです。見張りもちゃんとやるのです」
「いや、見張りは仲間がやってくれるからいいんだ。それに俺達のテントは、そこそこ広いんだ。アリス一人ぐらい増えても迷惑じゃない」
そんな事を話しながらダミー達が寝泊まりする幌馬車に近づく。他の冒険者達は幌馬車から不自然に離れてテントを張っていた。ダミー達が離れたのか、冒険者達がエースを怖がって離れたのか、もしくはその両方かな。
「あ、お帰りなさい、アスカ姉様、アルフレッドさん。あれ? その子は……?」
ダミー達は幌馬車から張り出したタープテントの前で焚火を取り囲んでいた。エースはその奥で目を瞑って立ったまま眠っていたが、俺達に気付くとパチッと目を開けて駈け寄って来た。
子供たちに体を拭いてもらったみたいで、毛並みがピカピカだ。首筋をごしごしと撫でてやると、嬉しそうに鼻面を寄せて来る。うんうん、可愛い奴だ。
「ただいま。紹介するよ。従魔のエース、こっちの犬獣人がダミー、メルヒにクラーラだ。つい最近知り合って、一緒に行動している。こっちはアリス。鉱山で知り合ってね。一緒に難民キャンプに行くことになったんだ」
「こんばんわ、クラーラです」
「メ、メルヒです」
「……アリスなのです」
「ダミーだ。犬じゃなくて狼な? 兄貴、今度はこの子の面倒を見ることにしたのか?」
ダミーがニヤニヤ笑いながら言った。なんだよ、その生暖かい目は。
「明日の朝に難民キャンプまで送るだけだよ。言っておくけどアリスはお前ら3人よりもはるかに強い戦士だからな? 俺が面倒見るなんておこがましいよ」
「え、そうなん? でも、その槌、ごっついもんな。それ振り回せるなら、そりゃ強いよな……」
そう、アリスは強い。【鍛冶師】という生産職加護を授かっているのにもかかわらずだ。
剣士や槍使いなどの戦闘職であれば力や体力に高い補正がつくが、生産職は戦闘職に比べると補正が低い。それでもあれだけの動きが出来るってことは、アリスのレベルはかなり高いのだろう。
「それより、明日からは別行動になる。エースも連れて行くからな。冒険者ギルドの出張員が目を光らせてるみたいだからイザコザはそう起きないとは思うけど、盗賊や魔物が出るかもしれないから十分に注意するんだぞ?」
「そっか。明日からは夜の見張りも交代でやらないとな」
はっとした様子でダミーが言った。今回は転移石を見つけられなかったから、またランメル鉱山には来ることになるだろうけど、いつまでも一緒にいられないからね。
「あ、これから風呂にするけど、お前たちも入るか?」
「んー、今日はもう身体を拭いちゃったから私はいいです」
クラーラが残念そうに言った。入りたいなら入ればいいのに。
ああ、アリスに気遣ったのか。暗い顔……してるもんな……。
「お風呂……です?」
うん。外で、しかもダンジョンのそばで風呂なんて何の冗談だって思うよな普通は。でも、ウチにはアスカ様がいるからね。普通じゃないんだよ。
普段ならもう遅い時間だからお湯で身体を拭くぐらいにしておくんだけど、さっきアスカがこっそり『今日は絶対にアリスを風呂に入れる』と言ってきたのだ。
アリス……泥土で全身薄汚れているし、正直……匂うからね……。長期間、鉱山に籠っていたんだからしょうがないけど。アスカはアリスを綺麗にしてあげたいんだろう。
「ああ。まあ、楽しみにしてな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、急いでテントを立てる。二本の鉄製の支柱を立てて、上から天幕を張った三角柱状の単純な物だ。王家騎士団の払い下げ品なので丈夫さは折り紙付き。資材置き用にも使われていたものだそうで、4,5人は余裕で休めるぐらいの広さがある。
俺は猫足の浴槽に【静水】と【火球】でお湯を張る。今日は、三角テントで命の洗濯だ。タープテントよりは窮屈だが、あっちはダミー達に貸してるからしょうがない。
「す、すごいのです! 本当にお風呂なのです!」
「だろ? アスカの魔法袋のことはナイショな?」
「は、はいなのです。でもアルさんは、斥候職じゃなかったのです? 魔法使いだったのです?」
「ん、それもナイショな?」
セントルイス王家から龍の従者のお墨付きをもらってるから、もうバレても構わないんだけど、余計な面倒に巻き込まれるのは嫌だから、とりあえず口止めしておく。
「そんなこといいから! 早くお風呂入ろ!」
「あ、あ、わかったのです! アスカさん! 自分で脱げるですから、脱がさないで欲しいのです!」
「アル! 覗かない! ゲラウトヒア!」
「はいはい」
「うふふ。アリスー、お姉さんがたっぷり洗ってあげるからねー!」
「あっ、アスカさん、やめっ」
アスカ? 面倒やきすぎて、嫌われないようにな?
それと、お姉さんとか言ってるけど、たぶんアリスはアスカより年上だからな? 央人基準で考えると12,13歳ぐらいにしか見えないけど、15歳で加護を授かって、少なくとも2年は鉱山に籠ってるんだから、最低でもアスカと同い年。たぶん18か19歳ぐらいだろ。
「脱いだ服はそこに置いといてねー。着替えは貸してあげるから。あ、何それ、かっこいい!」
「これは我が家のお守りなのです」
「へぇー、いいね! あっ、この石鹸使って」
「こんな高級品を使っていいのです!? わぁ! いい匂いなのです! あわあわなのです!」
「クレイトンで買ったんだー。ハーブと薬草を練りこんでるんだって」
テントを出て出入り口を見張っていると、姦しい声が聞こえてきた。うん、楽しんでいるようでなにより。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「見て見てー! アル!」
「おっ、おぉーー」
アリスが見違えるほど可愛いらしくなっていて、思わず声が出てしまった。
日に焼けた褐色の肌の人が多い土人族にしては珍しく、肌が抜けるように白い。鉱山に潜り続けていたせいだろうか。
土汚れで灰色に見えていた髪は、円らな瞳と同じく鮮やかな夕陽色。アスカがカットしたのか、ナイフでざっくりと切り落としたような髪型から、ふんわりとした質感のショートカットに変わっていた。
ついさっきまで少女なのか少年なのか、見分けがつかなかったのが嘘のようだ。
「えへへ。アスカさんに服も貸してもらったのです」
アリスが照れ臭そうな笑顔を浮かべている。
アリスはアスカよりも10センチ以上も背が低いし線も細いので、細身のアスカの服でもブカブカだけど、土人族はダボっとした服を着ることが多いので違和感は無い。
「いいんじゃないか? 似合ってるよ、アリス」
「むっ……アル……。まさかロリコンってことは無いよね? ダメだよ、こんな幼気な女の子に欲情しちゃ」
アスカが眉をひそめて呟く。ロリコンって……少女趣味って意味だったよな?
いやいや、そういうんじゃないから。ていうか王都で散々そう言われて嫌な思いしたんだから、その扱いだけはやめてくれよ。たしかに……可愛いとは思ったけど。
抗議をこめてジトっと睨むと、何故かアスカは誇らしげな顔で笑みを浮かべていた。
アスカと風呂に入って、髪を切り、身綺麗な装いになったことで気分が紛れたのか、アリスの表情からいつの間にか強張りが解けている。
ああ、なるほどね。アリスを気遣ってたのか。レリダの事が気になっているだろうからな……。
これなら、アリスも多少は落ち着いて休めるかな? 明日は難民キャンプに行くのだから、少なくないショックを受けるだろう。せめて今日くらいは、しっかり休んでて欲しいもんな……。




