第210話 鍛冶師アリス
頭部を消し飛ばされたハイオークが崩れ落ち、少女がふわりと着地する。少女は円錐状に先端が尖った戦槌をビュンッと血振りし、肩に担いだ。
すごいな。巨大な戦槌をあの速さで振れるなんて……。血振り一つにも、この少女の実力が垣間見える。
「……全然心配する必要なかったね」
「ああ、凄いな……」
「……っ!」
呟いた声で初めて俺達に気付いたのか、少女が弾かれた様に振り返る。腰を落として戦槌を構え、こちらを睨みつける少女。
あ、そっか。【隠密】を使ってたから俺達に気付かなかったのか。気配を消して近づいて来た不審者と捉えられてもおかしくない。俺は【隠密】を解除しつつ、両手を上げて敵意は無いと意思表示した。
「驚かせて、すまない。魔物に囲まれたみたいだったから、援護が必要かと駆け付けたんだ」
「そ、そうなのです?」
若々しい張りのある声でそう答えた少女は、ほっとした顔で戦槌を下ろした。
少女……でいいんだよな?
ボロボロにすり切れた革製の上下は、元の色が分からないぐらい泥や土で汚れている。髪も適当にナイフで切り落としたみたいに不揃いでゴワゴワだ。正直言って難民キャンプで見かけた浮浪者の方が清潔に見えるぐらいだ。
ドワーフの女性は央人の少女の様な体型をしているから、別種族の俺には年齢が掴みづらい。さらに、この子の場合はあまりに薄汚れていて、少年なのか少女なのかも判断がつかないぐらいだ。声からすると女性っぽいが変声期前の少年って可能性も……。
「ごめんね、驚かせて。あたしはアスカ。こっちはアル」
「あ、アリスは、アリスなのです」
「うん、初めまして、アリス。アリスって強いのね。それって猪頭人よね? Cランクの魔物を一撃で倒すなんてスゴイね!」
「えへへ。アリスはこの辺りの魔物なら、だいたい倒せるのです。アリスは強くなったのです」
んー、この口調から察するに、この子は女の子でいいのかな?
なんて失礼な事を考えていたら、アリスの腹から『ぐうぅぅぅ』っと盛大な音が鳴った。アリスは恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「お腹が空いたのです。あ、アスカさん、アルさん、塩が余ってたら分けてもらえないです?」
「いいよー。香辛料もたくさんあるから分けてあげよっか?」
「いいのですか? 嬉しいのです! じゃあ、アリスはハイオークのお肉を分けてあげるのです。ハイオークのお肉はとってもおいしいのです。あまりいないから時々しか食べられないのです」
「え゛? あ、ありがとう……」
アリスの善意に、アスカが顔を引き攣らせた。魔物肉の料理にはだいぶ慣れたとはいえ、二足歩行の人型の魔物肉を食べるのには抵抗があるらしい。以前は兎肉すら食べるのに躊躇してたぐらいだからな……。ウェイクリング領には二足歩行の魔物は食用に適さないゴブリン種しかいなかったので、俺もちょっと抵抗感があるぐらいだしな。
おっと、食べ物の話をしていたら俺も腹が減って来た。そう言えば朝からランメル鉱山に潜って、軽食ぐらいしか食べてなかった。鉱山の中だからわからないが、たぶんもう夕方近いんじゃないか?
「なあ、アリス、この辺りに安全地帯はあるか? 俺達も食事をとりたいんだが」
このランメル鉱山には魔物が滅多に出現しない安全地帯がある。魔素が漂わないから魔物がさほど寄り付かないというだけなのだが、他の場所に比べるとかなり安全なのだそうだ。この鉱山に潜る冒険者達は、そういった安全地帯で休憩をしたり仮眠を取ったりするらしい。
潜る前に上層の地図は購入したので、上層の安全地帯は把握しているのだが、中層に潜る予定は無かったので買わなかったのだ。【警戒】で魔物が少ない場所を探せば、安全地帯も探せるだろうけど、聞いた方が早いし確実だ。
「あるです。一緒に行くです?」
「うん! 助かる!」
「はい、なのです! ハイオークを捌くのでちょっと待ってて欲しいのです」
そう言ってアリスはハイオークの解体に取り掛かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「んー! 美味しいのです! ひさしぶりにお魚を食べたのです!」
「口に合って良かったよ。お替りもあるけど、どうだ?」
「欲しいのです!」
アリスが案内してくれた安全地帯で俺たちは一緒に食事をとる事になった。ハイオークの素材だけで手いっぱいだからオークは放置すると言うので譲ってもらい、お礼に食事をご馳走することにしたのだ。
難民キャンプの食糧事情は未だ改善されていないので、捨てるぐらいなら持ち帰った方が良いだろう。そう思って3体のオークの死体を丸ごと回収したら、アリスは目を丸くして驚いていた。
一応、魔法袋に入れるフリはしたが、大量に持ち運べることについてはもう隠さないことにした。大容量の魔法袋を持っているという事にしているし、アイテムボックスの容量を隠すことよりも食糧事情の改善に少しでも協力することを優先することにしたのだ。
「それにしても……すごいね、ここ。本当に住んでるんだね……」
俺達が食事をとっている安全地帯は、なんとアリスが自ら作った拠点だった。坑道に15平方メートルほどの横穴を掘って、入り口を大岩で隠して魔物に見つからないようにしてあった。
天井高も3メートルはあるので、けっこう広く感じる。しかも魔物の皮を積み重ねたベッドやら、煙突付きの竈まで作ってあって居住性まで確保してある。
なんでまたこんな物をダンジョンの中に作ったのか疑問に思ったが、聞いて納得。アリスはなんとこのダンジョンにたった一人で2年近くも籠っているそうなのだ。
「希少金属を探してたのです。アリスは……希少金属で鍛冶をしたいのです」
「へぇー。ってことはアリスって鍛冶師なの?」
「は、はい。そうなのです……」
アリスの声は何故か尻すぼみになっていく。ついさっきまで満腹で幸せそうな顔をしていたのに、急に固い表情で俯いてしまった。
……たった一人でダンジョンに潜り続けてるんだ。何か深い事情があるかもしれないな。あまり土足で踏み込まない方が良い、そう思って口をはさむ。
「……ところで、アリスはレリダ奪還作戦には参加するのか? 俺達も協力するつもりなんだけど」
そう言うとアリスはポカンとした表情で俺を見た。
「レリダ……奪還?」
あ、そうか。アリスはこの鉱山にずっと潜り続けてるんだよな。もしかしたら、知らないのか?
「ああ。落ち着いて聞いてくれ。実は一月前ぐらいに、レリダは魔物の集団暴走で陥落したんだ……」
俺は冒険者ギルドの臨時支部でパウラから聞いた鉱山都市レリダ陥落の経緯を、アリスの顔色を窺いながら話す。語るにつれて、アリスの表情は険しく、そして真っ青になっていった。
「う、うそ……レ、レリダが……」
「……事実だ。逃げ延びた人たちはレリダの東にキャンプを張っている」
「そんな……ガ、ガリシアはいったい何を……」
アリスはわなわなと唇を震わせて、絞り出すように言った。アリスの大事な人がレリダにいたのだろう。
「突然の襲撃にガリシア兵は大打撃を受けたそうだ……」
「ジ、ジオット……族長は……?」
「……ご無事だそうだ。各地の傭兵達に声をかけて、奪還作戦を準備していると聞いたな」
するとアリスは突然立ち上がって戦槌を掴み、拠点の出口に向かって走り出そうとした。俺は慌ててアリスの腕を掴み制止する。
「落ち着け、アリス! 集団暴走が起こったのは、もう一か月も前なんだ。焦って向かっても状況は変わらない!」
「で、でも!!」
マズいな。こんな心理状態じゃ、ランメル鉱山を安全に抜けられるかもわかったもんじゃない。
俺はちらりとアスカの顔を見る。アスカは、こくんと頷いた。
「今はもう夕方だ。今から難民キャンプに向かって夜通し駆けても、着くのは真夜中になる。キャンプに向かうにしても、明日の朝にした方がいい。足の速い従魔がいるんだ。送ってやるから、俺達と一緒に行こう」
両肩に手を置き、言って聞かせる様に一言一言を区切って、ゆっくりとアリスに語り掛ける。
「わかったです……お願いするです……」
アリスはふぅーっと深く息を吐いてから、縋るような目で俺を見ながらそう言った。




