第198話 旅路
「アル―! ご飯もうすぐできるよー!」
「はーい。テント張ったらそっちに行くよ」
「りょーかーい」
夕食の準備をしてくれていたアスカに大声で返事して、俺はテント設営に取り掛かる。
テント設営とはいっても幌馬車の荷台に取りつけた庇型の革製タープを伸ばすだけだ。鉄の支柱を地面に突き立ててタープを被せ、ロープを括りつけてピンと張る。周りを敷布で覆えば、目隠しもばっちり。
「お待たせ。良い匂いだな」
「でっしょー? アスカちゃん特製、羊肉のクリームシチューだよ」
「うん、美味しそうだ。早く食べよう。お腹すいちゃったよ」
「あ、ちょっと待ってね。エースー! こっちおいでー、ご飯だよー!」
砕いた魔石を加えたフルーツミックスと乾草をアイテムボックスから取り出しながらアスカがエースを呼ぶ。取り出した桶に【静水】を注ぐと、走り寄って来たエースは嬉しそうに顔を突っ込んだ。
「よしよし、今日もよく頑張ったな。後で身体を拭いてやるからな」
「ヒヒンッ!」
「さ、あたし達も食べよ」
アスカがアイテムボックスから食器を取り出してテーブルに並べていく。俺は薪ストーブからテーブルにシチューの鍋を運んで、食器によそっていく。
「さ、めっしあがれー」
「いただきます。……うん、旨い! いいね。山鳥亭のよりも良く出来てるんじゃないか?」
「んふふー。でしょー? あ、でも、これで羊肉と羊乳は使い切っちゃたよ」
「そっか。こないだの村で分けてもらった牛乳はまだあったよな?」
「うん。まだ甕3つ分ぐらいあるよ。今度は鶏肉か豚肉でつくろっか。こないだクエストで倒したコカトリスとイヴィルボアのお肉がまるまる残ってるし」
王都クレイトンを出発して1か月半。俺達は早くも、鉱山都市レリダへの道のりの半分ほどまで到達していた。直線距離にしておおよそ7千5百キロ、街道の蛇行を考えると1万キロを超える旅路の半分ほどを、たった一カ月で走破できたのは、ひとえにエースの尋常じゃない脚力と体力のおかげだ。
単純計算でも1日当たり220~230キロほども走っているのに、エースはけろっとしている。途中で町や農村に立ち寄って物資を補給したり、冒険者ギルドで討伐クエストを受けたりして移動しない日もあったから、完全に移動にあてた日は1日250キロ以上も走っている計算になると言うのに。しかも、常に俺とアスカを背に乗せているにもかかわらずだ。
ワイルドホースなら1日あたり80キロ、軍馬でも100キロ前後の移動が限界と言われている。エースは、その2倍以上の距離をあっさりと駆け抜けてしまうのだから本当にとんでもない馬だ。
もしエースを仲間にしていなかったら、たぶん行程は半分も進んでいなかっただろう。エースを助けることが出来て本当に良かったと思う。
「ふうっ、ごちそうさん。美味しかったよ、アスカ。ありがとう」
「おそまつさまでしたー。あ、これでこないだの町で買ったパンも無くなったよ。アルが作った平焼きパンはたくさんあるから心配はいらないけど、こんど大きな町があったら立ち寄って買いだめしとこ?」
「そうだな。やっぱりパン窯で焼いたパンの方が美味しいしな。アスカのアイテムボックスを使えば焼きたてのまま保存できるから堅くもならないし」
「平焼きパンもナンみたいで美味しいけど、毎日だと飽きちゃうしねー。あー、久しぶりにお米も食べたいなー」
「ニホンでは米が主食だったんだっけ? こっちじゃ米はなかなか手に入らないからな……ジブラルタまで行けばいくらでも手に入るから、当分はガマンだな」
アスカのアイテムボックスのおかげで、旅をしていると言うのに俺達の食生活はかなり充実している。馬車に乗り切らないくらいの大量な食材を、新鮮さを保ったまま持ち運べるし、調理器具だって一通り揃っているからだ。
王都でボビーが用意してくれた食材は、堅く焼しめたパンや干し肉、干し野菜やドライフルーツなどの保存のきく食糧ばかりだった。旅の必需品の用意を頼んだので、こういった食料になるのは当然なのだけど、俺達にはアイテムボックスがある。保存なんて効かなくてもいいし、どれだけ嵩張っても問題ない。
だから俺達は旅の途中で町に立ち寄っては、商人ギルドおススメの店を訪れてパンを大量に焼いてもらい、市場で新鮮な肉や魚などの食材を買い漁った。
農村なんかではパン屋や食料品店なんて無いところがほとんどだから、ワインや銀貨を渡して石窯を開いてもらい、村人にパンを焼いてもらった。大きな丸型のパン、型に入れて焼いた四角いパン、バゲットのような細長いパンなど、地方によっていろいろな形や味があるから、食べ比べを楽しんでいる。
それに、料理の方も森番小屋から持ち出した薪ストーブが使えるから、ほとんどなんでも作ることが出来る。
普通、旅人が野宿の際に食べるものなんてスープや麦粥ぐらいなものだ。実際にチェスターと王都クレイトン間で隊商と行動を共にしていた時は、薪ストーブをアイテムボックスから取り出すわけにもいかなかったので、石を積んで作った簡易竈で調理していた。そんな竃では、干し肉や干し野菜で出汁をとったスープを作るか、串焼き肉を焙るぐらいで精一杯。雨が降ったら簡易竈なんて作れないから、干し肉と堅いパンをかじるぐらいしか出来ない。
だが、コンロとオーブンがついている俺の薪ストーブがあれば大抵の物は作れる。パイだって焼けるし、獣肉のローストだって作れる。火加減の調整だって簡単に出来るから、クリームシチューなんて手の込んだものだって作れる。
エースのおかげで時間と距離はかなり稼げているので、朝夕はアスカと一緒にゆっくりと料理を楽しむ毎日を送っている。そもそも焦って先を急ぐ旅でも無いしね。
そうそう。アスカの料理の腕はかなり上達した。まともにナイフすら使えなかったアスカだが、今やナイフを器用に使い、根菜をくるくる回して皮を剥けるようにまでなっている。
元々アスカはそれなりに料理の経験はあったらしいが、料理専用の包丁や野菜の皮を簡単に剥けるピーラーとかいう専用の道具、ボタン一つで火加減を調整できるコンロやオーブンなどを使って料理していたから、ナイフや薪を使ったことがほとんど無かったそうなのだ。ナイフや薪の扱いを覚えてからの上達はかなり早かった。
「さってとー、後片付けとエースのお世話はあたしがやっとくからアルは準備の方をヨロシク!」
「了解」
今日は街道から少し離れた川のほとりにキャンプを張っているから、近くに旅人の姿は無い。こういう誰の目も無い時には、アスカがいつも楽しみにしている、ある事をするのが約束だ。
俺は後片付けをアスカに任せて、先ほど張ったばかりのテントに向かった。目隠しの敷布で周りを覆ったタープテントの中には、大きな陶器の桶が置いてある。
王都にいた時に窯元に依頼して作ってもらった大きな陶器の桶に、バルジーニにもらったメタルクラブの鉄甲殻を削って作った猫脚を取り付けた、金貨1枚の特注品『猫脚のバスタブ』だ。
貴重な特殊魔物素材を武具ではなく猫脚に使うなんてとんでもないと思ったが、鉄と違って絶対に錆びないから水回りにはぴったりなんだとか。錆びない素材として白銀のインゴットかメタルクラブの鉄甲殻のどちらかを使うというから、鉄甲殻を選ばざるを得なかった。
そもそもバスタブに猫脚なんて不要だと思うのだが、猫脚のバスタブでお風呂に入る事がアスカの『ハタチまでに叶えたかった10個の夢のうち一つ』なんだそうだ。そういう事なら、まあしょうがない。
「【静水】!」
かなりの魔力を注いで大量の水を捻りだす。猫脚のバスタブの大きさは、縦1.2メートル・横1.7メートル・高さ0.7メートル。優に200リットルの水が入るのだ。
本来、【静水】はちょっとした木桶や水差しに水を注ぐ生活魔法で、こんなに大量の水を作る魔法じゃないので、まぁまぁしんどい。魔力は有り余ってるから別にいいけど。
「【火球】!」
続いて水を溜めたバスタブに火球を放り込む。攻撃をする時と違って、火球をゆっくりと着水させて水に沈める。
決闘士武闘会でルトガーに教えてもらった――というか盗んだ――スキルのコントロール方法は、こんなところで活きてきた。
【魔力撃】を剣に留めることが出来るなら、他のスキルや魔法でも同じことが出来るのではないかと思いつき、物は試しにとやってみたらいとも簡単に火球を空中に留められた。あの技術は、大抵のスキルや魔法に生かすことが出来るのだ。
アスカ曰く、『溜め』と『威力調整』は魔法やスキルの基本技能なんだとか。そういう事は早く教えてよと言ったら、元から『威力調整』はしてたから知ってると思っていたとか……。くそぅ。
それはともかく、バスタブに溜めた水は沈んだ火球であっというまに熱いお湯になる。後は【静水】で湯温を調整すれば風呂準備は完了。
なんか食事といいお風呂といい、かなり贅沢な旅だよなぁ。
「アスカー。お風呂できたよー」
新章スタートです。
よろしくお願いします。




