第2話 JK
「ようこそ、始まりの森へ」
俺は転移してきた少女に、丁寧に声をかけた。何事も最初の印象が肝心だ。転移陣を使う人は、だいたいが貴族や豪商の関係者、もしくは熟練の冒険者だ。不興を買って面倒事になるのは出来るだけ避けたい。
この子の着ている服は、変わった意匠だけど仕立てはしっかりしていて高級そうだ。何重ものひだのついた短いスカートに、フリルの無い男性用のような白いシャツ。首元にはワインレッドのリボンをつけ、シンプルな紺色のジャケットを羽織っている。
こんな奇抜な服を着る貴族はいないだろうから、たぶん商家の関係者かなんかだろう。護衛がどこにもいないのが気になるけど…。
「……あれ? ここは……始まりの森?」
少女は周囲をきょろきょろ見回しながらつぶやいた。
「おっかしーなぁ。エウレカでセーブしなかったっけ?」
セーブ? エウレカ? エウレカって帝国の魔法都市じゃなかったか? ずいぶん遠くから来たんだな。
「んー、まいっか。戻れば。『龍脈の腕輪』!」
少女が空に向かって右手を上げて、声を張った。呪文のようにも聞こえたが、何かが起こる気配はない。右手を天に掲げたポーズで静止したままだ。
「あ、あれ? 腕輪が出ない? バグ?」
少女が不思議そうに自分の右手を触る。さっきから何をやってるんだこの子?
「ん? なんで制服着てんのあたし。こんなアバター、買ったっけ? ていうかウチの制服じゃん! どうなってんのこれ!?」
少女が慌てて自分の着ている服を触ったり引っ張ったりしている。ただでさえ短めのスカートを引っ張り上げるので、健康的な太ももが露わになる。
うーん、目のやり場に困るな。眼福、眼福。
「なんなの、これぇ!! えっと、えっと、メニュー!」
すると少女の目の前に、透明な石板のようなものが唐突に出現する。
「おぉっ!」
見たことも無い魔法に思わず声を上げてしまった。土魔法? いや、土魔法で透明な石板なんか出せないか。なんだこの魔法。見たことも聞いたことも無いぞ。
「ん……?」
少女は声に気付きチラッと俺を見るが、すぐに視線を透明な石板に移した。そう言えばこの子、最初から俺のことを気に留めてもいない。
まあしょうがない。森番の俺なんて路傍の石にしか見えないのだろう。貴族や金持ちが横柄なのは、いつものことだ。
「ステータス」
少女の前に透明な石板がもう一枚現れた。石板は縦30センチ、横20センチぐらいの大きさで、材質はガラス……だろうか。あんなに透明度の高いガラスは見たことも無いけど。
「えっ……なにこれ……実名? なんで実名登録されてんの? レベル1!? うっそ、データ飛んだ!? どんだけやりこんだと思ってんの!? はぁ? ジョブがJK!? しかも固定? どうなってんの、これぇ!?」
少女が石板を触ったり突いたりしている。どうやらとても焦ってるみたいだ。
「やっぱりバグ? データ上書きされちゃったかなぁ? はぁ……バックアップ取ったのいつだったっけ。ん……あれ? オプションメニューが無い? オプション! えっウィンドウも出てこない……。もう! アプリキルも出来ないじゃん!」
いらだった顔で石板を触り、ぶつぶつと独り言を言う少女。何をやってるのかわからないけど、出来れば関わりあいたくないな。森番の役目があるから、そういうわけにもいかないんだけど。
「神経に負担がかかるっていうから無理に接続切りたくないのに! ああ、もう!! 強制終了!!」
少女が大声を出す。強制終了? 魔法か? 何も起こらないみたいだけど……。
「え……シャットダウンしない? ちょっと待ってよ……。ええと、こういう時は……キーボード!」
少女の手元にまた新しく透明な石板が現われる。少女はその石板をまるでピアノを弾くように指先で叩いた。
「えぇ……これもダメなの?」
だんだん顔が青くなってきてないか? かなり困っているみたいだ。しょうがない、声をかけるか。
「あの……何かお困りですか?」
森番は転移してきた人に出来るだけ協力しなきゃいけない。俺なんかが役に立てるとは思えないけど。
「あ……なぜかオプションメニューが無くて……シャットダウンも出来なくて……」
うーん、何を言ってるんだか全く分からない。さっき魔法都市から来たとか言ってたよな? もしかしてアストゥリア帝国が開発した魔道具のことなんだろうか?
「オプション? シャトダ? なんですかそれ? その石板みたいなのも魔道具なんですか?」
「いや、だから、メインメニューにオプションが表示されてなくて強制終了も……って、あれ?」
ふと何かに気付いたように俺の顔をマジマジと眺める少女。俺もなんとなく彼女の顔を眺める。
ぱっちりとした勝気そうなアンバーの瞳。肩まで伸びた髪は艶やかな黒。両方ともこの辺りじゃあまり見かけない色だな。奇抜な服に気を取られていたけど、かなり可愛らしい子だ。
あ、やべ。まじまじと顔を見つめられると緊張する。顔が赤くなってるかもな。
「……なんで普通に喋れるの? このメニューウィンドウが見えるの?」
普通に喋れる? 当たり前だろ。もしかして森番は言葉も知らないとでも思ってるのか?
「メニュー……なんですか? その透明な石板の事ですか?」
「今、メニューって言ったよね? このゲームに、そんなメタ発言するNPCはいなかったと思うんだけど……」
「ゲーム? メタ……??」
いや、だめだ。ほんと何言ってるのかわかんない。
「……なんかずいぶん綺麗な顔してるね」
「へ?? 綺麗? そ、そうかな?」
突然、褒められてドキドキする。俺にもついに春がやって来たのか?
「いや、そうじゃなくて。解像度こんなに高かったっけ? 腕にも毛があるし、服のシワも汚れもこんなに細かく……」
うん、そうだよね。俺の春はやっぱり来ないみたいだ。
でも腕毛を処理する男なんて、いるのか? 確かに今日は町から歩いて来たから、服や靴は多少汚れてはいるけど……。
転移陣を使うのは偉い人が多いから、それなりに清潔にしてるつもりなんだけどな。ダリオとかカルロなんて、もっと汚かったし臭かったぞ? あいつらはきっと、ろくに身体も拭いてないし洗濯もしていない。
「よく見たら、草も木もホントにリアル……それに、土と植物の臭いに……風も吹いてる……」
「え……ええと……」
やっぱり話が通じないな。土と緑の臭いに風? 森の中なんだから当たり前じゃないか。
「あぁ、これ夢か。そっかそっか、そうだよね! WOTはこんなにリアルなグラフィックじゃないしね。風とか臭いまで再現できるはず無いし。そりゃぁ強制終了も出来ないはずだよ。なーんだ、焦って損しちゃった」
興奮した様子でまくし立てる少女。一転して表情は朗らかな笑顔だ。
「えっと、大丈夫ですか?」
特に頭が。情緒不安定はなはだしくないか?
「あ、ああ、ゴメンゴメン。テスト前だからゲーム禁止にしててさー。夢でまでゲームしちゃうなんて、ほんっとイタいよねーあたし。あははは」
「ゲーム??」
「あーこっちの話。気にしないでー。んーでもどうやったら目が覚めるんだろ。こっちで寝て起きれば目が覚めるかなぁ」
うん。やっぱり、何を言ってるんだかわかんないや、この子。関わりあいにならない方が良さそうだな。
……かわいいけど。
「えっと、チェスターの町なら、森を出て北に10キロほど歩いたところです。道に沿ってまっすぐ行けば、迷われることはないと思います。何かご用事がありましたら、森番小屋までお越しください。それでは、良い旅を」
いつも通り淡々と森番の役目をこなして町に送り出そう。俺は決まり文句を早口でしゃべり、踵を返す。魔法使いみたいだし町にも難なく辿りつけるだろう。余計な面倒を背負い込む前に、とっとと小屋に戻ることにしよう。
「あ、ちょっと待ってよ! すこしお話しよ!」
少女が駆け寄って俺の腕をつかんだ。
「すみません。森番の仕事がありますので」
美少女が寄って来るなんて普段なら大歓迎なんだけど、今は一刻も早く立ち去りたい。
「森小屋の管理人さんなんでしょー? だったら転移してきた人の世話をするのもお仕事なんじゃないのー? ね、ね?」
ダメか……。これは逃げられなさそうだ。
「は、はい。そうですね」
無理やり笑顔を作ったけど、ひきつってるんだろうな。
「もーそんな困った顔しないでよー! ねえねえ、ここはセントルイス王国の始まりの森だよね? 『ワールド・オブ・テラ』の!」
「ワールドオブ? ええと……ここはセントルイス王国ウェイクリング伯爵領にある始まりの森です」
「すっごーい! WOTで人と会話が出来るなんて! AIだとこうはいかないもんねー」
「は、はぁ。エーアイさん、ですか?」
「あーAIって人工知能のことね。ゲストキャラとかならともかくNPCは2,3パターンしかセリフ無いのが普通だから。テラで会話を楽しめるってホント新鮮!」
「は、はぁ」
「あーごめんねー。テラの人って設定だと、あたしの言ってることわかんないよねー」
「そ、そうですね」
すごい勢いだな。相変わらず何言ってるんだか全くわからないけど。
「ねねね。お兄さん、チェスターに連れてってくれない? この美麗グラフィックで、町を見てみたいの」
「すみません。お連れしたいのはやまやまなんですが、私では聖域の外の魔物に太刀打ちできません。この辺りの魔物は戦闘系の加護持ちの方にとってはさほど強くないそうですので、お一人でもチェスターまでは難なく行けると思いますよ」
「そっかぁ、見てみたかったんだけどな。あたしもレベル1になってるし、戦える加護でも無いみたいだから、町に行くのは無理そうだし……」
「え? 魔法使いじゃないんですか?」
目の前に浮かんでる透明な石板みたいなのは魔法じゃないのか? 特殊な加護のスキルなんだろうか。
「【JK】の加護だってさー。意味わかんないよね。あ、あたしはアスカ。三谷アスカ。アスカって呼んでいいよ。あと、敬語はいらないよ。あたしも敬語使うの苦手だし、なんか距離感じちゃうもん」
ジェーケー? 聞いたことも無い加護だな。森番みたいな特殊な加護なのかな。さっきの魔法を見る限りハズレ加護じゃ無さそうだけど。
「あ、どうも。じゃあ敬語はやめさせてもらうよ。俺は……」
「あ、だいじょうぶそう。ええと……」
そう言ってアスカという少女は透明な石板をいじり出した。
「アルフレッド・ウェイクリング、【森番】の加護ね」
「へ? もしかして鑑定のスキル?」
「んーただのメニューウィンドウなんだけど、まあ魔道具みたいなもんかな」
すごいな。そんな魔道具があるんだ。
「ね、立ち話もなんだしさ、小屋にお邪魔させてくれない?」
アスカが嫌味の無い笑顔でそう言った。
まぁ、しょうがないか。今から町に向かっても途中で日が暮れてしまう。そもそも戦えないと言っているのだから、町に行く方法も無い。今日はアスカを小屋に泊めることになりそうだ。