第188話 アザゼル
パチパチパチ……
背後から乾いた音が聞こえて振り返ると、そこには手を打ち鳴らすアザゼルがいた。その後ろには、鐘塔から俺達を見下ろす4人の灰色ローブの姿も見える。
「すごいじゃないか! まさかオイラの力作がやられちゃうとは思わなかったよ」
細面の魔人族はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら言った。
「……次はお前らってことか?」
Sランクの魔物の次は、コイツらが相手か……。
キマイラもかなり手強い格上の魔物だったが、それでも相手は一匹だった。今度の相手は5人の魔人族。チェスターでまるで歯が立たなかったあの魔人族が5人だ。
こっちはアスカを含めて5人。B級決闘士『舞姫エルサ』とA級決闘士『重剣ルトガー』、それにA級決闘士でありながらA級冒険者である『拳聖ヘンリー』までいるんだ。なんとか戦えるか?
いや、ギルバードと共闘しても手も足も出なかった奴が5人もいるんだ。しかも『魔王』の名を冠するヤツまでいる。一筋縄ではいかないだろう。
撤退するべきところだろうけど……エースがアザゼルに闇魔法をかけられて未だ悶え苦しんでる。エースを置いていくわけにはいかないし……最悪はアスカだけでも逃がして……
「だな。じゃあ、第4ラウンド開始だ……」
アザゼルはわざとらしく肩をすぼめてニヤリと笑った。
「……ってのは冗談。言ったろ? 今日は挨拶だって」
「挨拶……?」
「ああ。オイラはこの辺で失礼するぜ」
失礼するって……退却ってことか? ここまで大暴れしておいて、さっさと退却? いったい何がやりたいんだ魔人族は!?
「待てっ! 逃げるつもりか!?」
ヘンリーさんがアザゼルに拳を向ける。
おっと、俺としては退いてくれた方が助かるんだけど、ヘンリーさんは戦うつもりか。
確かに、この場にいるのはコイツ一人。仲間の灰色ローブ達は未だ鐘塔の上にいる。
ここにいる皆で一斉に飛びかかれば、アザゼルだけは倒せそうだ。まずは一人倒して後の4人と対峙するべきか?
「逃げる……だって? あんまり調子に乗るなよ、拳聖」
次の瞬間、アザゼルの魔力が一気に膨れ上がる。
「【束縛】」
「なっ!」
「うおっ!!」
アゼザルが無造作に手を振ると、地面から蛇のようにうねる惣闇色の触手が出現し、俺達に纏わりついた。触手は次から次と現れては絡みつき、俺達の身体を完全に拘束し、締め付ける。
「うぐっ……!」
完全に身動きの取れなくなった俺達の前を、嘲るような笑みを浮かべてゆっくりと歩くアゼザル。ヤツはヘンリーさんの前に立つと、そっと首筋に手を這わせた。
その手には、いつの間にか怪しく黒光りする短剣が握られていた。刃先がヘンリーさんの首筋に触れ、ツーっと一筋の赤い血が流れる。
「はい、終了。身の程が分かったか、拳聖? 勘違いしないでくれよ。挨拶に来ただけだと言ってんだろ? 殺しに来たのなら、もっと手際よくやるっつーの」
「くっ……」
ヘンリーさんが悔しそうに顔をゆがめる。
「まあでも、オイラの合成獣を倒した手際は素晴らしかった。及第点といったところかな」
アザゼルが触手に拘束された俺とアスカを見てニヤリと笑う。その笑みを見て、背筋がゾクリと凍りついた。
その濁った昏い瞳には殺意も、敵意すらも浮かんでいない。それが何よりも恐ろしい。
これほどまでの闇魔法を一瞬で発動し、俺達の生殺与奪権をあっさりと手にしたと言うのに、そんなことは何でもない事と言わんばかりだ。蚊やハエを叩き潰すのに何の感情も抱かないのと同じ。俺達を殺すことなど何でもない日常の、記憶にすら残らない出来事だとでも言うように。
「じゃあな、ダンナ。いや、神の使い、アルフレッド。ああ、そっちのお嬢ちゃんもそうか。二人とも、また会えるのを、楽しみしてるよ」
そう言ってアザゼルは俺達に背を向ける。
「まっ、待てっ!」
「……何だい?」
アゼザルが足を止めて振り返る。
「その神の使いってのはいったい何なんだ!?」
思わせぶりな事ばかり言われて、何が何だかわからない。
「…………ふぅん、神を……知らない? いや、確かに嬢ちゃんは奇跡を……ならなぜ……?」
アザゼルは顎に手を当てて俺とアスカを交互に見ながらブツブツと呟く。
「なぜ俺達を殺さない!? 陛下や殿下の命を狙ってるんじゃなかったのか!? 挨拶って何のつもりなんだ!?」
「…………大聖堂」
「……なんだって?」
「ダンナの事やオイラ達の事は、央人の守護にでも聞けばいいさ」
「守護龍に……?」
「ああ。じゃあな、ダンナ。今度こそサヨナラだ。またな」
アザゼルはそう言うと後ろを向いて鐘塔の上を見上げる。そして徐に片手を頭上にかざした。
前腕につけた金色の腕輪が強く輝き、光がアザゼルを包んだかと思うと、次の瞬間にはその姿が忽然と掻き消えていた。4人の灰色ローブ達も、同時に姿を消していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アザゼル達が姿を消すのと同時に、俺達を拘束していた惣闇色の触手は溶ける様に無くなった。解放された俺達は、眉根を寄せてしばし顔を見合わせたが、何も語ることなく散開し、残ったアンデッドを黙々と片付けた。
アスカは俺と共に戦場を駆け回り、アスカの回復薬や俺の回復魔法で、重傷を負った決闘士や騎士達を次々と癒していった。それでも助からなかった命は数えきれないほど多かった。
観客席はほぼ無人だった。光属性の魔晶石と精霊石を材料に作ったと言う天龍薬をアスカは惜しげもなく使用し、助かった観客達はクレアやジオドリックさん達が避難誘導して王都に逃がしたらしい。
助からなかった者たちは、アンデッドとなり闘技場の舞台に飛び込んで、戦士たちに襲い掛かったのだろう。俺が倒したアンデッドの中にも、戦士の装いではない者達もいた気がする。
戦いが終わった後、魔物の死骸は魔石をくりぬいた後に一か所に集めて、魔法使い総出で一気に燃やした。俺も残りわずかになった魔力を絞り、その中に加わった。
闘技場の舞台の真ん中で、燃え盛る炎が下りた夜の帳に抵抗するように、空を紅と金色に染める。辺りには燃えた人と獣の脂の匂いが充満し、整然と並べられた亡骸の側で嗚咽する人々の声だけが響き渡る。
手持ちの薬を全て使い果たしたアスカも、何度も繰り返し戻しながらも後片付けに加わっていた。その表情は青を通り越して真っ白になっていたが、それでもアスカは作業を続けた。何度も宿に戻ろうと言ったが、俺も真っ青で酷い顔をしていると言われれば強くは言えなかった。
誰もがほとんど口を開かずに黙々と作業し、全ての作業が終わるとそれぞれ王都に戻っていった。俺達も楡の木亭に戻り、一緒にベッドに倒れ込んだ。
Sランクの魔物を少数で撃破せしめたという戦果はあった。陛下も殿下も怪我は負ったものの、ご無事だった。
アスカもクレアも、ユーゴーもジオドリックさんも無事だった。エースにかけられた隷属の闇魔法も無事に解けた。最悪の事態は免れたとは思う。
だが、被害は甚大だった。数えきれないほどの多くの命が一日にして奪われた。
圧倒的な力でねじ伏せられたと言うならまだ良かったかもしれない。アゼザル達はまるで遊んでいるかのように嘲笑い、俺達を蹴散らし、死を撒き散らした。
俺達は悔しさと恐ろしさから目を背けるように、抱き合って眠りについた。アスカがそこにいてくれるだけで、それだけで少しは救われる気がした。
この日、王都は、俺達は、魔人族に敗北した。




