第186話 異形の魔物
「なんだこいつは……!」
唖然とした顔で、ヘンリーさんが呟く。
3メートルは超えるだろう巨躯。兜の様な甲殻に包まれた頭部に、青灰色の体毛に覆われた胸部。鋭い棘が生えた鎌の様な形状の腕。そしてその上半身を支える、4本足の馬に似た胴体。その臀部からは蛇に似た尻尾が生えている。
そこにいたのは、まるでいくつかの魔物をバラバラにして組み合わせたかのような異形の生物だった。
「キ、キマイラ……!?」
幼少のころに絵本で読んだことがある。巨人と蛇の魔物から生まれた、山羊の胴体に獅子の頭、蛇の尻尾を持つ伝説の魔物。その火炎の吐息は山々を焼き、幾つもの都市を滅ぼしたと言う。
「フシュルルル……」
目の前にいる生物は絵本の挿絵で見た姿には似ても似つかないし、遥かに禍々しい。だが、いくつかの魔物が合わさったかのような異形という点だけは合致していた。
「惜しい。そいつは不死の合成獣。オイラの力作さ」
キマイラがゆっくりと移動し、魔人族の横に立つ。威圧感と敵意を撒き散らし、暗緑色の複眼で俺達を見下ろすキマイラ。その体躯には黒い靄が纏わりつき、その吐息は鼻が曲がりそうなほどの腐臭を放っている。
「力作……こいつは……」
なぜか既視感がある。どこかで見覚えがある。こんな異形の魔物など見たことがあるはずも無いのに。
いや……合成獣……? 戦ったことが……ある?
「そうだ。ダンナが捕まえてくれたキラーマンティスと青灰魔熊。あとはノーブルヴァイパーにウォーホース……ヘルキュニアの森にいる魔物達の屍を合成したのさ。ほんとはウォーホースの代わりに、その一角獣を使いたかったんだけどなぁ」
確かに両腕はキラーマンティス、胸部は青灰魔熊に酷似している。頭部の形状は熊に似ているが、外皮は両腕と同じく甲殻に覆われている。
「エースを狙っていたのは、そういうわけか……」
「そういうこと。今からでも遅くはないぜ。一角獣ちゃん、オイラに譲らねぇか? ダンナが従魔契約を解除すりゃあ、さすがにいう事聞くだろうからよ」
「……ふざけるな」
合成……か。
元になった魔物の大きさには差があったはず。キラーマンティスの腕はもう少し小さかったし、青灰魔熊の胴体はもっと肉厚だった気がする。
それぞれの部位の大きさが調整されたのだろう。部位そのままを単純に組み合わせただけでは無いようだ。
それぞれの魔物の特性も引き継いでいるのだろうか。だとしたら……エースが取り込まれなくて本当に良かった。
青灰魔熊の膂力と頑強さ、キラーマンティスの攻撃力。それにエースの速さまで加わったら目も当てられない。
「だよなぁ……ったく。先に殺してアンデッドにしときゃ良かったかな。ああでも、そうすると一角獣を取り戻そうと奮闘するっていう第二ラウンドが出来なかったしなぁ」
「……いったいお前たちは、何が目的なんだ? 魔人族かと思っていたが……違うのか?」
灰色ローブ達が、いったい何をしたいのかが掴めない。
こいつらが陛下や殿下を害そうとしているのはわかる。だが、それならなぜ灰色ローブ達は攻撃をして来ない?
今は善戦しているが、さっきのような攻撃魔法を使い続けられたら、いくら歴戦の決闘士や王家騎士団であっても瓦解してしまうだろう。あれだけの魔法を放てる連中が、そのことに気付いていないはずがない。それなのに、なぜか追撃してこない。
魔物使いに至っては、まるで遊んでいるような雰囲気すらある。そもそも、その圧倒的な魔力から魔人族だと思い込んでいたが、魔物使いはどう見ても央人族だ。ヴァリアハートで襲ってきたのも、魔人族じゃ無かったのか?
「あん? ああそうか。【解呪】」
魔物使いがそう呟くと、顔を薄い靄が包む。耳がじわじわと大きくなり、肌の色は濃く、逆に髪色は薄くなっていく。薄靄がフッと消えて無くなると、そこに現れたのは褐色の肌、銀色の髪の細面の男だった。
「こいつは【幻影】って闇魔法でな。感覚を誤認させ、虚像を見せる魔法なんだが、慣れればこんなことも出来んのさ」
「魔人族……!」
「ああ、それと目的だったか? 本来はあそこにいる王子を襲うのが目的なんだけどな……オイラ達は挨拶と見物に来ただけさ」
「やはり王子殿下の命が目的か」
アスカに聞いた通り、各国の指導者や戦士を襲う事が目的か……。
「いや? それは別のヤツの仕事だった。オイラ達はダンナに挨拶したかっただけさ。なあ、魔人殺しのアルフレッド?」
「っ!!」
「王子を襲うのはフラム……ダンナが殺したヤツの仕事だった。だけど、その仕事はもうどうでもいいんだ。オイラの使命でも無いしな」
「仕事……使命? 何を……言ってるんだ?」
「だから、目的は挨拶って言ってんだろ? 神の使い、魔人殺しのアルフレッド」
魔人は、芝居がかった大袈裟な身振りで頭を下げる。
「オイラの名はアザゼルだ。よろしくな」
アザゼル。その名前は聞き覚えがあった。アスカから何度か聞いた名前だ。
「魔王……アザゼル……!」
思わず漏れた呟きが聞こえたのか、アザゼルは紅い瞳を訝し気に見開いた。
「へえ、オイラの事を知ってんのかい? ふーん……ほんとにダンナでいいのかねぇ?」
「なに……?」
「いや、こっちの話さ。まあいいか、キマイラを倒せるとも思えないし。じゃあ、楽しんでくれ」
そう言ってアザゼルはニヤリと笑う。その直後、アザゼルの横で俺達を見下ろしていたキマイラが怒声を上げた。
「グォアァァァァァ!!!!」
同時に鎌の様な腕が振り下ろされる。俺は咄嗟に【跳躍】で後方へと宙がえりし、鎌の斬撃を躱す。
だがキマイラは、その巨体からは信じられない程に動きが速かった。瞬時に間合いを詰めたキマイラは、俺の着地点めがけて左腕の鎌を振り下ろす。
しまっ……! 避けきれない!!
「【爪撃】!!」
横から割り込んだヘンリーさんが掬い上げるように拳を放つ。ギャリンッと金属同士がぶつかったような音を立て、鎌の斬撃を弾き飛ばした。
「アルフレッド、下がれっ!! くっ……ぐっあぁぁぁぁっ!!」
突然、ヘンリーさんが顔を抑えて倒れ込む。ヘンリーさんの頭上では、長い尻尾の先端にある蛇頭が口を開けていた。
なっ、何があった!?
「ヘンリーさん! くそっ、【鉄壁】!」
ヘンリーさんの前に出て魔力障壁を展開。再び振り下ろされた鎌と、蛇頭が吐き出した液体を、間一髪で受け止める。
……毒!? いや、強酸か!!
魔力障壁がシュウシュウと音を立てて溶けはじめ、俺は慌てて鉄壁に魔力を注ぎ込む。その目の前でキマイラが大きく息を吸い込み、青灰色の毛で覆われた胸部が膨らんでいく。
この動きは……火喰い狼が見せた挙動に似て……ブレスか!!?
「おおおぉぉっ! 【大鉄壁】!!」
紙一重で発動が間に合った鉄壁で、ブレスを受け止める。
キマイラのブレスは火炎ではなく、いわば極光だった。魔弾を束ねて吐き出した様な、稲妻に似た黒い光の帯。
「ぐっ……うおおぉぉぉっ!!」
魔力障壁がどんどん削られていく。俺は必死で魔力を注ぎ込んで鉄壁を維持する。
ブレスが続いたのは、ほんの数秒の事だったと思う。それが何分にも、何十分にも感じられた。
ブレスの黒い光が消える。なんとか耐えきり、ヘンリーさんと俺の身は護りきれた。
だが、被害は甚大だった。咄嗟に展開した鉄壁の魔力障壁は大きく広げられず、庇えたのは俺の背後だけ。
鉄壁が届かなかった左右とその後方には、炭化した死体がいくつも折り重なっていた。人と魔物の区別もなく、一瞬で焼き尽くされたのだ。
唖然とする俺の視界に、再び息を吸い込むキマイラの姿が映る。
マズい!! あれだけは、打たせてはいけない!!
【瞬身】を発動し、無我夢中でキマイラに突っ込む。渾身の盾撃を食らわせて、ブレスを阻害する!
「グォアアァァァァァ!!!!」
想定より遥かに早く、キマイラの大口が開いてしまう。だが、吐き出されたのは大音量の咆哮だった。
背筋が震え、身体が竦む。キマイラが放ったのは、ブレスではなく【威圧】のスキル。青灰魔熊も使用した、自身よりも低レベルの者を短時間竦ませるスキルだった。
凍りついたかのように足が動かない俺の前で、ゆっくりと大きく息を吸い込むキマイラ。
くそっ……動け、動け、動け! 動け、動いてくれよ! 今動かなきゃ……
キマイラが再び大口を開き、黒い光が漏れる。
次の瞬間、天地がひっくり返ったかのような轟音と共に、世界は真っ白になった。




