第185話 アンデッド
魔物だけであればまだ良かった。虚ろな目を、昏く鈍く輝かせ、人もまた立ち上がったのだ。
ついさっきまで共に戦っていた仲間が、襲い掛かってくる。剣先を躊躇わせてしまうのは、当然だろう。
「うわぁぁぁぁっ!!」
「やめろぉっ! やめてくれっ、ルシアッ!!」
「応戦しろっ! ルシアは死んだんだ! あれはルシアじゃない! 生ける屍だ!」
「やめてくれええぇぇぇぇっ!!」
闘技場の舞台そこかしこで悲鳴と絶叫があがる。倒したはずの魔物が、魔物に殺されたはずの仲間が次々と立ち上がり、騎士や決闘士達を襲う。一時は数的有利に立てていたのに、一気に劣勢に陥った。
「グルァァァッツ!!」
「くっ!!」
背後から拳が突き出され、咄嗟に翻って盾で受け止める。襲い掛かって来たのは、首筋に咬みつかれた様な孔が穿たれた獣人族の女性。流血で全身が赤黒く染まり、その目は昏く淀んでいる。
拳士の加護を持つ決闘士だったのだろうか。両手を顔の前に構え、膝を軽く曲げて小刻みにステップを踏んでいる。
いや、こいつとは……戦ったことがある……。名前までは知らないが、確かCランクの決闘士だ……。
「ガァッッ!」
「くそっ!」
獣人族の女性が放った爪撃を盾撃で弾く。手甲を着けた腕を跳ね上げ、女性を大きく仰け反らせる。
躊躇うな! 彼女は……もう、死んでいるんだ!!
魔力を注いだ騎士剣が炎を纏う。横薙ぎに払った剣は狙いたがわず女性の首を通過。ごとりと首が落ち、身体がゆっくりと崩れ落ちる。
生ける屍は、手足を切り落としても止まる事は無い。弱点は心臓と頭部。どちらかを破壊しなければ、いつまでも彷徨い続ける。
破壊する事だけが、死者の弔いとなる。そう……実家で教わった。
「おーおー、容赦ないねぇ。同じ決闘士仲間だろ? 決闘ではトドメは刺さないんじゃなかったのか?」
「貴様……っ!」
湧き上がる怒りで目の前が真っ赤に染まる。
「熱くなるなよ、ダンナ? そんなんじゃ決闘士武闘会準優勝の実力を発揮できねえぞ?」
「だまれぇぇぇっ!!」
エースを奪うだけでなく! 死者を弄びやがって!
「ヒヒーーンッ!!」
「ぐぁっ!」
騎士剣に炎を纏わせて突進した俺に、エースの紫電の角から雷撃が放たれる。雷撃は盾を通り抜け、全身を伝う。ほんの一瞬だが、視界が真っ白になり、意識が途切れた。
「ガアッッ!!」
「うがぁっ!!」
その一瞬の意識断絶の隙を突き、飛び出したのは青灰魔熊。俺は真横からの体当たりに薙ぎ倒され、巨体に圧し掛かられた。
太い右腕で胸を抑え込まれ、身動きが取れない。目の前で青灰魔熊が大口を開け、顔に涎がぼたぼたと降りかかる。
「くっ!!」
青灰魔熊の口に盾ごと腕を突っ込み、噛みつきを受け止める。振り下ろされた左腕の鋭い爪も、なんとか騎士剣で受け止める。だが、青灰魔熊の膂力には敵わず、ぎりぎりと押し込まれてしまう。
「はん……期待外れだな」
爪が少しずつ顔に迫る。ぶるぶると騎士剣を持つ腕が震える。
ダメ……だ、おさえ……きれない……。
「【剛拳】!!」
不意に圧し掛かっていた青灰魔熊の巨体が吹き飛ぶ。圧しかかりから解放された俺は、跳ね起きて騎士剣を構えた。
「助かりました!」
危ないところを救ってくれたのは、王都での俺の師匠。冒険者ギルド王都支部ギルドマスターのヘンリーさんだった。
「……すまねえな、アルフレッド。一角獣を奪われちまった」
「ええ……ギルドもアイツらに襲われたんですか?」
「ギルドも王都も無事だ。あいつは堂々と一角獣を連れ去ったらしい」
「堂々と? いったい何が」
「アルフレッド、その話は後だ。こいつを片付けるぞ」
「あ、はい!」
青灰魔熊は二本足で立ち上がり、丸太のように太い腕を振り上げる。エースは前脚の蹄で、地面を叩いている。
「どーも、拳聖さん。お早いお着きで。あんたの到着はもう少し遅いはずだったんだけどなぁ」
「ふん……なるほど。あのニセ依頼はお前の仕業か」
「何のことかなー? それよりのんびり話してる暇はあんのかい? オイラの可愛い従魔ちゃんたちがかなり優勢みたいだぜ?」
魔物使いが嘲笑を浮かべた。
未だ絶叫が響き続ける闘技場。魔物だけでなく不死の軍勢に襲われ、騎士団や決闘士達は追い込まれている。この状況下で、鐘塔に佇む灰色ローブ達に再びさっきのような魔法攻撃を放たれたら……。
思わず背筋を冷たい汗が伝う。
だがヘンリーさんはピクリとも表情を動かさない。代わりに白銀の毛皮があしらわれた手甲の爪が、眩い光りを放ち出す。
「ふん……。陛下の盾であり剣、セントルイス最強の王家騎士団。魔物共との戦いに明け暮れ、己を鍛え上げた冒険者達。闘技場で日々技を競い合う決闘士達……。この程度の劣勢が何だと言うのだ。あまり俺達を…………舐めるな」
毅然とした、低く重い声でヘンリーさんが言い放つ。その堂々たる威圧感に、魔物使いが気圧されたように顔を引き攣らせる。
その直後、闘技場に二つの声が響き渡った。
「【大爆炎】!!」
「爆ぜろ―――劫火ノ大剣!!」
一つは凛と響く玲瓏たる美声。一つは猛々しい戦士の怒号。続いて重なる轟音。
「生ける屍の弱点は火よ! 魔法使いは火魔法の詠唱に集中して! 近接戦闘職は前へ! 魔法使い達を死守しなさい!」
「心臓を貫け! 首を落とせ! 頭を潰せぇっ! ビビってんじゃねえぞぉっ! 闘技場は俺らの戦場だろうがぁっ!!!」
「おおおおっっ!!!!」
戦士たちの怒声が闘技場に響き渡る。
エルサにルトガーだ! そうだ、あいつらが簡単に負けるわけが無い!!
「決闘士に負けるな! 火龍イグニス様に我らの武勇をお見せするぞ!!」
騎士の声はエドマンドさんか!? 王家騎士団はこの大陸最強の戦闘集団だ。例え魔物が大挙して押し寄せようと、一歩だって退くわけが無い。
「アルフレッド! 熊は俺がやる! そいつはお前が相手しろ!」
「はいっ!!」
俺も負けてられない!
火喰いの円盾に【鉄壁】の魔力を注ぎ込み、突進。同時にエースの角から紫電が放たれる。
エースの紫電は、火球や岩弾のように剣で弾けるような速さじゃない。光ったと思ったら既に紫電は盾に直撃しているのだ。
だが、鉄壁の魔力で魔法抵抗も高めている。それに、来るとわかっていれば……耐えられる! 全身に伝う雷撃に、歯をギリっと噛みしめて、意識を保つ。
「【魔弾】」
「はぁっ!!」
魔物使いがエースの背の上から放った魔弾を、一刀のもとに斬り捨てる。
こんな魔法! エルサの岩弾の方がぜんぜん早かったぞ!?
「【大跳躍】!」
両脚に魔力を注ぎ突進の勢いそのままに大地を蹴る。エースの背に跨る魔物使いのさらに上へと飛び上がる。
「【牙突】!」
「うおぉっとぉ!!」
威力よりも速さを! そうイメージした渾身の刺突だったが、後ろに倒れ込むようにしてエースの背から落ちた魔物使いには僅かに届かない。それでも、エースからは降ろすことには成功した。
「一角獣! やれっ!!」
「くっ!」
着地した直後で、鉄壁の発動は間に合わない! だが、耐えきって見せる!!
エースの雷撃に耐えようと歯を噛みしめる。しかし、雷撃は飛んでこない。それどころかエースの紫電の角はふっと消失してしまった。
「ぶるるるっ!!!」
「おいおいおいおいっ、どうなってんだよ、その馬ぁっ! 至近距離で【隷属】を発動してねえと縛れねえって、そんなのありかよっ!?」
エースがブルンブルンと苛立つように首を振る。おおっ、エース! あいつの闇魔法に抵抗してるのか!
俺は着地で崩れた体勢を整え、魔物使いに剣先を向ける。魔物使いは、ちっと舌打ちして飛び退る。同時に森狼が二体、俺と魔物使いの間に割り込んで来た。
「待たせた」
ヘンリーさんがすっと俺の隣に並ぶ。ヘンリーさんの右手の手甲が真っ赤に染まり、爪から血が滴っている。
ちらっと目を向けると、青灰魔熊は倒れ伏していた。はやっ……もう倒したのかよ、ヘンリーさん。しかもご丁寧にアンデッド化しないように頭を吹き飛ばしてるし。
「追い詰めたぞ、魔物使い。いや……闇魔法使いか。最後に名前だけでも聞いておこうか」
この男を倒せばエースを縛る魔法も解けるだろう。鐘塔で沈黙している奴らが不気味でならないが……まずはこいつを倒してアスカとクレアの安全確保を……
「追い詰めたぁ? 予定通りだっつーの」
この状況で、未だ飄々とした態度を崩さない魔物使い。
「じゃあ、第三ラウンドだ。頑張りなぁ?」
魔物使いがニヤリと笑う。
「【屍鬼創生】」
その呟きと共に、先ほどよりもどす黒い靄が魔物使いから噴きだした。より禍々しい魔力とともに、闘技場の舞台を霧のように満たしていく。
くそっ! 前が見えない!!
「【突風】!」
この声は……エルサか?
「なっ……!!」
吹き荒れる強風が収まり、黒い靄が消えた後、そこにいたのは異形の生物だった。




