第183話 灰色ローブ
まるで豪雨の様に降り注ぐ氷の矢。一つ一つが驚くほどの威力を持つ氷矢に、大鉄壁の魔力障壁が削られていく。
「ぐぅっ……おおぉぉぉ!!!!」
ヴァリアハートでの襲撃時より遥かに重い。だが、俺だってあの頃の俺じゃ無いんだ!
俺は全力で大鉄壁に魔力を注ぎ込む。火喰いの円盾から同心円状に生じた紅い魔力障壁で、氷矢の悉くを弾いていく。
「はぁっ、はぁっ……」
氷矢の雨が止み、俺は鉄壁を解除して周囲を見渡す。鉄壁の傘で護りきれたようで、側にいた陛下や王子殿下、3人の騎士とエルサ、ルトガーは無傷。
「アスカッ!」
俺は王族の貴賓席に向かって駆けだす。王族の守護? 魔人族? そんな事はどうでもいい。大事なのはアスカの安否だ!
貴賓席には交差した腕で頭を護り仁王立ちするユーゴーと、その背後で何かに覆いかぶさるジオドリックさんの姿があった。
ユーゴーは見たところ大きな怪我は負っていない。だがジオドリックさんの背には何本もの氷矢が突き刺さっている。
ジオドリックさん!? くそっ! アスカは!? クレアは!?
その直後、ジオドリックさんの身体を薄い青緑色の光が包む。あれは……光魔法【治癒】の光? アスカのアイテムメニュー、下級回復薬投与の光か!?
走りながら注視していると、黒髪の少女がジオドリックさんの身体の下から這い出して、突き刺さった氷矢を慌てた様子で抜いていった。よしっ! アスカは無事だ!
俺は闘技場舞台の周囲を囲む壁を【跳躍】で飛び越えて、アスカ達のもとに駆け込む。
「アスカッ!!」
「アルッ! ボビーさんが!!」
下からは見えなかったが、ボビーが仰向けで倒れ伏していた。その腹と大腿には氷矢が突き刺さっている。
「ボビー!!」
駆け付けた俺は、ボビーの氷矢を抜いて下級回復薬を振りかけた。腹と大腿に空いた孔がみるみるうちに塞がっていく。
意識を失い、顔色は真っ青だが、心音はあるし呼吸もしている。一命はとりとめたようだ。
「アル兄さま!」
「クレア! 無事か!?」
「はいっ。ジオドリックとユーゴーが身を呈して庇ってくれました!」
ジオドリックさんの方もアスカの治癒が間に合ったようで、よろよろと身体を起こしている。どうやら意識もあるようだ。
「そうか。ユーゴー、ありがとう。君は無事か?」
「ああ。大丈夫だ」
すごいな。あの氷矢を無傷で乗り切ったのか。盾も持っていないのに? そう言えばユーゴーの加護ってなんなんだ?
いや、今はそれどころじゃないだろ!?
あらためて周囲を見回すと、観客席は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。流血し倒れ伏す人。母の名を叫ぶ子供の声。氷矢が突き刺さり身動き一つしない人。助けを求める声。
舞台の方を見ると、アーチから続々と兵士や冒険者達が出てきて、陛下や王子殿下の周囲を固めていた。全身鎧の騎士たちが陛下達のすぐそばで大楯を構え、その周りを冒険者や決闘士達が囲んでいる。
続いて魔物使いと紅い布をつけた魔物達が現れ、その周りを取り囲んでいく。どうやら陛下達の安全は問題なさそうだ。
ゾクッ……
再び氷柱を埋め込まれたような悪寒が背筋を這う。咄嗟に空を見上げると、そこには数えきれない程の数の槍が浮かんでいた。
「うっ……み、みんな! 俺の背後に!!」
再び全力の大鉄壁を発動する。それと同時に轟音を立てて降り注ぐ、数多の岩の槍。
氷矢よりもさらに重い。だが、耐えきれない程じゃない!
「アルっ!!」
俺の身体を透明な薄い光が包み、魔力が満ちていく。アスカが魔力回復薬を使ってくれたみたいだ。俺は大鉄壁にさらに魔力を注ぎ込み、魔力障壁を強化して耐え凌ぐ。
岩槍の死の雨が止んだ時、闘技場はしんと静まり返っていた。聞こえてくるのは弱々しい呻き声ばかり。叫び声すら聞こえてこない。
死屍累々とは、まさにこの事だろう。
エルゼム闘技場は2万人の観客を収容できるという話だ。だがそんな闘技場でも、決闘士武闘会の決勝ともなると全ての席が埋まってしまい、立ち見が出るほどの超満員になっていた。
そして今、その観客席は倒れ伏す人々で埋め尽くされている。立ち続けているのは、僅かばかりの武装した冒険者や決闘士だけだ。闘技場の舞台にいる全身鎧の騎士達は大盾で身を守って耐え抜いたようだが、そこかしこに倒れ伏す冒険者や決闘士達の姿が見える。
この惨状はあの灰色ローブの仕業に違いない。いったいどこから……。
俺は鉄壁を解いて辺りを見回す。舞台・観客席と目を回し、神龍ルクス像が頂きに据えられた鐘塔に目を向けたところで、俺は絶句する。目に飛び込んできた衝撃の映像に身体が強張り、歯がカタカタと震えだした。
「そん……な……」
鐘塔の上から見下ろしていたのは、灰色のローブを纏った四つの人影。
子供のような背格好の人影。一際大きな人影。女性と思しき細身の人影。そして男性に見える人影。それぞれが圧倒的な魔力と凍りつくような殺気を放っていた。
あの魔人族が……四人も……!? な、なんてことだ……。
陛下の周りの騎士達や決闘士達もその姿に気付き始めたようで、舞台上がざわめきたつ。
「アルフレッド様、撤退しましょう。あの四人がチェスターを襲った魔人と同等とするなら、クレア様とアスカ様の身が危険です」
「あ、ああ……そう、ですね」
こんな事態でも冷静沈着なジオドリックさんの声で、俺は我を取り戻す。
魔人族を倒す。それが旅の目的だと聞いてはいた。
だけど、俺にとって何よりも優先すべきはアスカを護る事だ。俺が選択すべきなのは目の前に迫る危険から、アスカを逃すこと。
「撤退する…………ぞ?」
灰色ローブ達に注意を払いつつ、退路を確認しようと目を配る。闘技場の舞台に目を向けところで、言葉が詰まってしまう。
何かがおかしい。
捨てておけない違和感が浮かぶ。
喉に刺さった小骨のような感覚が意識を苛む。
あらためて舞台を注視する。陛下と王子殿下はご無事だ。全身鎧を纏った騎士たちも大半が無事のようだ。大盾を構えてその周囲を固め続けている。
だが、その周りに詰めている冒険者や決闘士達は、手傷を負っているものが多い。騎士と違い、冒険者や決闘士は革製や布製の軽鎧を身に着けることが多い。盾を装備していたとしても小盾ぐらいが関の山だ。突如、頭上から降り注いだ岩槍に対処できた者は少数だったのだろう。
そのさらに外側に位置する魔物使い達も甚大な被害を受けていた。ほとんどの者がうずくまるか、倒れ伏している。
しかし、その従魔たちはなぜか無傷なのだ。まるで岩槍が従魔達だけを避けて降り注いだかのように。
「あぁぁぁっ!」
闘技場に叫び声が響く。その叫び声の先にいたのは、Cランクの魔物、キラーマンティスだった。
逆三角形の頭部と鋼のように絞り込まれた胸部、ふっくらと柔らかな質感の腹部、そして六本の手足を持つ昆虫型の魔物。六本の脚のうち、二本の前脚は鎌に酷似した形状をしており、たくさんの棘が生えている。
その鋭利な鎌が女性の体を貫き、見世物のように持ち上げていた。
「リ、リンジー!?」
Cランクの魔物であるキラーマンティスの捕獲依頼を一緒に受けてくれた魔物使いギルドの女性、リンジー。その時に捕らえた個体であろうキラーマンティスが持ち上げていたのは、彼女だった。
「グラァァッッ!!!」
そのすぐ側で、呻り声をあげる青灰魔熊。ブルズと名付けられたリンジーの従魔だ。ブルズが丸太のように太い腕と鋭い爪を振り上げる。
主であるリンジーを従魔ブルズが助け出す……その期待は一瞬で裏切られた。ブルズはリンジーを、まるでハエや蚊のように叩き落としたのだ。
「なっ!? リンジー!!!」
それを皮切りに紅い布を着けた魔物達が、冒険者や決闘士達に襲い掛かる。冒険者や決闘士達も応戦するが、段々と押し込まれていく。
「くそっ! ジオドリックさん、ユーゴー! アスカ達と先に闘技場から逃げ……」
災難に次ぐ、災難。氷矢が降り注ぎ、続いて岩槍が突き立てられる。四人の魔人族と思われる灰色ローブを纏った者たちが現れ、手懐けていたはずの従魔が牙をむく。観客席には瀕死の重症者たちが横たわっている。
その災難のとどめに表れたのは、その背に灰色ローブの男を乗せた威風堂々たる白馬だった。アーチから姿を見せた白馬の額には折れた角の痕が見え、そのタテガミは紅いリボンで三つ編みにまとめられている。
「エ、エース……!!?」
そこにいたのは、俺とアスカの従魔にして仲間。一角獣のエースだった。




