第179話 最後の決闘
『三位決定戦、エルサ対テリーサ!』
決闘の開始を告げる審判員の声が闘技場に響き渡り、闘技場が割れんばかりの歓声に包まれる。観客席の盛り上がりは最高潮だ。
「おっと。話はこの辺にして観戦するか」
ルトガーと並んで、格子の間から闘技場を覗く。闘技場の舞台では短杖を構え背筋を伸ばしたエルサと槍を小脇に抱え低い姿勢で身構えるテリーサが向かい合っている。
「アルフレッド。お前の予想は?」
「そうですね。エルサが魔法使いとして戦うなら十中八九はエルサの勝ちでしょう。そちらは?」
「だいたい同じだな。エルサがお前と戦った時のように距離を取って戦えば、まず負けは無い。テリーサもそこそこ動きは速いが、身体強化が乗ったエルサには追い付けんだろう」
「だけど、エルサはきっと『舞姫』として戦う。勝負は五分五分でしょう」
「ほう?」
ルトガーは興味深げに、ちらっと俺に視線をよこす。その時、審判員の開始の掛け声と、大鐘の音が響き渡った。
鐘の音と同時にテリーサが槍を下段に構えエルサに向かって疾走する。対してエルサはその場から動かずに詠唱を開始した。
テリーサが突き出した槍が届く寸前に、薄緑色の光がエルサを包む。【風装】で速度強化に成功したエルサは、突き出された槍を紙一重で躱す。しかし槍の切っ先はエルサの腹を僅かに抉り、生成色のコルセットが朱色に滲む。
「はぁぁっ!!」
槍を一瞬で手元に引き寄せたテリーサが、連続して突きを放つ。エルサは後方に大きく跳躍して刺突を避け、短杖の尖端をテリーサに向けた。
「【火球】!」
「くうっ!!」
咄嗟に槍を引き戻して頭部を庇い、至近距離で放たれた炎の塊を籠手で弾くテリーサ。その隙にエルサはテリーサの周囲を旋回するように疾駆する。
「させないっ!」
「くっ……!」
テリーサが槍を振り回しエルサの詠唱を妨害する。エルサは顔をしかめつつ詠唱を中断し、槍の間合いギリギリに飛び退る。
「ふん……テリーサの間合いで戦う、か」
ルトガーが意外そうな顔つきでつぶやく。
エルサが開始早々にテリーサから離れつつ速度強化を施せば、テリーサは距離を詰めることも出来ず遠距離から放たれる魔法攻撃で削り切られただろう。しかしエルサは槍がギリギリ届く立ち位置に止まり、突き出される穂先を右に左に躱しながら攻撃魔法を放っている。
「エルサにとってこの闘技場で最後の決闘ですから……」
「『舞姫』として相手の得意な間合いで戦う……というわけか。なんだ、あいつ決闘士を引退するのか?」
「ええ。地元に戻るそうですよ」
遥か海の向こうの帝国から王都にまでやって来て、決闘士として名をあげ、なんとか上級万能薬を手に入れようとしたエルサ。ひょんなことから願いが叶い、彼女は妹の待つ帝国に戻るつもりだ。
エルサにとって、この戦いが闘技場での最後の決闘になる。彼女は花形決闘士にまで上り詰めた『舞姫』として闘技場の舞台で踊り、決闘士生活の集大成を魅せてくれるだろう……と、なんとなく思っていたのだ。
「そうか……。一度は闘ってみたかったんだが」
ルトガーが残念そうに、眉をひそめてそう言った。本当に戦闘中毒者なんだな、この人……。
そうこうする間に、エルサとテリーサの戦いは佳境に差し掛かっていた。エルサは闘技場の舞台を踊るように跳ねまわり、槍を躱しつつ間断なく攻撃魔法を放ち、テリーサも負けじと追いすがり刺突の連撃を放つ。
エルサの速度強化魔法をもってしても、速度上昇が付与されたブーツを身に着けたテリーサを振り切る事は出来ないようだ。エルサは身体中に手傷を負い、テリーサもまた、いたるところに火傷や凍傷を負っている。
「そろそろ……だな」
「ええ」
向かい合って舞台を並走するエルサとテリーサ。満身創痍の二人の足運びには、開始直後の鋭さは見られない。それでも、互いに最後の一撃を放つために集中力を高め、舞台が二人の闘志に包まれていく。
先に動いたのはテリーサ。突如、直角に向きを変えてエルサに突っ込んでいく。
「【氷礫】!」
「はあっ!!」
エルサが放った幾多の氷礫が襲い掛かると同時に、テリーサは高く跳躍し扇状に放たれた氷壁を飛び越える。いくつかの氷礫を身に受けるも意にも介さず、【跳躍】の勢いのままに空中からエルサに襲い掛かる。
「【牙突】!」
俺がエルサを追い詰めた最後の一撃を再現するかのように放たれた【牙突】を前に、エルサは短杖を手放していた。
「はあっ!」
エルサが手に取ったのは、腰に佩いていた細剣。テリーサの牙突を迎え撃つように、細剣が頭上斜め上に抜き放たれた。
ギンッ!!
細剣が槍の穂先に衝突する。だが【竜戦士】の加護を持つテリーサの膂力に、【魔道士】のエルサが敵うはずも無い。エルサの細剣は【牙突】の魔力に弾かれ、槍がエルサの右肩に突き刺さる。
にやりと笑みを浮かべたテリーサだったが、直後にその笑みが凍りつく。エルサは決定打を身に受けつつもなお、テリーサを睨みつけ眼前に手の平を向けていた。
「【風衝】!」
至近距離で暴風の塊を受けたテリーサは、まるで蹴鞠の様に弾け飛んだ。至近距離で放った風衝の反動で五指があらぬ方向に折れ曲がり、テリーサが手放してしまった槍が肩に突き刺さったままのエルサは、それでも意識を飛ばさずに詠唱する。
「【大爆炎】!!」
エルサの手の平から、膨大な魔力を注ぎ込んだ魔力球が放たれる。よろよろと立ち上がろうとしていたテリーサに魔力球が衝突し、激しい炎とともにとてつもない衝撃音が闘技場に響いた。
十数秒後、もうもう巻き起こる粉塵が風に散らされ、爆炎が撒き散らす紅い光が消失する。そこには焼け焦げた鎧を身に纏って倒れ伏すテリーサと、歯を食いしばって立ち続けるエルサの姿があった。
『勝者、エルサ!!』
「癒療班!急げ!!」
審判員の声とともに、エルサが力尽きたように片膝をついた。開け放たれたアーチの格子門から、白ローブの癒療班がエルサとテリーサに駆け寄っていく。
「心配するな。ラファエル騎士団から派遣された癒療班は優秀だ。首が離れでもしない限りは、完璧に癒してくれるさ」
ルトガーはちらりと俺の顔を見てそう言った。どうやら顔に焦りが浮かんでいたみたいだ。
「しっかし、気合の入った戦いを魅せてくれるじゃねえか。滾って来たな、なあ、おい!」
「……そうですね」
ルトガーが獰猛な笑みを満面に浮かべる。あんたみたいな戦闘中毒者じゃ無いんだよ……と思いつつも、ルトガーの気持ちはわかってしまう。闘志と技巧の全てを尽くし、ぶつかり合った二人の戦いを見て、何も思わないわけがない。
魔法攻撃への耐性の低い近接戦闘の加護持ちでありながら、被弾を厭わず氷礫の弾幕に飛び込んだテリーサ。そして、安全に戦える方法を捨てて、相手が得意とする間合いで正面からぶつかったエルサ。最後は、まさに肉を切らせて骨を断つ覚悟で勝負を決めたのだ。
「次は俺達だ。無様な真似は見せられねえぞ」
「ええ。全力でぶつからせてもらいます」
そう言うとルトガーは苦々し気な顔つきで俺を睨む。
「なんだ、その気の抜けたセリフは。やる気が足んねえんじゃねえか?」
言われて俺は苦笑する。ああ、今朝もヘンリーさんに覇気が無いって言われたばかりだったな。
俺は肚に力を込めて、気合を入れなおす。俺だって戦士の一人だ。もう、何年も森に引きこもっていた、根性無しじゃない。
「ルトガー、絶対に俺が勝つ」
「はんっ。それでいい」
ルトガーは獰猛な笑みを浮かべて言い放ち、自分の登場アーチへと向かっていった。




