第178話 ルトガー・ラングリッジ
「勝利を」
俺は握りしめた右拳で自分の左胸を軽く叩く。
「君もね」
エルサは指先を真っ直ぐに伸ばした右手を左胸に当て、軽く頭を下げる。帝国の略式敬礼だ。軽く手を振って闘技場の舞台に向かったエルサを見送る。
そう言えば、昨日ルトガーがエルサと俺の決闘をアーチあたりで見ていた。アーチの門は鉄製の格子だから、隙間からエルサの決闘を覗けるだろう。
「よお」
「……貴方の出場アーチは反対側だろう?」
アーチに向かうと格子の門には先客がいた。決勝の対戦相手、ルトガーだ。
「決勝前には向こうに行くさ。せっかくだから一緒に観戦しようぜ」
「それは構わないが……」
言葉は親しげだが、ルトガーは鋭い眼光で舐めるように俺の全身を睨め付けている。
赤銅色の短髪、俺を上回る上背、鍛え上げられ引き締まった鋼の様な肉体、そして左目尻に深く刻まれた傷跡。なかなかの迫力だ。この男に睨まれたら、魔物だって逃げ出しそうだ。
「今日は、剣と盾か。良い判断だ」
ルトガーは表情を緩め、にやりと獰猛な笑顔を浮かべる。
「……?」
「短杖に槍、それに手甲。お前の得物は剣だけじゃねえだろ?」
どうやらルトガーは俺の事をそれなりに下調べしているみたいだ。まあ、さすがに決勝の対戦相手のことぐらい調べるか。
「スーザンに押し付けられてた一角獣の依頼を、横からかっさらわれちまったからな。どんな奴かと思って見に行ったら魔法使いの癖に、決闘相手に拳で殴りかかってやがった」
ああ、そうか。ルトガーはBランクの冒険者だったな。この人もスーザンから依頼を押しつけられていたのか。それで興味を持って見に来たら、俺が喧嘩屋スキルの熟練度稼ぎをしてるところを見たってことか。
「ずいぶん変わった魔法使いだと思っていたら、次に見た時には槍を使ってやがる。そんでこの大会に出てからは片手剣と盾の剣士スタイルだ。ずいぶんと器用じゃねえか」
騎士、魔術師、喧嘩屋、槍術士と次々に加護を切り替えて戦っていたからな。ルトガーの言葉に、俺は肩をすくめる。
「だがな、手甲を使った肉弾戦、槍の扱いはまだまだだ。魔法使いとしてはエルサの方が遥かに格上だ。間合いの取り方がなっちゃいねえ」
手厳しい意見だが……その通りかもしれない。
ヘンリーさんは無尽蔵の体力を活かして粘り強く戦い、周囲の環境を利用しつつ自分の間合いに引きずり込む。エルサは素早い身のこなしと高速詠唱で相手を翻弄し、闘いをコントロールする。
そう言う『巧さ』が俺には無い。ルトガーの言った、間合いの取り方がなっちゃいない、ってのもその一つなのだろうな。
「お前の本当の得物は、その剣だろう?」
ルトガーは紅の騎士剣を顎で指した。
「決闘士武闘会に出てからの、盾を構えて片手剣で戦う剣士スタイルはかなりのもんだ。魔法をぶった切るなんて戦い方はそう簡単に出来るもんじゃねえ。しかも、それを付け焼刃の猿真似でやって見せたってんだから、なおさらだ」
「Bランク決闘士にそこまで言ってもらえるとはね。光栄だよ」
ルトガーは再び鋭い視線を向ける。
「さすがは、騎士家系ウェイクリング家の長子と言ったところか」
……なぜ、それを? ボビーぐらいにしか打ち明けていないはず……。
ああ、冒険者ギルドでヘンリーさんとスーザンに話したな。まさか、スーザンのヤツ、また俺の情報を漏らしやがったのか?
「ああ、俺の本名はルトガー・ラングリッジ。現ラングリッジ子爵の弟にあたる。お前の名前だけは聞いていたよ。アルフレッド・ウェイクリング」
スーザンじゃなかった。ルトガーは、ウェイクリング領の北に位置するラングリッジ領主の親族だったのか。
「それは失礼を。ルトガー・ラングリッジ閣下」
でも、なんで俺の名前を知っていたんだ? 他領の領主ならいざ知らず、後継者でも無い者の名前までは、普通は知らないと思うけどな。現に俺はルトガーの事を知らなかったし……
「今は冒険者なんだ。閣下はやめろ。ルトガーでいい。お前の事は家の者から聞いたのさ。アリンガム商会の令嬢と一緒に王都に来たんだろう? 家の息がかかった者が、ウェイクリング領の村でお前らに取っ捕まったって話だったな」
「取っ捕まった……? あ……! アリンガム商会の馬車を付け回してた連中!」
そう言えばエスタガーダとか立ち寄った村々で何度となく尾行をされた。あれは他領の間者だったのか。しかし……
「なんでそれを私に……?」
「バレたところで代わりはいるからな。アイザック伯爵だってウチの領地にそれなりの数の間者を潜り込ませてるだろ?」
そ、そういうものなのか……。まあ、確かに隣り合う領地の動向を窺うのに間者を潜り込ませるぐらいはするか。
で、その間者がウェイクリング伯爵家と関りの深いアリンガム商会のクレアが王都に行くと聞きつけて、様子を見に来てたってとこか。ヴァリアハートのエクルストン侯爵か、マッカラン商会の手の者だとばかり思っていたよ……。俺達を付け回す怪しい輩は村や町を回るたびに捕まえていたから、その中の誰かがラングリッジ子爵の手の者だったんだろうな。
「私は家を出た身分ですから、詳しい事はわかりませんが」
「ああ、そうだったな。後継者の椅子は弟に奪われたんだったな。なあ、【森番】のアルフレッド?」
ルトガーの言葉を聞き、一瞬身体が硬直する。俺の昔の加護を……知ってる!?
「ウェイクリング家を追われ、森番となった悲運の長子。チェスターで魔人族を討伐した剣士、『紅の騎士アルフレッド』。そして、決闘士武闘会の決勝戦に駒を進める魔術師、『魔法剣士アルフレッド』。お前、一体何者なんだ?」
背筋をだらだらと汗が伝う。まさか……俺の加護のことが知られていたなんて。
失敗した……。チェスターの魔人族騒ぎではかなり目立ってしまったんだ。決闘士武闘会でここまで目立てば、ウェイクリング姓を名乗ってはいないとはいえ、身上がバレてしまうのは容易に想像出来ることじゃないか。
俺の事をここまで調べ上げるなんて……。まさか、アスカの能力にも気付いている? くそ……アスカは観客席にいるってのに……。
今日はクレアと一緒に観戦すると言っていたから、ユーゴーかジオドリックさんが一緒にいるはずだ。彼女たちならアスカの事を護ってくれるとは思う。
だが、話次第では決勝を放棄してアスカのもとに駆け付けないと……。
「それで……今日はその剣と盾で戦う。そうだな?」
「ええ。そのつもりですが……」
魔術師でありながら剣士の加護持ちでもあるのだろう、とでも言いたいのか? どこまで知っているんだ……? 一体何が目的なんだ、ルトガー!?
「よしっ。面白い戦いになりそうだ!!」
そう言ってルトガーが破顔した。その綻んだ笑顔に、邪気は全く感じられない。
「は……?」
「いや、だってよ。お前、あの魔人族を倒したんだろ? 槍やら拳で戦ってる時はウソだと思ったが、剣での扱いを見ればそれも頷ける。いいじゃねえか! 決勝の相手は魔人族キラーだ!」
……うん? 加護の事に勘付いて、探りに来たんじゃなかったのか……?
「エルサ以外に大した奴がいなくて退屈だったんだ! 魔術師でありながら剣士! 面白いじゃねえか!」
「加護のことを、聞きに来たんじゃ……?」
面白い? 何を言ってるんだ、コイツは?
「あん? 加護? ああ、魔術師の加護を授かったから、騎士家系のウェイクリング家を追い出されたんだろ? そんで、森の番人なんかをやらされてたらしいな。いやー、俺も剣以外に興味が持てなくてよ。家を追い出されちまったんだよな。お前も、苦労したんだな。わかるぜ。だがまあ、昔の事はいいじゃねえか。今はお互い冒険者で決闘士だ」
「…………え、ええ、はい」
森番を……加護と思ってない? しかも破門になった理由を勝手に勘違いしてる?
「槍やら手甲を持ってきてたら、剣でやってくれって頼もうかと思ってたんだよ。魔法剣士が相手じゃねえとつまんねーからな! 楽しみだな! 存分に戦り合おうぜ!」
……貴族の生まれだとか、間者だとか、俺の二つ名とか、あれだけ思わせぶりな事を言っておきながら、要するに剣士として戦いたいってだけってことか……?
なんだよ。ただの脳筋……戦闘中毒者かよ……。人騒がせな……。




