第162話 魔物使い
飼育場はどこかな……?
なんて言ってみたが既に場所の予想はついてる。修得に至った【索敵】、そこから昇格した【警戒】は、なかなかに広範囲の気配を拾ってくれる。扉や窓がぴったりと閉じられた石造りの屋敷の中まではさすがに探れないけど、木造の建物の中ぐらいなら多少は離れていても、なんとなく分かる。
正面の門から真っ直ぐに敷かれた石畳は、屋敷の前の馬車寄せにつながり、裏手にある木造の建物の前まで伸びている。その木造の建物からは魔物の糞尿や飼料が発する臭いが漏れ出ているし、敵意の無い魔物の気配も感じられる。あそこが飼育場で間違いないだろう。
俺は気配を殺しつつ石塀沿いに進み、飼育場に接近する。近づくにつれて中にいる魔物の息遣いが色濃く感じられらようになってきた。
……いた。数頭の魔物の気配の中に、馴染みのある気配があった。確認するまでもない。これはエースの気配だ。
エースの気配からはピリピリとした警戒心や焦燥が感じられた。忙しなく蹄で地面を蹴る音や低い嘶きも聞こえてくる。
捕らえられて知らない場所に繋がれているんだ。不安だったろう。いま助け出してやるからな。
俺は両開きのスイングドアを開けて飼育場に侵入する。ギィィと蝶番の軋む音が心臓に悪い。
飼育場の中は、灯りが一つも点いていない。ドアの脇にランプが置かれていたので灯りを点けたいところだったが、『侵入者がここにいますよ』と主張するようなものなのでやめておいた。
幸い俺の【夜目】は月明かりだけでも、十分に飼育場を見通せる。色が見分けにくいのと、距離感が若干狂うのが厄介だが。
飼育場の暗闇には、月明かりを反射した魔物達の瞳がいくつも浮かんでいた。エースより二回りほどは小さい馬型の魔物数頭に、上顎から大きな二本の牙が突き出した虎、鋭い爪を持つ灰毛の熊……おっ、あれはトカゲか? トカゲの魔物は初めて見たな。ゴツゴツした皮膚の質感からすると岩トカゲか洞窟トカゲだろうか。
【潜入】改め【隠密】を発動してはいたが、魔物達は飼育場に入った俺にすぐ気付いたようだ。さすがにドアを軋ませて寝床に入って来れば気づきもするか。
魔物達は息をひそめて俺に目線を送り、注意を払っている。だが俺に敵意を向けては来ない。
たぶん主人である魔物使いから、侵入者の報告や排除を命令されていないのだろう。芝生をうろついていたフォレストウルフに見つかったら、人を呼ばれたり、攻撃されたりしたのだろうけど……。
もう見つかっているのならしょうがない。俺は飼育場の通路の真ん中を堂々と歩いて奥に向かう。
飼育場は長方形の建物で、真ん中に馬が余裕を持ってすれ違えるぐらいの広さの通路があった。その両側に木柵で仕切られた区画が並んでいる。それぞれの区画に寝藁が敷かれ、魔物達が寝そべっている。
エースがいたのは最奥の広めの区画だった。良かった、特に怪我はしていないようだ。
「エース、助けに来たぞ。とっととここから抜け出そう」
俺はエースに小声で語り掛ける。
俺の侵入は今のところ飼育場にいる魔物達にしか気づかれていないし、放たれていた魔物は眠り薬で無力化している。正面の門に【爆炎】でもぶち当てて破壊すれば、他に遮る物は無い。一気に逃げられるだろう。
エースの馬具は取り外されてしまっていて、周囲には見当たらない。クレアにもらったものだが、この状況では回収することも出来ないので放置するしかないか。
逃げ出したら……冒険者ギルドを頼るかな。ヘンリーさんに頼めばギルドの馬房を使わせてくれるだろう。
そんな事を考えながらエースがいた区画に踏み込むと、エースが後ずさった。耳をピンっと立てて目を吊り上げるエース。
「ヒヒヒーーン!!!」
突然、エースがけたたましい鳴き声を上げる。
「おっ、おい、エース! 静かに……」
あからさまに俺を警戒し、興奮しているエース。違和感を覚えてよく見てみると、足首にあるはずの物が無くなっていた。
「『隷属の首輪』が……」
そんなはずは……。『隷属の魔道具』は着けた者が【解呪】しない限り取り外すことはできないはずなのに、エースの毛色に合わせて白く染めた隷属の首輪がなぜか着いていないのだ。
「グガアァァ!!!」
「!! くそっ……!」
エースの嘶きに呼応して、それぞれの区画から姿を現した魔物達が、出口までの通路を埋め尽くす。完全に退路は潰されてしまった。
俺はジオドリックさんにもらった漆黒の短刀を抜いて身構える。
「おいおい。あんた、たった一人でここに忍び込んだのかよ。命知らずも良いところだな」
緊迫した場の雰囲気にそぐわないのんびりした声が魔物達の後ろからかけられる。いつの間にか濃緑色のフードつきローブを羽織った細身の男が灰色の熊の後ろに立っていた。
男はドア脇のランプに手を伸ばし灯りを点けた。同時に天井から吊るされていたいくつかの魔道具にも明かりが灯る。
「一角獣だけには、オイラ以外のヤツが来たら騒ぐ様に言っておいたんだ。あんたがソイツの元主人かい?」
「元……?」
「ああ、一角獣はオイラが従魔契約を結ばせてもらったんだ。アンタも酷いことするよなー。隷属の魔道具で従えてたんだろ?」
……それを言われると弱いな。魔道具で無理矢理に言うことを聞かせていたのは事実だし。
「他人の従魔を拐うヤツに言われたくないな。それに魔物使いの従魔契約も似たようなものだろ? それよりどうやって隷属の魔道具を外したんだ?」
「闇魔法使いに【解呪】させたのさ。オイラみたいな潜りの魔物使いがいるんだ。潜りの闇魔法使いがいたって不思議じゃないだろ?」
闇魔法使いね……それなら外せるのか。魔物使いと違って滅多にいないだろうけど、王家や貴族の管理下にない闇魔法使いだっていないわけじゃないだろう。
「とりあえずさー、投降してくんない? 命だけは取らないでくれってボスに頼んでやるからさ」
「エースを返してくれるなら、それでもいいけどな」
「エース……一角獣のことか? そいつぁ無理だなー。やんごとなき御方からのご依頼みたいだからねえ。」
「なら交渉は決裂かな?」
「逃すわけにはいかんから痛い目にあってもらうけど、恨まないでくれよー」
「お互いにな」
「グガァァアァ!!」
俺が言葉を切った途端にトカゲが突っ込んでくる。俺は【跳躍】で高く飛び上がり魔力を練る。
「【爆炎】!」
トカゲに爆発が直撃し、通路にひしめく魔物達に炎が襲い掛かる。そう広くはない通路では避けることもできず、悲鳴を上げる魔物達。
(【魔力撃】!)
着地とともに炎に巻かれた灰色熊の腹を斬り裂く。さらに踏み込んで虎の目に漆黒の短剣の切っ先を突き込む。
魔物使いとのんびり話してる間に自己強化は済んでいる。【風装】と【瞬身】、【烈攻】に【火装】を重ね掛けして、速さと力を盛りに盛っている。
通路で戦いを挑んだのは間違いだったな、魔物使い。せっかく数的有利があるのに、取り囲むことも出来ない通路じゃ一対一の繰り返しだぞ。
こいつらは高く見積もってもDランクの魔物だろ? せめてエース並みのCランクでも連れて来ないと、一対一じゃ相手にならない。
虎の脇から突っ込んで来た馬型の魔物を手甲で発動した盾撃でいなす。盾撃の勢いを利用して回転し、逆手に握り直した短刀を首筋に突き刺す。
「【風衝】!」
その後ろにいたもう一頭の馬の脚に風の塊を叩きつける。バランスを崩して前のめりに倒れた馬の頭を【爪撃】で蹴り飛ばす。衝撃とともに馬の顔面に深い斬り傷が刻まれた。
「何をやってる! 一角獣! そいつをおさえろ!」
振り返ると、エースが馬房から通路にゆっくりと出てきた。くそ……エースも魔物使いの支配下か。
「グルルゥッ!!」
嘶きとともにエースの額に角状の紫電が形成される。パチパチと音を立てて紫の光が爆ぜ、周囲の木柵を焼いた。
うおっ……! こんなこと出来たのか、エース! 角が無くてもスキルが使えるとは思ってなかった。
まいったな……。敵方に回ってしまったとはいえ、エースを傷つけたくはない。これは……いったん退くしかない……か?
俺は短刀を収め、エースに向かって身構える。やりたくは無いが……盾撃を叩き込んで、その隙に逃げるか……。
エースの居場所は掴んだ。こいつらは、王家にも認めてもらった俺の従魔を攫ったんだ。これは明らかな犯罪行為だ。王都の衛兵に渡りをつけて、取り返しに来ることもできるだろう。
「…………ん?」
「おい! 何してる! 戦え!!」
魔物使いが焦った声を上げるが、エースは動かない。ただ苦痛に顔を歪め、自らを抑えこむように前脚を地面に叩きつけていた。
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