第158話 休日
「おはよう、エース」
「ブルルッ!」
「ああ、ちょっと待ってな。今、拭いてやるから」
持ってきた木桶に【静水】でぬるま湯を注ぎ、タオルを濡らして硬く絞る。
「ほら、エース。顔を下げて」
エースは俺の肩にそっと顔を乗せる。
「よし、いい子だ。目をつむって。顔を拭いてやるから」
タオルでエースの顔を優しく拭うと、エースは気持ちよさそう鼻を伸ばす。
「うん。綺麗になった。じゃあブラッシングするぞ」
「ブルッ!」
首からお尻に向かって、ジャイアントボアの毛で作られたやや硬めのブラシをかけていく。エースは力強くこすられるのが好きみたいなので、両手でグッと力を入れてこする。
エースはどちらかというと俺よりもアスカの方に懐いているのだが、ブラッシングだけは俺の方が好きみたいだ。力が足りないからなのか、アスカにブラッシングされるとくすぐったそうにして嫌がるのだ。
全身のブラッシングが終わったら、今度は柔らかいブラシに変えて、軽く毛並みを整える。白一色のエースは美しい毛並みが、よりツヤツヤになった。
「おっはよー、アル! エースもおはよー!」
「おはよう、アスカ。今、手入れが終わったところなんだ。ちょうどよかった」
「ぶるるっ!」
「ぅわ、いたっ! こら、エース! エースは甘噛みのつもりでも、痛いんだから―。優しくしてよねー」
「ぶるっ!」
アスカは、太ももをかじったエースを優しくなでて窘める。ここのところ俺がずっと手入れをしているんだけど、やっぱりアスカの方が懐かれてるんだよなぁ。処女の匂いに惹かれるって話だし、やっぱり本能的に女の子の方が好きなのかな。
アスカがざっくりとカットしたリンゴと葡萄を入れた桶をアイテムボックスから取り出す。エースは嬉しそうに桶に顔を突っ込んだ。
このエサには砕いた魔石が混ぜてあったりする。魔獣使いギルドのリンジーに教えてもらったのだが、魔石をエサとして与えると従魔は強くなっていくそうなのだ。
詳しくは判明していないそうなのだが、魔物は魔素を吸収した薬草などの植物や他の魔物を捕食することで強くなっていくと言われているそうだ。エースは草食なので魔素の濃いヘルキュニアの森に自生する薬草などを食んでいたのだろう。
エースの食事のためだけに森まで行くわけにもいかないので、アスカが商人ギルドで規格外品の小さな魔石を手に入れ、砕いて粉末状にしてから、エサに混ぜて食べさせている。リンジーに教えてもらってから1週間ほど試してみたら、心なしか毛並みが美しくなってきた気がする。
「エースは果物が好きだな」
「ぶるるっ!」
首筋を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めて、耳をだらっと弛緩させるエース。世話を初めてから1か月超。ようやく俺に慣れてくれたな……。
隷属の首輪をつけているので、初めから命令に従ってはいたのだが、完全に怯えられていたからなぁ。まあ、あれだけ魔法で痛めつけてしまったのだから仕方がないけど。慣れた今でも俺が近くで魔力を高めたり、スキルを発動したりするとビクッとしてるし。
「今日はヘルキュニアの森まで行くからな。思う存分に走らせてやるぞ」
「ヒヒヒーン!」
宿の馬丁に依頼すればエサやりや手入れもしてくれるのだが、少しでも懐かせるために毎日朝晩と世話をした甲斐があった。飼い始めたころは俺が近づくだけで目を吊り上げて警戒していたからなぁ。
エースもこれから長い旅をする仲間の一員だからな。仲良くしないとな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は決闘士武闘会本戦の準備と、予選から勝ち上がった決闘士の休養のために闘技場はお休みだ。本戦は明日から4日間かけて行われる予定になっている。
今日は何もする事が無いので冒険者ギルドで何か依頼でも受けようかとも思ったが、せっかくだから今日はしっかり休むことにした。ヘルキュニアの森まで行ってエースをたっぷり走らせて、その後は生まれ育った森で自由に過ごさせてやるつもりだ。その間、俺とアスカは回復薬と薬草類を使った分だけ補充してから、ピクニックかな。
「食事はどうする? 宿に頼んで何かつつんでもらうか?」
「あ、それなら中心街のパン屋さんに行かない!?」
「ああ、クレアに教えてもらったとこか」
「うん! クレアちゃん一押しのお店なんだって! キャラメルクリームが超美味しいらしいの!」
「そ、そっか。じゃあパンはそこで買おう。あとは向こうに着いてから作ればいいか。少しは食材も残ってるだろ?」
「チェスターでバラまいちゃったから、ほとんど残ってないけどねー。子豚ちゃんのお肉がちょこっとぐらいかな」
「聖域のマッドボアか。じゃあ、朝食も食べ終わったし、さっそく行こうか」
「うん!」
俺達はエースに乗って宿を出る。平民街は朝から多くの人で賑わい喧騒に包まれているが、俺達の定宿『楡の木亭』がある中心街は上品で落ち着いた雰囲気だ。
そんな中心街を穏やかに歩いている人達も、俺達が連れているエースを見るとぎょっとした顔をする。すれ違った後も何度も振り返って二度見するぐらいだ。
切り取った角の根元はタテガミで隠してあるのだけど、エースはデカくて目立つからな。きちんと手入れをしているから、元から綺麗だった白い毛並みもより美しくなったし。
「キャッラメル、キャッラメル! ふっふふーん!」
「ご機嫌だな」
「そりゃそうでしょー! やっとスイーツを買いにいけるんだもん」
「王都に来てもう2カ月も経つもんな。そんなに食べたいなら言えば良かったのに」
「んー、アルの修行ターンだったからねー。あたしだけワガママ言う訳にもいかないじゃん?」
「……そんなの気にしなくても良かったのに」
王都に来てからと言うもの、ほぼ毎日闘技場で熟練度稼ぎの毎日だったからな。おかげで始まりの転移陣で手に入れた加護は全て修得できたわけだけど、今日みたいにゆっくり過ごす時間をとっても良かったかもしれない。
アスカにしてみれば慣れない土地でずっとすごしてるわけだもんな。疲れもたまってるだろう。うん、今日ぐらいはアスカの好きなように甘い物を買わせて、のんびりと羽を伸ばそう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ワーオ! はっやーいー!!」
「それっ! エース! もっと飛ばしてもいいぞ!!」
「ヒヒーン!!」
目当てのキャラメルクリームとバゲットを購入してご満悦なアスカと王都の城門を出て、エースに跨って街道を駆ける。本当にエースの体力はとんでもない。普通の軍馬ならものの10分もかからずに音を上げてしまうと言うのに、かれこれ20分以上は襲歩で走り続けてる。
むしろ騎乗している俺達の方が先に疲れ果ててしまいそうだ。アスカは今のところ元気にはしゃいではいるけど、疲れないうちに止めておこう。
「エース、速歩!」
「ブルルッ!」
ふうっ、あっという間にヘルキュニアの森に到着だ。
「よし、ここからはゆっくりな。エース、薬草が生えてそうな場所はわかるか?」
「ヒヒーン!」
「よし、そこまで行ってくれ。ゆっくりな」
隷属の首輪の効果なのか、元から知能が高いからなのかはわからないが、エースは普通に人語を理解する。俺の方はなんとなくエースの言いたいことや感情がわかる程度だ。
これが魔物使いの加護を持つ者なら、より正確に理解できるそうなのだけど、魔道具で従属させている俺ではそうはいかない。この辺は世話を続けて関係を温めていくしかないかな。
そんな事を考えていたらエースは薬草の群生地に連れて行ってくれた。ホントに優秀だな。
先に飛び降りた俺は、手を貸してアスカをエースから降ろす。アスカはまだ一人では手綱も持てないし、乗り降りすら出来ない。ニホンでは馬を見た事すら無かったそうなので、それも当然だろう。旅をする間に、乗り方を教えていこうと思ってる。もちろん、料理もだ。
「エース、久しぶりに縄張りに行ってくるか?」
「ブルルッ!」
「おう。じゃあ行ってこい。俺達は川沿いにいるからな。満足したら戻って来いよ?」
「ヒヒーン!」
エースは鼻と口を大きく広げて周囲の匂いを嗅ぎ、森の奥の方にゆっくりと歩いていく。さて、俺達は薬草でも摘みますか。とは言っても薬草を採集するのはアスカの仕事で、俺は周囲を警戒するだけなんだけど。浅い所とは言え森の中だし魔物には注意しないと……。
「いたたた……お股が痛いよぅ」
アスカが股を押さえてうずくまる。あ、そっか。アスカが今着ているのは麻のパンツだ。あれじゃ生地が薄くて、乗馬みたいに激しい動きをしたら股ずれが出来ちゃうよな。
乗馬用に生地の厚い革張りのパンツでも買わないとな。今度、暇を見つけて一緒に買い物でもするか。




